第22駆逐隊


第22駆逐隊慰霊碑



第22駆逐隊 慰霊碑
長月 水無月 文月 皐月

(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地




(平成20年11月23日)

第22駆逐隊慰霊顕彰碑文

第22駆逐隊(皐月 文月 水無月 長月)は大正の末より昭和の始めにかけて建造された睦月型12隻中の4艦で 上海及び支那の両事変に参加
大東亜戦争開戦時は比島部隊として アパリ リンガエン湾の上陸作戦に参加し 続いてマレー半島 ジャワ島方面に作戦行動した
昭和17年4月以降は第一海上護衛隊に編入され 18年1月まで南西方面から西南太平洋に及ぶ広範な海域の船団護衛に従事したが ガダルカナル争奪を巡る死闘に参加すべく 第22駆逐隊は第8艦隊に編入され 18年2月の3次に及ぶ「ガ」島撤収作戦に参加 1万数千名に及ぶ将兵を救出した。
その後各艦ソロモン海域を中心にニューギニア方面など広大な海域の護衛 並に 補給作戦に東奔西走して席暖まる暇なく 敵の優勢な航空兵力や電波兵器に多大の苦労と危険を強いられるにいたった
「長月」は18年7月6日コロンバンガラ島へ兵力強行輸送の途次 クラ湾夜戦で座礁 翌朝敵機の爆撃で破砕された
「文月」はラバウルで敵機と交戦損傷してトラックに回航修理中 19年2月17日の大空襲で直撃弾至近弾を受け浸水翌18日沈没
「水無月」は19年6月「あ」号作戦時 中部太平洋艦隊の第30駆逐隊に編入され 西南太平洋方面で護衛作戦中 19年6月6日セレベス海に於いて敵潜水艦の攻撃を受け沈没全員戦死
「皐月」は19年1月カビエン輸送作戦時 敵機と交戦損傷の為内地に回航修理後 連合艦隊直属となり 南西太平洋海域の船団護衛に従事中 19年9月21日マニラ湾に於いて敵機動部隊の空襲を受け沈没
かくて第22駆逐隊はここにすべてその勇姿を南海に没した
この間 飯野忠男皐月艦長 磯部慶二水無月艦長以下3百有余の戦友が護国の鬼と化した
この碑は青春を国に捧げ若くして戦いに殉じたこれ等勇敢なる戦友の御霊を慰めんがため遺族並びに生き残りの戦友相はかり併せて我が国永遠の平和を祈願して奉納したものである

昭和63年10月
元長月艦長 二ノ方 兼文
第22駆逐隊遺族生存者一同

第22駆逐隊慰霊碑

一等駆逐艦
皐月さつき 水無月みなづき 文月ふみづき 長月ながつき
4隻とも睦月型
大正14年から昭和2年にかけて、藤永田、浦賀、藤永田、石川島でそれぞれ竣工

「睦月」型は12隻建造されたが、その全てが佐世保を本籍とした。
わが特型駆逐艦が出現するまで世界最強の駆逐艦といわれ、満州事変、上海事変、支那事変(日中戦争)、大東亜戦争(太平洋戦争)において大活躍をし、全艦戦没している。
第22駆逐隊は大東亜戦争始まるや比島攻略戦、アパリ攻略作戦、リンガエン上陸作戦を支援。
次いでマレー攻略船団護衛作戦、ジャワ攻略作戦に従事し、戦況苛烈なるに従い、ソロモン諸島、ニューギニア等への輸送を担当、ガ島撤収作戦にも参加している。
昭和18年7月4日、午後10時15分、コロンバンガラ島へ緊急輸送の任務を持った第22駆逐隊は、巡洋艦3隻を基幹とする米艦隊を発見。
これに魚雷攻撃を加え、米駆逐艦ストロングを撃沈した。【クラ湾海戦】
ついで、第22駆逐隊を含む第3水雷戦隊(駆逐艦10隻)は、チョイセル島寄りに進撃中の7月5日午後11時5分、米艦隊(重巡3、駆逐艦4)と遭遇するやたちまち激しい砲魚雷戦となった。
結果は、米重巡ヘレナは沈没。
我が方も「新月」が沈没、「長月」が座礁。【クラ湾夜戦】
座礁した「長月」は僚艦の「皐月」が引き降ろしを試みたが成功せず。
「長月」には陸軍砲兵隊が乗艦しており、急速荷揚げに艦載の内火艇と短艇がフルに活用され、陸海軍の必死の協力で揚陸を完了。
夜が明けるや、早速ガダルカナル島から米軍機約40機が来襲し、夕方には弾火薬庫が爆発して「長月」は原型を留めない姿となって放棄された。
生存者約100名は、命令により揚陸したコロンバンガラ島を守備している横須賀鎮守府第7陸戦隊に編入され、隣接のニュジョヤ島に進攻して来た米軍と戦うことになった。
昭和18年7月12日、コロンバンガラ島沖夜戦が生起。
これはコロンバンガラ島へ陸兵1200名を輸送するためラバウルを出撃した第1水雷戦隊と、これを阻止する米艦隊との間に起こった海戦である。
我が兵力は軽巡1、駆逐艦9で、第22駆逐隊からは「皐月」と「水無月」が参加している。
結果は、我が方の損害軽巡「神通」沈没に対し、米側は駆逐艦ダウィン沈没、米軽巡セントルイス、同ホノルル、ニュージーランド軽巡リアンダーの軽巡3隻大破となり、日本側に軍配は上がった。
第22駆逐隊は9月末から10月始めにかけて行われた「セ」号作戦輸送に従事。
続いて10月上旬と下旬に東部ニューギニア方面とソロモン諸島に対する輸送を実施。
10月2日、ボーゲンビル沖海戦が起こり、これには第22駆逐隊からは「文月」が参加している。

昭和19年2月17日と18日に我が海軍の主要根拠地であるトラックに大規模な空襲があり、2日間のわが損失は艦艇11隻、輸送船31隻、航空機270機という膨大なもので、この戦闘で第22駆逐隊の「文月」が沈没している。
「水無月」は昭和19年6月6日に戦没。
ジャワ攻略戦以降、他の3艦とは別に主として船団護衛に従事。
昭和18年3月以降はソロモン諸島輸送作戦に参加、5月中旬にはサイパン〜ヤップ間の陸兵輸送護衛に任じている。
6月6日、比島ダバオを出港して「興川丸」を護衛中、ダバオの南東セレベス島において米潜水艦ハーダーの雷撃を受け沈没。
乗組員は全員戦死。
昭和19年4月から8月まで一時的に駆逐艦「夕凪」が第22駆逐隊に籍を置いてソロモン方面の輸送に参加している。
「夕凪」は所属していた第29駆逐隊が昭和18年2月に解隊となり、そのあと佐世保で修理に従事していたため、暫時第22駆逐隊に編入になったものと思われる。
なお、同艦は昭和19年8月20日、第22駆逐隊が解隊されると、第30駆逐隊に編入になり、8月25日、高雄から比島へ向けて船団護衛中、ルソン島北西岸において米潜水艦の雷撃を受けて沈没した。
「皐月」も8月20日付で「夕凪」と共に第30駆逐隊に編入になったが、内地からシンガポール間の船団護衛を行い、その帰途の9月21日、マニラに入港して「興川丸」に横付け、補給を受けている時に大空襲に遭遇、沈没した。

かくて第22駆逐隊を編成した4艦は、「皐月」を最後に全て姿を消したのである。
飯野忠男「皐月」艦長、磯部慶二「水無月」艦長、以下300有余柱の英霊を祀る。

(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)


【睦月型】

八八艦隊計画の航洋型大型駆逐艦として「峯風」型15隻、「神風」型9隻が造られていたが、ワシントン条約で主力艦を制限されたため、巡洋艦や駆逐艦の能力向上が求められた。
魚雷を強力な61センチに変更し、発射管も3連装2基としたのが本型である。
船体は「神風」型とほぼ同様のものだったが、61センチ魚雷の採用により、水雷兵装の重量が増大。
50トンの増加をみて、速力も低下した。
実際に前型と比べて旋回性能や凌波性能が低下していると報告されている。
太平洋戦争ではすでに艦齢は古くなっていたが、61センチ魚雷を搭載していたことと駆逐艦の数が常に足りなかったことから、終戦まで第一線の戦力として使われ、対空兵装の強化も行われたが、全艦が戦没している。

【要目】

常備排水量:1445トン
機関出力:3万8500馬力
速力:37.25ノット
航続力:14ノットで4000海里
乗員数:154名
兵装:12cm単装砲×4
    7.7mm単装機銃×2
    61cm3連装魚雷発射管×2

【同型艦】

睦月 大正15年3月25日竣工〜昭和17年8月25日戦没
如月 大正14年12月21日竣工〜昭和16年12月11日戦没
弥生 大正15年8月28日竣工〜昭和17年9月11日戦没
卯月 大正15年9月14日竣工〜昭和19年12月12日戦没
皐月 大正14年11月15日竣工〜昭和19年9月21日戦没
水無月 昭和2年3月22日竣工〜昭和19年6月6日戦没
文月 大正15年7月3日竣工〜昭和19年2月18日戦没
長月 昭和2年5月7日竣工〜昭和18年7月6日座礁放棄
菊月 大正15年11月20日竣工〜昭和17年4月5日戦没
三日月 昭和2年5月7日竣工〜昭和18年7月28日戦没
望月 昭和2年10月31日竣工〜昭和18年10月24日戦没
夕月 昭和2年7月25日竣工〜昭和19年12月13日戦没

(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)




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