八九式十五糎加農砲

(はちきゅうしき・じゅうごせんち・かのんほう)


八九式十五糎加農砲 平成15年10月2日
東京都千代田区九段・靖國神社遊就館

八九式十五糎加農砲

昭和4(皇紀2589)年に制式化された火砲で開脚式かいきゃくしき装輪砲架そうりんほうかを持ち、長射程、大威力を誇った。
移動には砲身、砲架をそれぞれ8トン牽引けんいん車で運搬した。
この砲は沖縄の戦闘において独立重砲兵第100大隊(横須賀で編成)が使用し、首里しゅり附近の陣地から嘉手納かでなの飛行場を制圧する等、軍砲兵の骨幹として活躍した。
砲身を刳えぐり、脚を穿うがった多数の弾痕だんこんは激戦の跡を生々しく物語っている。
戦後洞窟陣地から発掘され、沖縄の米軍博物館に、復帰後は那覇の陸上自衛隊で展示されていた。
日本に現存する唯一の十五加であり、重砲兵の記念碑として平成5年4月、重砲十五加顕彰奉納会から奉納されたものである。

(説明板より)

加農砲

加農砲とは砲身の長さが口径の20倍以上の砲の呼び名で高初速、長射程がえられる。
弾道は低伸し命中精度が高い。
戦車砲・対戦車砲・高射砲・海軍の艦砲等は代表的な加農砲である。
砲身の短いものは榴弾砲、更に短いものは迫撃砲(臼砲)と呼ばれる。

(説明板より)

八九式十五糎加農砲


八九式十五糎加農砲




靖國神社・遊就館
(平成15年10月2日)

データ

口径:149.1mm
砲身長:472.5cm
放列砲車重量:10,422kg
砲弾重量:40.2kg
初速:734メートル/sec
発射速度:1〜2発/分
最大射程:18,100m


【独立重砲第百大隊】

沖縄で奮戦した独立重砲第百大隊の編成は次のとおりである。
独立とは師団につかず、その上の「軍」の直轄兵力であることを示す。

独立重砲第百大隊
司令部(大隊長:中佐): 105名 トラック1台
第1中隊(158名):八九式15センチカノン砲 4門
            九二式8トン牽引車(新潟鉄工製) 8台
            九二式重機関銃(自衛用) 1挺
第2中隊(158名):第1中隊と同じ

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月15日 追記)


八九式十五糎加農砲は昭和4年に制定されましたが、昭和6年の満洲事変には参加せず訓練を続けていました。
本格的に出動して実戦に参加したのは、太平洋戦争初期の比島のコレヒドール島の攻防戦でした。
この時に10門の八九式十五加が参加して活躍しています。
この砲の運搬は、砲身車と砲架車をそれぞれ8トン牽引車で牽引しました。
射撃(放列)姿勢は陣地到着1時間で完了しました。


八九式15センチ加農砲 平成21年3月3日

パプアニューギニア独立国・ニューブリテン島ラバウル・ココポ博物館

八九式15センチ加農砲 八九式15センチ加農砲
八九式15センチ加農砲 JAPANESE 150mm GUN
MODEL 89(1929)
Range 22000yds
Weight 7500kg
Rate of fire 1 to 2 rounds per minute
Recovered from KoKopo Police Station

旅日記参照

(平成21年3月3日)

【八九式15センチ加農砲】

大正9年、装輪式15センチ加農砲の研究開始。
大正11年10月、設計完了。
大正13年3月、砲車だけが竣工。
昭和4年10月、制式制定。
実際に本砲を使用できるようになるまでには、ほとんどやり直しに近い大改修を行っている。
昭和8年4月、本砲の改正が制定される。

本砲は砲身車、砲架車の二車編成のため、運行姿勢から射撃準備完了まで2時間を要した。
このため、砲車をそのまま牽引できるように改造した試製単車八九式15加が研究され、相当数が整備された。

本砲の構造上の特徴は後座変換装置。
これは射角20度までを長後座、射角40度までを逓変後座とし、射角40度以上を短後座とて、外から節制桿を回して調整した。
最大射角では砲尾下の地面を50センチ掘り下げる。
また、方向射界は40度あるので、架尾を移動することなく、そのまま射撃できる正面の幅は、射距離8000mで5800m、射距離1万9000mでは1万3800mと広かった。
最大発射速度は1分間に約2発。

移動には、砲身車と砲架車に各々前車を付けて九二式8トン牽引車で牽引。
速度は常速度で時速8km、急速度で時速12km。

【牽引車】

牽引車名称:九二式8トン牽引車
牽引火砲:八九式15加
馬力:75馬力
速度:時速16km

(佐山二郎著 『大砲入門』 光人NF文庫 1999年発行)

(平成24年1月28日追記)


【八九式15センチカノン砲】

昭和4年、八九式15センチカノン砲が制定された。
これは4年前の14年(大正)式10センチカノン砲とよく似ており、これを拡大したものである。
しかし大きすぎるので、砲身と砲架(大砲の基部)とを二つに分け、それぞれ8トン牽引車で引っ張る方式だ。
そのため組み立てには1時間余を要する欠点があった。
砲の口径は10センチ砲の1.5倍なのに大砲の重量は3倍余の10.4トンとなり、砲弾重量は2.5倍であった。

この砲は野戦重砲連隊に入れられて、「軍」あるいはその上の「方面軍」で使用された。
さすがに重砲だけあって1個中隊にも2門しかない。
3個中隊で1個連隊を成したから、1個連隊には、この砲が6門あった計算だ。
旧式ながらも太平洋戦争末期まで活躍した。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月15日 追記)




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