第24師団通信隊

(通称:山3482部隊)


第24師団
昭和14年10月2日編成。昭和20年6月30日に沖縄で玉砕してしまいました。
主な所属部隊(終戦時)
歩兵第22連隊(編成地=松山) 通称・山3474部隊
歩兵第32連隊(編成地=山形) 通称・山3475部隊
歩兵第89連隊(編成地=旭川) 通称・山3476部隊
野砲兵第42連隊(編成地=満洲・海城) 通称・山3480部隊
工兵第24連隊(編成地=熊本) 通称・山3481部隊
輜重兵第24連隊(編成地=東安)

第24師団通信隊慰霊碑 「鎮魂 第24師団通信隊」の碑


愛知県幡豆郡の三ヶ根山にある”殉国七士の墓”の近くにあります。

碑文

第24師団通信隊は 元関東軍独立守備歩兵第10大隊として 満州にあり 寛城子 范家屯 前郭旗 徳恵に駐屯  鉄道守備、匪賊討伐等治安維持作戦に従事 支那事変の一翼をも坦いおりしが 昭和14年7月 ノモンハン事変に一部出動 多数の尊い犠牲者を出し 9月事変終了後 第24師団の新設に伴い 大隊を解散一部精鋭を以って10月 第24師団通信隊を 寛城子に於いて編成 12月ソ満国境 東安え進出 山形 北海道の強兵を迎え 国境警備の重大任務に従事中 昭和19年7月 南方戦線の緊迫により急遽 沖縄本島え転進 沖縄の精兵を加え 米軍の侵攻に備え居りたり 然るに 翌20年3月26日 慶良間諸島に上陸したる米軍は 31日神山島を占拠 4月1日4ヶ師団の大軍を以って 本島 嘉手納海岸に上陸せり 我が軍はこれを迎撃 各地に於いて 壮烈なる死闘を展開したるも 戦い利非ず 6月23日 摩文仁の第32軍司令部を攻略せし米軍は 宇江城に在りし 第24師団司令部に総攻撃を加え来たり 我が部隊は 保科清一郎隊長 以下全員 決死斬込隊となり 6月15日より28日まで 新垣 真栄平地区に 米軍を迎え 連夜出撃 敵陣に突入 激闘 玉砕を遂げたり
依ってここに 部隊創立後 除隊 転属 等せし戦友の生存者相集い 編成以来の 戦没者 物故者の 御霊 の安らかに鎮まれと祈念し この碑を建て 第24師団通信隊員の 堅き絆を 永遠に留めおくものなり

昭和61年11月吉日

東通会


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