四年式15センチ榴弾砲


 平成23年9月15日

福岡県北九州市・小倉城

復元記念碑

四年式十五珊榴弾砲 砲身車(大正13年製)

この野戦重砲の特徴は砲架車と砲身車に区分し機動力増大、湾曲弾道の利用と発射速度の増強は用兵技術の進歩戦略の妙と共に我が國野戦砲の雄と稱賛された

紀元2036年 昭和51年7月吉晨 有志建之

(碑文より)





弾薬
(福岡県北九州市・小倉城




(平成23年9月15日)

この大砲の弾薬

この弾丸は榴弾(重さ36キロ)といいますが、この外に榴霰弾(弾子1050箇収容)、破甲榴弾、発煙弾等があって堅固な陣地や構築物の破壊或は密集部隊等に対し、夫々の目的用途によって使用されました。
薬筒には色々な薬包を装薬して発射されましたが、その射距離は約9000mに達しました。

紀元2642年  昭和57年12月吉晨

(碑文より)


【四年式15センチ榴弾砲】

口径   :149.1mm
砲身長  :219cm
重量   :2,800kg
初速   :399mm/sec
最大射程:8,800m

(参考:『日本陸軍兵器集』 KKワールド フォト プレス 昭和57年8月第2刷発行)


【四式15センチ榴弾砲】

日露戦争の際にクルップ社から購入した三八式15センチ榴弾砲は設計に欠陥があって、野戦重砲として十分ではなかった。
明治41年4月、陸軍大臣の認可を得て大阪工廠に試製を発注し、約1ヵ年を経て第1号砲が竣工した。
その後、大正3年7月には、富士裾野での行軍演習を実施し、1門1000発の実弾射撃を行なった結果、性能優良と認められて、大正4年3月、制式を制定された。
本砲は、第1号竣工以来、制式となるまでに6ヵ年の歳月を要した。
本砲は制定後10年目には威力増大のための改造要求が出され、その後も度重なる改修が行われたために、火砲の堅牢さを損なうことになってしまったことは、他の改造火砲と同様に我が陸軍の弊害がもたらしたものであった。

本砲は大正7年5月の平時編成改正で、それまでの重砲兵連隊から改編された野戦重砲兵連隊に逐次装備されていった。
一般的には2大隊6中隊編成(平時は4中隊)で、各中隊は指揮小隊(観測、通信)と、2小隊4門の砲車隊と4弾薬車の弾薬小隊からなる戦砲隊、さらに中隊段列とで構成されていた。
部隊携行弾薬は1門あたり2基数百発とされていた。

本砲は砲身車と砲架車の二つの砲車を各6頭の馬で輓曳し、放列布置に際しては両車を連結し、砲身を砲架車の上に移動させて放列砲車とする方式である。
ただし、この作業は人力で行われるので、相当の体力が必要とされた。

本砲の弾薬は分離薬筒式で、主として榴弾が使用され、その破壊力の大きさと、炸裂音の及ぼす精神的圧迫、特に集中射撃の場合の効果は強大なものがあった。
薬筒には甲、乙の2種があり、Ⅰ号装薬からⅤ号装薬までが用いられた。

本砲の構造上の特色は、前述の二車分解式のほかに、特異な形状の垂直鎖栓式閉鎖機がある。
これは一挙動で開閉でき、他に類例がない。

(参考:佐山二郎 著 『大砲入門』 光人社NF文庫 1999年9月発行)



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