第116師団衛生隊

(通称号:中支派遣嵐第6229部隊)


第116師団

主な所属部隊(終戦時)
歩兵第109連隊(編成地=京都)(通称号:嵐6213部隊)
歩兵第120連隊(編成地=福知山)(通称号:嵐6212部隊)
野砲兵第122連隊(編成地=京都)(通称号:嵐6222部隊)
工兵第116連隊(編成地=不明)(通称号:嵐6225部隊)
輜重兵第116連隊(編成地=京都)(通称号:嵐6227部隊)


顕彰碑



『第百十六師團衛生隊顕彰碑』
(京都市・京都霊山護国神社)




(平成16年4月2日)

碑文

我が部隊は 昭和13年5月 京都において編成され直ちに大陸の戦線に派遣されるや 華中 華南の幾多の戦闘に参加し 昭和21年7月帰還
その編成を解かれるまで八年有余の間 或は一線戦傷病兵の救出収容に 或は地域の警備 醫療に盡して克くその責務を完うした
この間二百有余の戦友 百余の軍馬 護國の礎石として彼の地に散る
いまや時移り 四半世紀にして新生日本の隆昌を見る
茲に生あるもの相集いて往時を偲び 部隊の戦績と亡き戦友の慰霊のため この碑を建て顕彰の記念とし 併せて祖國の榮光と平和を祈る

昭和46年4月吉日
第百十六師團衛生隊戦友一同


衛生隊

衛生隊は、作戦行動でもない限り、負傷者が出なければ開店休業の状態でやることがない。
師団隷下部隊の隊付軍医が病気になったとか、軍医の配属のない中隊以下の部隊が、本隊から離れて任務を持つ場合などに、臨時に派遣または配属されることが多かった。
つまり、師団の軍医の予備、補給の部隊でもあったわけである。

名称は、○○師団衛生隊と呼ばれたが、丙編成と呼ばれた警備や保安を任務とする師団などでは、衛生隊を全く欠くことがあった。
そのような師団では、作戦に出動する場合、患者収容隊と呼ぶ衛生隊に準じる部隊が、臨時に編成されたようである。

参考文献:関亮著「軍医サンよもやま物語」

(平成17年7月24日追記)


プレート



『次代に伝えん!』のプレート

(京都市・京都霊山護国神社)





(平成19年3月17日)

次代に伝えん! 第106師団衛生隊

揚子江を中心とした中支戦線を駆け巡り生きて祖国に帰還してから50年近くが経った。
晩節を迎えた我々は、ここに我々の戦歴と戦後の友好活動の一端を記し 次代に伝えんとす
第116師団は1938年の武漢攻略戦の後 揚子江中流沿岸地区の警備の任を負い 我々衛生隊は師団司令部を置いた安慶の県城警備の任に就いた
安慶は江岸に七層の古塔が聳え 高い城壁に囲まれた静かな古都で八ッの城門の衛兵と郊外に設けた三ッの分哨陣地等による安慶地区の警備と治安 医療復興が部隊の日常の任務であった
この4年余りの駐留生活は厳しい前線を結ぶ要衝の地 安慶を守る使命感に燃えた日々であり また我々の戎衣の青春時代でもあった
その間両岸の敵拠点への度々の掃討作戦には衛生隊として出動 火線の戦傷病者の収容 担送に善戦した
1943年 戦局の緊迫化に伴い師団は戦闘兵団に編成改正され 奥地進攻の常徳殲滅作戦に出撃 常徳城攻略後 武漢地区に反転した
衛生隊創設以来この5年有余の間に収容した患者数は13,902名と記録されている
衛生隊は漢口到着後 武昌警備の命を受け半歳余り武昌市内に駐屯した
1944年5月に発動された湘桂作戦では 師団は先頭攻撃兵団として岳州より発進 転戦を重ね怒濤の進撃を続けた
この頃には制空権も奪われ補給も十分でなく衡陽攻略戦では前後を敵に挟まれた激烈な戦場となり40余日を費やして3回に亘る総攻撃を行い多大の犠牲を出してやっと攻略する事が出来た
我々衛生隊も自からも戦い 多くの戦死者を出すに至った
1945年4月に発動された■江作戦には師団兵団として宝慶より西進し雪峯山脈に突入した
この戦闘では敵は我の数倍の兵力を持ち米式化された装備と圧倒的な航空戦力等により我方は壊滅的な打撃を受け 1ヶ月余りの死闘の上 宝慶地区へ撤退した
この2年間の戦傷病者の収容は言語に絶する情況の下に悲惨を極め 収容患者数の掌握はとても不可能な有様であった
また衛生隊の古年次兵は一線部隊の戦力補強のため分隊長として転属 長い戦場生活で培われた判断力を発揮して大いに勇戦した
1945年8月 夢想だにもしなかった終戦を奥深い宝慶で迎え 1年余りの凡ゆる苦難に耐えて 敗戦の祖国へ運よく還って来る事が出来た
1984年 我々は安慶に万感の想いを込めて京都の桜を贈ろうと企画 多くの戦友の賛同を得て苗木4百本を届ける事が出来た
安慶市当局は菱湖公園の中に「桜花園」と名付けた特別区を設け その育成管理に協力を惜しまず 桜は3年後より美しく咲き出すようになった
そして安慶市と大阪の茨木市との友好都市締結には我々が橋渡し役を務め 双方の人材交流 経済協力は年毎に進展している
更に後期の熾烈な戦場となった湖南省と滋賀県とが友好省県を締結する時には 滋賀県在住の戦友が強力な支援をなし 桜樹1千本を寄贈し爾後の交流に民間外交の実績を上げている
また激戦が繰り返された衡陽には桧兵団が中心となって「日中友誼林」の造成が進められ 我々嵐衛会も英霊に憶いを届けようと協力を行った
我々は平和の尊さを一番よく知っており 半世紀たった今日でも戦場体験は生々しく甦って来るだけに 心から平和と友好を願って止まない
終わりに一緒に還る事が出来なかった戦友達の無念さを思い 心より哀悼の意を捧げて“昭和の社”従軍記念の銘碑に添える一文とする

1994年4月

第116師団 嵐兵団 衛生隊戦友会 嵐衛会

(プレートより)

※ ■はパソコン上では表示出来ない文字です。

古写真 (プレートより)

揚子江より眺望する安慶の古塔・振風塔


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