九二式十糎加農砲

(きゅうにしき・じっせんち・かのんほう)


 平成22年11月20日

ソロモン諸島・ガダルカナル島

昭和10年製 大阪工廠(製造bP1)

本砲は、野戦重砲第7連隊の砲ではないかと思われる。

【ガダルカナルの戦い】

九二式10センチカノン砲は、九六式15センチ榴弾砲とともに、昭和17年、ソロモン群島ガダルカナル島で米第1海兵師団を驚かせた。
満洲の関東軍・第5軍(城兵団)から第17軍(沖兵団)に移されたこれらの重砲は、敵のヘンダーソン飛行場に対して、真昼、西方から最大射程で砲撃を開始したのである。
しかし、一日中、飛行場から敵機の発進を阻止するのには弾丸が乏しいので、「5分間に1発以上は撃つな」という命令さえ出ていたのである。
それは第2師団(勇兵団・仙台の兵)の南からの突撃にタイミングを合わせ、マタニカウ河を挟んでの砲撃であった。
米兵はこの日本軍の重砲を「ピストル・ピート」と呼んで恐ろしがった。
やがて米軍は、我が方の1発に対して数十発もの砲弾を返礼してきて、日本砲兵隊は大打撃を受ける。

1ヶ月後の昭和17年11月、今度は第38師団(沼兵団・静岡の兵)の歩兵が突入することとなった。
残弾がないので、九二式10センチカノン砲1門だけが掩護射撃をする。
砲兵たちは体力を消耗しきっていたので、マラリアに震える手で、下士官と小隊長みずからが撃ったという。
10センチ砲弾は、この時も飛行場の真中に命中したが、20発ほど撃った時、米軍の数十門の一斉射撃を被り、我が陣地はケシ飛んでしまった。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月16日 追記)


【九二式10センチカノン砲】

十四年式10センチカノン砲は砲架の構造に欠陥があり、事故が続出したため、それに代わるべきものとして昭和7年に九二式10センチ(正確には10.5センチ)カノン砲が出現した。
驚くほどに砲身が長く、弾丸の直径の45倍にも達した。
砲身が長いから砲弾はよく飛び、最大1万8000メートル(東京〜川崎間)も届いた。
この砲は野戦重砲兵に所有され、1個連隊16門で編成された。
65発を基数とし、移動の際には「いすゞ」の九二式5トン牽引車に引っ張られた。
なお、この砲を曳くため、わざわざ設計された九二式5トン牽引車は、その後も大量生産され、九六式15センチ榴弾砲を曳くのにも用いられた。
それは当時、大型バスに使用されたD6型100馬力のエンジンを装備していたのである。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月16日 追記)


【九二式十糎加農】

大正10年に設計された十四年式十糎加農は輓馬牽引もできるように考慮された砲。
これを自動車牽引専用として、一層、威力を増大すべきだという意見が大勢を占めるようになった。
そこで十四年式十糎加農(十四年式十加)とは別に新たな十糎加農を研究。
昭和2年に試製砲が完成した。
しかし、この砲は重量過大となり、その後自緊砲身などの新技術も取り入れることができるようになったことから、昭和5年5月に改めて研究をやり直すことになった。
昭和7年8月に試製十加が完成し、昭和9年6月に射程延伸のため長砲身に換えられ、昭和10年10月に制式に制定された。

本砲は、シュナイダー式の設計を採用した火砲である。
また、本砲には初めて打ち込み駐鋤が採用された。
砲の口径は105mm、初速は765m/s、射程距離は18,200m。
生産数は180門。

牽引車は九二式5トン牽引車(55馬力・時速16km)

(編成)
十糎加農連隊は、平時・戦時とも2個大隊(4個中隊)で編成され、九二式十加16門を保有。
中隊の編成は指揮小隊(観測・通信)、戦砲隊(2個小隊で4門の砲車・弾薬車2両の弾薬小隊)、中隊段列からなっていた。
弾薬は主として榴弾。
部隊携行弾薬数は1門当たり3基数で180発。(1基数60発)
人員は、バターン攻略に参加した野戦重砲兵第8連隊の例からみると、将校55名、下士官148名、兵1,114名の合計1,317名であった。

(佐山二郎著 『大砲入門』 光人NF文庫 1999年発行)




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