京都第16師団司令部

京都市伏見区・聖母女学院


日露戦争の戦勝に意を強くした陸軍は、兵力増強策の一環として、明治38年(1905年)京都に第16師団を増設しました。
当時、この司令部を中心に、陸軍兵器支廠、衛戍えいじゅ病院(現:国立病院)、歩兵連隊、砲兵連隊等、数十棟の建物と練兵場(現:龍谷大学)が疎水を挟んで建ち並んでいました。
その広さは、南北は現在の京阪伏見稲荷駅から墨染駅の間2.3km、東西は国鉄奈良線から国道24号線の間1.6kmにいたる、約368万u(約112万坪)の広大な土地でした。
第2次大戦終了後の昭和24年(1949年)聖母女学院が国より払い下げを受けて現在にいたっています。


第16師団司令部 京都第16師団司令部
(現:聖母女学院本館)


明治41年(1908年)完成
レンガ造り銅板葺2階建
設計者は不詳(英国人との説がある)
建築は松村組
工期は8ヶ月間でした。




(平成13年9月8日)
第16師団司令部

内部は殆ど当時のまま使用されており、特に階段、各部屋の暖炉は全くそのままです。
元・師団長室の暖炉は大理石製で、床の部分はモザイク状の装飾があります。
建築業者は松村組であることはわかっていますが、設計図等の資料は現存していません。


戦歴

昭和12年、南京攻略戦に参加
昭和16年、日米開戦時にフィリピン攻略戦に参加。
昭和20年、フィリピンのレイテ島にて玉砕。


南京攻略戦

第16師団の中島師団長は南京攻略戦においては、中山門(東門)から北の太平門、玄武門、和平門を担当していた。
その周辺一帯は蒋介石の精鋭部隊「教導総隊」が防衛していた。
そのため、城門陥落と前後して、南京から脱出しようとする支那軍部隊と、第16師団は死闘を演ずることになる。
つまり、南京の城門陥落後も、激戦が続いたのである。

南京は中山門などが陥落したと言っても、支那軍は日本軍に降伏してこなかった。
特に、紫金山付近にいた「教導総隊」などは、脱出のため、死に物狂いで、逆襲してきたのである。

紫金山を中心に、東の湯水鎮とうすいちん(南京より東に約25キロ)から、西の和平門や太平門に至るまで、「数里の長きに亘って」激戦と、死闘と、投降が続いた。
なぜそのようなことになったのか。
南京死守を宣言していた南京防衛司令官の唐生智が、日本軍に降伏せよと命ずることなく陥落直前に逃亡したからであった。
ダーディン記者が『ニューヨーク・タイムズ』(1937年12月18日付)に書いたように、大勢の指揮官が部下を見捨てて「逃亡」したため、支那軍が「パニック」に落ち入ったからである。
このため、取り残された支那兵が脱出しようとして、城外(特に紫金山周辺)に血路を求めて逆襲してきたのである。

(参考:東中野修道 著 『「南京虐殺」の徹底検証』 展転社 平成10年8月 第1刷発行)

(平成31年4月4日 追記)


フィリピン攻略戦

【捕虜に細心の注意を払った第16師団】

日本軍のなかで、敵の捕虜をどのように取り扱うべきかを、下級幹部にまで励行させた師団があった。
それは第16師団である。
配布していた第16師団の捕虜取り扱い要領には、次のように記されている。
「敵の軍人、軍属でわが軍の手中に入った者は、国際法上の捕虜である。捕虜は戦時国際法と陸軍の規定にしたがって取り扱わなければならない。捕虜を捕らえたらただちに上級部隊に報告し勝手に処分してはならない。必要な尋問が終ったら、軍司令部に開設される捕虜収容所に護送しなければならない。捕虜の給養はわが国の給養と原則として同一であるべきこと。捕虜の労役の制限、とくにわが軍の作戦に協力することを強要してはならない。捕虜の処罰は、法令に基づき、わが軍の軍法会議または罰権を有する将校により行われるものであるから、私的制裁は許されない」(第16師団法務将校・原秀男少佐作成)
バタアン攻略戦の主力であった第16師団は、下級部隊までこのように捕虜の取り扱いを徹底していたのである。

(参考・引用:『「反日」包囲網の正体』 水間政憲・著 PHP研究所 2011年 第1版第1刷発行)

(平成25年5月29日追記)


個性派将軍 中島今朝吾 〜反骨に生きた帝国陸軍の異端児〜
木村久邇典 著  光人社 昭和62年発行  1,500円
(目次)
第1部〜第2部(略)
第3部 第16師団長・南京事件・和平建白・第4軍司令官・軍籍を離れて
悲運の京都兵団証言録 防人の詩 比島編
京都新聞社 編著  京都新聞社 昭和51年初版発行  1,200円 
(目次)
その前夜
開戦
マニラへ
戦場
生と死とー
遺骨を抱いて
バターンへ
ナチブ山
玉砕
屍山血河
カポット台の死闘
第14軍参謀長の罷免
バターン第2次総攻撃
バターンの落日

京都師団



 トップページに戻る   陸海軍遺跡のリストに戻る