八九式中戦車


八九式中戦車 平成18年2月10日

八九式中戦車
乗員 4名
重量 12.7 t
全長 5.75m
全幅 2.18m
全高 2.56m
最高速度 25 km/h
馬力 118 PS
装備 九〇式57mm戦車砲 1
九一式6.5mm軽機関銃 1

(説明板より)

※車載機関銃は正しくは2丁搭載

八九式中戦車



八九式中戦車
(茨城県稲敷郡阿見町・陸上自衛隊武器学校)





(平成18年2月10日)
八九式中戦車




八九式中戦車






(平成18年2月10日)

八九式中戦車

英国ビッカース社のC型中戦車を参考に作られた
昭和4年制定
総生産台数は404輌

八九式中戦車甲型=ガソリンエンジン装備車
八九式中戦車乙型=ディーゼルエンジン装備車

八九式中戦車の装甲

37ミリ級の平射歩兵砲の榴弾に対して、車体正面は50メートル以下の近距離から射撃されても安全、砲塔と車体側面は400メートル以内から射撃されない限り安全、という防御力を目標としていた。
装甲=車体前面17ミリ、車体側面15ミリ、砲塔前面及び側面17ミリ。

九〇式57ミリ戦車砲

狙撃砲・平射歩兵砲の系列。
軽量で砲手一人のみで操作可能。
砲手が肩で担ぐようにして自在に照準し、右手で次の砲弾を装填して立て続けに射撃ができた。

八九式中戦車の初陣

昭和7年1月、上海事変で第1戦車隊から独立戦車第2中隊(長:重見伊三雄大尉)が出動したときに、装備車として八九式中戦車が初めて使われた。
(八九式中戦車5輌、ルノーNC軽戦車10輌)

参考文献:
学習研究社発行『歴史群像太平洋戦史シリーズ25 陸軍機甲部隊』

学習研究社発行『歴史群像太平洋戦史シリーズ34 戦車と砲戦車
加登川幸太郎著『戦車ー理論と兵器ー』


【八九式中戦車】

八九式中戦車は英国の新C型戦車を真似たもので最厚部の装甲1.7センチを持ち、118馬力のガソリン・エンジンで時速25キロの速度を出すことができた。
今のバス1台の馬力だが、スピードは意外に遅い。
砲身の短い九〇式5.7センチ戦車砲1門を砲塔におさめ、前部と砲塔の斜め後ろに九一式車載軽機関銃1挺ずつを備えていた。
この機銃は十一年式軽機関銃(6.5ミリ)の脚を取り外して台を付けたものだ。
また5.7センチ砲は当時の列強の戦車と同じ口径だったが、非常に砲身が短く、弾丸は遠くまで届かないのが欠点。
いわゆる“小便弾”となり、すぐ地上に落ちてしまう。
だが榴弾なので、細かい破片となって飛び散るから広い面積に散開している敵歩兵を一度に倒すには、機銃よりも有効な兵器だった。

日本陸軍は上海戦で、フランスのルノーNC戦車と八九式中戦車の両方を投入し、両方の使用成績を比較した。
ルノーNC戦車は前大戦後、各国が買った特売用の小型戦車ルノーFT型より新しい、60馬力の2人乗りの戦車だ。
実戦の結果、ルノーはエンジンが過熱したり、スプリングの故障が続出したりしたが、八九式中戦車は、悪路でも武装の面でも優秀だった。

八九式中戦車の試作は、大砲のメッカ、大阪造兵廠だった。
だが、ガソリン・エンジンの代わりに冷却水の不要なディーゼル・エンジンが5年後に完成すると、三菱重工がその量産を引き受けた。
そして東京の西、大井に専用工場を設立し、八九式中戦車の生産を開始したのである。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月15日 追記)


【八九式中戦車】

八九式中戦車は英国の新C型戦車を真似たもので最厚部の装甲1.7センチを持ち、118馬力のガソリン・エンジンで時速25キロの速度を出すことができた。
今のバス1台の馬力だが、スピードは意外に遅い。
砲身の短い九〇式5.7センチ戦車砲1門を砲塔におさめ、前部と砲塔の斜め後ろに九一式車載軽機関銃1挺ずつを備えていた。
この機銃は十一年式軽機関銃(6.5ミリ)の脚を取り外して台を付けたものだ。
また5.7センチ砲は当時の列強の戦車と同じ口径だったが、非常に砲身が短く、弾丸は遠くまで届かないのが欠点。
いわゆる“小便弾”となり、すぐ地上に落ちてしまう。
だが榴弾なので、細かい破片となって飛び散るから広い面積に散開している敵歩兵を一度に倒すには、機銃よりも有効な兵器だった。

日本陸軍は上海戦で、フランスのルノーNC戦車と八九式中戦車の両方を投入し、両方の使用成績を比較した。
ルノーNC戦車は前大戦後、各国が買った特売用の小型戦車ルノーFT型より新しい、60馬力の2人乗りの戦車だ。
実戦の結果、ルノーはエンジンが過熱したり、スプリングの故障が続出したりしたが、八九式中戦車は、悪路でも武装の面でも優秀だった。

八九式中戦車の試作は、大砲のメッカ、大阪造兵廠だった。
だが、ガソリン・エンジンの代わりに冷却水の不要なディーゼル・エンジンが5年後に完成すると、三菱重工がその量産を引き受けた。
そして東京の西、大井に専用工場を設立し、八九式中戦車の生産を開始したのである。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月15日 追記)


【ノモンハン】

昭和6年(1931年)から装備化が始まり(わずか12両)、満州事変にギリギリ間に合う。
量産に移るときから37ミリに代えて57ミリ砲を搭載。
昭和10年(1935年)からは発火しやすいガソリンエンジンに代えて世界初の空冷ディーゼルエンジンを装備。
試作が行われてからちょうど10年後にノモンハンで45ミリ対戦車砲を搭載したソ連のBT戦車、T26戦車と戦うことになる。
わが国の戦車は歩兵に直接協力して敵の機関銃座を破壊するのが主任務で、敵の戦車との交戦は二の次。
このため、砲身口径比も18と歩兵砲程度に小さい。
砲身口径比は、砲身長と口径の比で、これが大きいほど砲は細長く、弾を高速度で発射できる。
ソ連の戦車は、敵の戦車に対する対戦車兵器は戦車であるという思想なので、砲身口径比は46と比較にならないほど大きい。
ノモンハン戦では、このソ連軍戦車に悩まされるだけではなく、ソ連軍が張り巡らしたピアノ線に引っかかって立ち往生したところを45ミリ対戦車砲の速射を浴びた。
虎の子の2個の戦車連隊(中・軽戦車73両)は40%にのぼる損害を受け、「温存」のため戦場から退いた。

(参考:徳田八郎衛 著 『間に合わなかった兵器』 光人社NF文庫 2001年発行)

(平成25年8月25日 追記)



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