第18師団

(菊兵団)


第18師団記念碑



第18師団記念碑
(福岡県久留米市諏訪野町・堂女木池)

陸軍中将 金谷範三 書



(平成20年11月20日)

第十八師團歴史ノ概要

一.明治三十七八年戦役後ノ軍備擴張ニ依リ明治四十年十月第十八師團ノ編成ヲ令セラレ師團司令部ヲ久留米に設置セラル
一.明治四十二年十二月師團ノ編成完結シ福岡、佐賀、長崎、熊本四縣下五市二十三郡ヲ其管区トス
一.明治四十四年十二月中清派遣隊ノ編成ヲ令セラレ一部隊ヲ以ラ清國漢口ノ守備ニ任ス
一.大正三年八月十六日動員下令獨立第十八師團ノ編成成ルト共ニ長崎ヨリ乗船九月中旬迄ニ逐次山東省龍口竝労山湾ニ上陸青島要塞攻撃ノ諸準備ヲ整ヘ先ス石門山巫山孤山ノ敵陣地ヲ奪取シ次テ攻圍陣地ヲ作リ本防禦線ニ對スル攻撃準備ヲ完了シ十月三十一日天長ノ佳辰ヲ卜シ総攻撃ヲ開始シ上陸以来僅カニ六十餘日ニシテ十一月七日遂ニ獨逸唯一ノ東洋根據地タル青島要塞ヲ攻略シ同二十八日ヨリ凱旋ノ途ニ就キ十二月二十三日復員完結ス
一.大正九年四月六日 皇太子殿下久留米ニ行啓アラセラレ観兵式ヲ台覧アラセラル
一.大正十二年五月久邇宮邦彦王殿下同妃俔子殿下良子女王殿下、信子女王殿下第十八師團司令部ニ台臨アラセラル
一.明治四十四年大正五年、同九年ニ於テ 大元帥陛下 竝皇太子殿下御統監ノ特別大演習ニ参加ス
一.優渥ナル 聖旨ニヨリ師團創立以来侍従武官ヲ差遣セラレタルコト十一回
一.明治四十一年以降五回ニ亘リ特命検閲ヲ受ク
一.大正十四年五月一日軍備整理ノ為メ第十八師團ヲ癈止セラル

(碑文より)

第18師団記念碑



第18師団記念碑
(福岡県久留米市諏訪野町・堂女木池)





(平成20年11月20日)
堂女木池



堂女木池
(福岡県久留米市諏訪野町)





(平成20年11月20日)

堂(童)女木池

堂女木池は文化14(1817)年に西野中村あげての工事で築かれた溜め池です。
安政3(1856)年にさらに拡張されています。
村人は田畑への水不足をなくし収穫を増やすために、この溜め池を造りあげました。
この村人の努力は地域の誇るべき歴史として、池に立つ石祠に刻まれています。
昭和5(1930)年、この池周辺は諏訪野公園として整備され、市内の唯一の公園として親しまれ、湛えられた水は周辺の田畑を潤してきました。
平成4〜6年には新たな公園整備がなされ、祭の場として、散策の場として愛され、地域を象徴する場となっています。

平成12年10月9日
童女木を美しくする会・諏訪野水利組合

(碑文より)


戦役記念碑


日清 日露 日獨 戦役記念碑
(福岡県久留米市諏訪野・堂女木池の近く)

陸軍中将従四位勲二等功五級 柴 勝三郎 書




(平成20年11月20日)

久留米師団司令部・門柱



久留米師団司令部・門柱
(福岡県久留米市・久留米税務署)





(平成20年11月20日)

碑文

明治40年10月 久留米師団司令部この地を卜として発足してより50有余年 その間日独戦争 満洲及び支那事変 大東亜戦争と相次ぐ戦火に赫々の武勲を樹て 九州男子の面目を躍如たらしめたるも 昭和20年終戦とともに つわものどもが夢のあととなり果て 昭和23年久留米税務署庁舎と変わり 爾来12年の間 税務行政を通して国家財政に寄与し来るも 昭和36年2月新庁舎完成とともに伝統と偉容を誇りしその建物も あたなく取壊さるる運命となりぬ
今ここに久留米師団司令部の門標を仰げば 任天の英霊来り泣くか悲愁胸を打って言うところを知らず
その親その子はもとより 往時を偲ぶ人達の訪れることもありなんと 近代白亜土の建物の一隅に斯しくはこの碑を樹つ
古語に曰く 霊魂は不滅

昭和36年2月9日建立
発起人
久留米市長 杉本勝次
久留米商工会議所会頭 本村恒次郎
元久留米師団長 園部和一郎
久留米市郷友会会長 牛島慶二
福岡国税局長 澄田智
久留米税務署長 濱田齋治

久留米師団司令部跡



久留米師団司令部跡

(福岡県久留米市・久留米税務署)





(平成20年11月20日)
古写真



久留米師団司令部・古写真
(福岡県久留米市・陸自久留米駐屯地資料館)





(平成20年11月20日)
久留米税務署



久留米税務署
(福岡県久留米市諏訪野町2401−10)





(平成20年11月20日)

【師団(旅団)】

軍隊に師団という形態を最初に取り入れたのは「ナポレオン」といわれている。
陸軍は最初フランス式を採用したが、後にはドイツ式に変わっていった。

明治に入り陸軍が創設され、6個師団が誕生し(明治21.5.14)時代の変遷とともに増(減)設された。
6個師団→12個師団(明治31年)→18個師団(明治40年)→16個師団(大正14年大正軍縮)→19個師団(昭和12年)→終戦まで逐次増設。

明治40年「18師団」久留米に創設。
大正14年「18師団」廃止。
替わって「12師団」が小倉から久留米へ。
昭和11年「12師団」満州へ。
昭和12年「18師団(菊兵団)」復活。
昭和16年「56師団(龍兵団)」創設。

12師団が満州へ派遣された後「菊・龍」等の師団が編成され、中支や南方へ派兵された。
更にその後には留守師団が編成され、補充兵として次々に戦地へ赴いた(戦時中、久留米市内には常に約1万人の兵がいた)

師団の規模は約2個旅団+特科部隊(野砲・騎・工・輜重・衛生・・・・・・)
1個師団は約2万2千〜4千名
1個歩兵聯隊は約3,500名
師団長は陸軍中将
旅団長は陸軍少将
聯隊長は陸軍○○大佐(○○=兵科)

新たに編成された師団(一部省略)
第12師団留守部・留守第12師団・留守第56師団・第86師団・久留米師団・第96師団・第156師団・第212師団・第312師団
第86師団以降は本土決戦に備え九州各地(主に南九州)の防備についた。
太平洋戦争開戦時の総理大臣であった、東条英機も第24旅団長として昭和9年から1年間在籍していた。

(陸自久留米駐屯地資料館・展示パネルより)


歴代師団長
中将 木村 有恒 明治40年11月13日〜明治43年11月30日
中将 大迫 尚道(士官生徒・旧2期) 明治43年11月30日〜大正1年12月26日
中将 神尾 光臣 大正1年12月26日〜大正3年11月26日
中将 斎藤 力三郎(士官生徒・旧4期) 大正3年11月26日〜大正4年5月26日
中将 柴 勝三郎(士官生徒・旧7期) 大正4年6月4日〜大正8年7月25日
中将 高山 公通(士官生徒・旧11期) 大正8年7月25日〜大正11年8月15日
中将 金谷 範三(陸士5期) 大正11年8月15日〜大正14年5月1日
  廃止後復活
中将 牛島 貞雄(陸士12期) 昭和12年9月11日〜昭和13年7月15日
中将 久納 誠一(陸士18期) 昭和13年7月15日〜昭和15年2月10日
中将 百武 晴吉(陸士21期) 昭和15年2月10日〜昭和16年4月10日
中将 牟田口 廉也(陸士22期) 昭和16年4月10日〜昭和18年3月18日
中将 田中 新一(陸士25期) 昭和18年3月18日〜昭和19年9月22日
中将 中 永太郎(陸士26期) 昭和19年9月22日〜終戦

(参考:『日本陸海軍総合辞典』 東京大学出版会発行)


通信隊址の碑



「久留米師団通信隊址」の碑
(福岡県久留米市・陸上自衛隊久留米駐屯地)

元師団長 伊佐一男 書



(平成20年11月20日)

碑文

部隊は 西部第53部隊と通称し 師団の骨幹通信隊として又精強を謳われた菊・竜・烈・剣・積・護西など諸兵団の直轄通信隊の編成母体であった
ここにわれらが青春を捧げた至誠報国の日を偲び 還らざる多数戦友を哀悼するとともに わが国永遠の平和と独立を祈念する

昭和50年7月20日
久留米師団通信隊
縁故者有志

広報資料館



陸上自衛隊 久留米駐屯地
広報資料館(歴史資料館)

(福岡県久留米市国分町100)

歩兵第48連隊本部営舎


(平成20年11月20日)

久留米駐屯地広報資料館

本広報資料館は明治・大正・昭和に至る旧軍郷土部隊、特に第12師団、第18師団(菊兵団)、第56師団(龍兵団)等の貴重な資料や自衛隊関係資料等、約2000点を展示しています。
尚、資料館は明治30年(1897年)に建築された旧軍歩兵第48連隊の本部営舎(2階部)を使用しています。

開館時間:午前8時から午後5時
休館日:土・日・祭日

(リーフレットより)

久留米駐屯地



陸上自衛隊久留米駐屯地
(福岡県久留米市国分町100)





(平成20年11月20日)

《駐屯地の紹介》

昭和27年3月から警察予備隊の一部が当駐屯地に移駐し、同年12月その主力の特科64連隊が長崎県針尾より移駐して久留米駐屯地となった。
その後、昭和29年6月から第4特科連隊と改称され、平成2年3月第4高射特科大隊が第4特科連隊より師団直轄へ改編された。
また、平成15年3月師団改編により、第4後方支援連隊第2整備大隊の特科直接支援中隊及び高射直接支援隊が新編され現在に至る。
なお、佐賀県、福岡県筑後地区(筑後川以南)を担当隊区としております。

(リーフレットより)


忠霊塔



忠霊塔
(福岡県久留米市野中町2・久留米競輪場)





(平成20年11月20日)

忠霊塔の由来

この忠霊塔には、福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、沖縄等各県に亘る、旧久留米師団管区関係戦没陸海空軍人軍属の英霊5千48柱の分骨を祀る。

1.塔の高さ17米「忠霊塔」の文字は渡辺中将の揮毫である。
2.昭和14年7月着工
2年9ヵ月の歳月25万円の巨費延べ11万2千名の銃後赤誠の勤労奉仕により完成した。
3.昭和16年4月10日完成
酒井久留米師団長、志岐奉賛会長、本間福岡、生悦住佐賀両県知事が祭主となり石橋久留米市長始め関係者8千余の参加を得て竣工式および鎮魂式が盛大に執り行われた。
4.建設奉賛会長志岐豊中将、久留米在郷軍人連合分会長高柳常一中佐、畑瀬安太郎中尉並びに直接工事の指導に献身された中山岩吉工兵大尉の奮斗は銃後赤誠の奉仕とともに特筆すべき業績である。

忠魂永久に眠るこの丘に尊い犠牲を偲びいつまでもいつまでもその武勲を称えましょう。

(説明板より)

陸軍橋



陸軍橋
(福岡県久留米市野中町・正源氏公園)


昭和17年3月竣工


(平成20年11月20日)
陸軍橋



陸軍橋
(福岡県久留米市野中町・正源氏公園)


昭和17年3月竣工


(平成20年11月20日)

師団兵器部跡



師団兵器部跡
(福岡県久留米市諏訪野町1830−6・えーるピア 久留米)





(平成20年11月20日)



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