八九式重擲弾筒 じゅうてきだんとう


 平成21年3月19日

グアム島・太平洋戦争博物館




Japanese Model 89 (1929) 50mm grenade launcher.
Often referred to as the "Knee Mortar", it was not used on the knee.

(説明文より)



(平成21年3月19日)

擲弾筒てきだんとうは日本陸軍が装備していた個人用携帯火器で、花火筒のような小さな円筒から精度の高い榴弾を発射する、構造的には小型迫撃砲である。
3〜5kgという兵士が片手で保持して戦場を移動できる簡便性は日本陸軍独特のもの。
擲弾筒は迫撃砲と同じ放物線の曲射弾道をもつので、投擲位置が敵の目から遮られた場所からでもよく、また塹壕の中や建物の陰に隠れている敵を上方から撃破することが出来た。
八九式重擲弾筒は一〇年式に続いて昭和4年制式化された。
外見は一〇年式に似ているが、重量が増えたことから(一〇年式は2.5kg)重擲弾筒(略して重擲)と呼ばれた。
構造は筒・支柱・駐板ちゅうばんからなり、筒内には螺旋状の溝が刻まれており、これが八九式榴弾の弾体に巻かれている銅体と噛み合って旋転を起こして正確な曲射弾道を得る事ができた。
射距離の調整は筒身下部についている転輪(整度器)によって行なわれ、これを廻すと撃鉄機構が上下して必然的に筒内の薬室としての容積が増減して射程が変化した。
撃針機構の最下端にバネ式の引き金があり、引革によってこれを支柱に直角に引くと、バネが圧縮され、続いて結合がはずれて撃針を上方に突進させ、その先端が装填された弾薬底を強打して撃発投擲された。
支柱には2種の距離目盛が印されていて、1つは榴弾用、1つは手榴弾用となっていた。
一〇年式擲弾筒てきだんとうと同じ弾薬のほか、特にこの擲弾筒のために開発された八九式榴弾も併せて、擲射できた。
発射には45度の角度を保持して行なうことが原則となっているが、極めて射距離の短い零距離射撃のような場合には、もっと射角を低めて発射することもできた。
彎曲した駐板は地面に噛ませて安定させるようになっているが、その他にも車輛の側板とか木の枝などの固体に噛ませて発射する。
擲弾筒は、歩兵の一般分隊に1門ずつ装備され、簡易迫撃砲として歩兵に密接な協力をした。
射程は、一〇年式では最大射程が200mだったが、八九式では650mに増大した。

【八九式重擲弾筒】

口径:    50mm
全長:    61cm
筒長:    25.4cm
重量:    4.7kg
発射速度: 20発/分
距離目盛: 八九式榴弾用(120〜650m)、九一式手榴弾(40〜190m)
最大射程: 650m(八九式榴弾)
最低射程: 40m(九一式手榴弾)

(参考:月刊雑誌『丸』別冊 『日本兵器総集(昭和16年〜20年版)』 昭和52年発行)
(参考:『日本陸軍兵器集』 KKワールドフォトプレス 昭和57年発行)


【八九式重擲弾筒】

擲弾筒は第一次世界大戦でフランス軍が使用したブィブァン・ベシェールにヒントを得て考案された。
ブィブァン・ベシェールは、小銃の先端に円筒を螺着して特殊弾を込め、小銃実包を発射することによって、この弾を放射する仕掛けであった。
わが国では小銃に取り付ける発射用円筒の代わりに擲弾筒を作り、一般の手榴弾を発射できるようにした方が合理的だと考えられ、独特の擲弾筒と曳火手榴弾を考案した。
最初の十年式擲弾筒は射程150mぐらいだったが、後に射程670mの八九式重擲弾筒に改められた。
擲弾筒の採用により、各種信号弾、照明弾も発射できるようになり、戦闘指揮に有利となった。
十年式擲弾筒は軽量で使いやすく、歩兵に喜ばれたが、その後、射程を増大するために、腔綫のある筒で導帯拡張式の小型榴弾を670mまで射撃できる擲弾筒を新たに研究、昭和5年に採用されたのが八九式である。
八九式はただちに量産に入り、満州事変では盛んに使用された。
八九式は120mから670mまで火制できたが、より近距離から遠距離まで撃てるものが要求され、昭和10年から有翼弾式擲弾筒の研究が始められた。
口径50ミリの有翼弾で、約800mの射程が得られたが、時局の形勢は八九式の大量整備に向けられ、この試製一〇〇式重擲弾筒は採用されなかった。

八九式重擲弾筒の発射は、方向照準線を合わせ、45度の発射角度を保持して整度器を調整し、射程を決める。
引革を引くとバネが圧縮され、逆鉤が外れて撃針が弾薬の雷管を突き上げて装薬が点火する。

(諸元)
重量:約4.7kg
発射速度:30発
最大射程:670m
弾種:八九式榴弾・一式発煙弾・一式目標指示弾・五式穿甲榴弾

(佐山二郎著 『大砲入門』 光人NF文庫 1999年発行)

(平成24年1月28日追記)


 (平成22年6月5日)

GRENAD DISCHARGER  50mm,type 89

【ハワイ・陸軍博物館】 (旅日記参照)

(平成27年6月24日・追記)


【八九式重擲弾筒】

大正10年(1921年)、小さな十年式擲弾筒が作られた。
十年式は日本初の擲弾筒で、よく爆発事故を起こしたので、太平洋戦争中は主として、信号弾や夜間の照明弾を打ち上げるのに用いられた。
8年後に採用されたのが、この八九式である。
これは後に1個小隊に1門ずつ配置された。
射手の肩に担がれて移動する。
1門につき、2人ずつの弾丸運びがつく。
弾丸運びは三八式小銃とその弾丸120発ずつを持つが、射手とともに擲弾筒の弾丸18発ずつも腰のベルトに入れて運ぶ。
したがって1門あたり18発×3人=54発が用意された。

同じ時にできた口径5センチの八九式高性能弾(HE弾)なら700メートル、九一式手榴弾なら200メートル近く飛ぶ。
昭和15年に改訂された歩兵操典に、「不発の時は、射手は数回、引革(引き金にあたる)を引き、なお発火せざる時は『不発』ととなえ、弾薬を抽出す」などとある点からして、これも故障が多かったらしい。

八九式擲弾筒は、重装備の1個師団には189個が定数として配られている。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月15日 追記)




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