二式小銃(テラ銃)


 平成25年6月11日

フィリピン共和国ルソン島・クラーク博物館






二式小銃(テラ銃)


帽子のすぐ下の銃




(平成25年6月11日)

【二式小銃(テラ銃)】

陸軍兵器本部は、昭和13年9月頃から口径6.5ミリの三八歩兵銃にかわって、口径7ミリ級の新小銃の改良が試作され、名古屋造兵廠案の7.7ミリ小銃が昭和14年に制定された。
この小銃は九九式小銃と名付けられた。

九九式小銃要目
口径 7.7ミリ
弾薬 九九式小銃実包
全長 112センチ
銃身長 65.7センチ
重量 3730グラム
装弾数 5発

この九九式小銃の中で、銃身薬室部で分離するものを二式小銃と称した。
これは落下傘降下部隊の兵士が身につけて降下するためコンパクト化されたもので、二式小銃は「テラ銃」と呼ばれて降下部隊(テラは挺身落下傘部隊の意味)の正式小銃となった。

(参考:月刊雑誌『丸』別冊 『日本兵器総集(昭和16年~20年版)』 昭和52年発行)


【二式小銃】

昭和17年後期に、太平洋戦争も激化し、空挺降下部隊の制式編成も真剣に考慮された結果、試製100式小銃のように分離式の小銃が最適となり、本格的な落下傘隊員用の分離式小銃が開発された。
これが昭和18年に完成された二式小銃である。
昭和17年に計画が決定され、現実に完成したのは1年遅れて昭和18年となったが、計画した年(昭和17年=皇紀2602年)から二式と名付けられた。

二式小銃は銃身と薬室部で結合されているが、九九式小銃がベースで、分解は銃の右側にある環をつまみ、4回廻して引き抜くと銃身を前方に引き抜くことができた。
結合はこれと反対の操作を行う。
二式小銃の製造は九九式小銃をベースとしたため、生産数は少なく、現在日本に残っているのは千葉県習志野市に駐屯する陸上自衛隊の空挺資料館だけである。

(参考:『日本陸軍兵器集』 KKワールドフォトプレス 昭和57年発行)


【二式小銃】

日本陸軍が九州、新田原に教導挺進第1連隊の名でパラシュート部隊を創設したのは昭和16年11月である。
初期の作戦では降下の時、大型の十四年式拳銃と手榴弾、三十年式銃剣だけが携帯用兵器だった。
しかし、昭和19年、レイテ島の敵飛行場に降下した高千穂空挺隊(第二挺進団)など九九式軽機関銃を別のパラシュートに付けて下ろし、地上で回収して戦ったという。
昭和17年の二式小銃は、九九式小銃を3年後に改造したもので、パラシュート部隊で使用する際、半分に折りたためるよう改造され、輸送機から飛び降りる際、身体に付けて降下する。

昭和20年、フィリピン・ルソン島のクラーク飛行場群を守って、米第25および第33師団に敗れた第一挺進集団の第一挺進団の例では、九九式軽機関銃1挺に対して二式小銃17挺の割合で装備していた。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)


【二式小銃】

昭和18年、二式小銃がパラシュート部隊用に採用された。
九九式7.7ミリ小銃を真ん中から二つ折りにした型である。
九九式小銃は三八式6.5ミリ小銃より16センチ短く1.12メートル。
これを半分に折り、胸の銃袋に入れて降下する。
使用時には凹部と凸部を合せて組み立てるのだ。
テラ銃とも言われるパラシュート部隊用の小銃があれば、敵前で別のパラシュートで降りてくる兵器類を捜す必要はない。

米・英のパラシュート部隊は日本より1年もおくれて実戦に出た。
米、英、ドイツとも日本のようにパラシュート部隊用に銃をわざわざ二つ折りにした新兵器を開発してはいない。
この意味では我が国の技術陣は他国に一歩先んじていたことになる。
だが、ただでさえ生産力の劣る日本が製作の面倒な、精密さを必要とする兵器を別に生産したことは、他の方面に悪影響を及ぼしたに違いない。

(参考・引用:木俣滋郎 著 『陸軍航空隊全史』 朝日ソノラマ 1994年7月第6刷発行)

(令和2年10月11日 追記)



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