九四式37ミリ砲


 平成22年9月15日

パラオ共和国・ペリリュー島


【九四式37ミリ砲】(九四式37ミリ速射砲)

陸軍で最初に造られた本格的な対戦車砲で、通常「速射砲」と呼ばれていた。
本砲が制定された昭和9年当時は戦車の装甲は薄かったため、30ミリ程度の装甲板を貫通する能力と、歩兵と共に行動できることが条件だった。
このため、本砲は開脚式の装輪砲架をもつ直接照準専用の軽砲となり、馬1頭でひくか4頭の馬に分解駄載するか、または砲手3名が人力でひいて移動できる重量の約350kgにまとめられた小口径加農であった。
また、山地や沼沢に入って曳けなくなれば、簡単に重量100kg以下の部品に分解できるので、人力担送に切り替えることが出来た。
陸軍技術本部は昭和8年12月に試製砲を完成させ、歩兵学校の要望に基づく修正を実施し、仮制式が制定されたのは昭和11年2月だった。

本砲は新しい製鋼法によって作られた単肉自緊砲身をもっている。
初速も700m/秒と大きく、高速弾で移動速度の速い敵戦車を目標としたため、発射速度を高めるため閉鎖器も自動開閉式が採用され、直接照準装置や撃発機構も新方式が採用され、低伸弾道の命中精度の優れた砲であった。

駐鋤はあるが、急を要する場合は両脚を押さえるだけでも射撃が可能であり、騎兵用運搬車の車上からでも積載したまま射撃可能だった。

また、従来の軽火砲には木製車輪をつけていたが、本砲では鉄製の両輪をつけている。
これは九二式歩兵砲と同様に、最前線で使用されるため、敵弾による破壊を防いだものであった。
この車輪軸が外側に45度旋回させて、60度の方向射界をもたせたのも対戦車砲として考慮された点であった。
また、不斉地における行動を容易にするため、車輪外径を90センチと大きくし、安定を良くするために轍間距離を1メートルとやや広くしている。

本砲は昭和9年度末から生産を開始。
昭和18年度までに大阪、名古屋両陸軍造兵廠で推定3400門以上生産された。
歩兵連隊に2〜12門、一部を騎兵連隊、捜索連隊、独立速射砲大隊および中隊に装備された。
昭和11年に常設師団の歩兵連隊に新設された速射砲中隊の装備数は4門だった。
歩兵大隊には装備されてはいない。

実戦では昭和14年のノモンハン事件に初参加したが、重装甲のソ連戦車に対しては威力不足で、多くの犠牲者を出したことから、さらに強力な対戦車砲の出現が望まれた。

(要目)
口径    37ミリ
砲身長   170.6センチ(160センチの説あり)
重量    327キログラム
発射速度 20発/分
最大射程 6700メートル

(参考:月刊雑誌『丸』別冊 『日本兵器総集(昭和16年〜20年版)』 昭和52年発行)
(参考:『日本陸軍兵器集』 KKワールドフォトプレス 昭和57年発行)
(佐山二郎著 『大砲入門』 光人NF文庫 1999年発行)


 平成22年9月16日

パラオ共和国・ペリリュー島


【九四式37ミリ対戦車砲(速射砲)】

昭和9年に制式化された九四式三七ミリ対戦車砲(速射砲)は、日本陸軍における最初の対戦車砲。
普通の野砲や山砲では、戦車に対してなかなか狙いが定まらない。
近接射撃の直接照準(小銃のような方式で狙うこと)ができないからだ。
そこで戦車を狙う専門の対戦車砲が必要になる。
それは思いきり敵戦車に接近して撃つ関係上、小さくて背の低い砲でなければならない。
砲手が戦車の機銃に倒されるからだ。
そのうえ、命中率を高め、装甲の貫徹力を大きくするため、思いきり砲身を長く、スマートなものとしなければならない。

九四式37ミリ対戦車砲は1頭の馬で曳くか、あるいは分解して4頭の馬で運ぶ。
装甲を突き破った徹甲弾は戦車の内部に入ってから爆発し、操縦士や機銃員を殺傷する。
だから、信管には0.何秒かの遅発信管が付けられている。
至近距離なら3センチ、中距離なら2センチの装甲に穴をあけることができた。
日本の仮想敵、ソ連のBT中戦車、T26型軽戦車の両方とも最厚部の装甲が1.5センチだったから、当時としては、この砲で十分と考えられた。
ちなみに日本戦車の装甲最厚部は八九式中戦車は1.7センチ、九五式軽戦車が1.2センチであった。

日本陸軍は、この砲を対戦車砲と呼ばず速射砲と称した。
高速で動き回る戦車を狙うには小さくても早く撃てることが必要だからだ。
事実、よく慣れた砲手は1分間に30発近くも撃つことができた。
カラとなった薬莢が砲身後部から自動的にポンと飛び出してくる仕掛けだからである。
しかし、速射砲は引き金がかたく、体力のある者でなければ撃てないという欠点があった。

九四式37ミリ対戦車砲は4門で1個速射砲中隊(60名)を編成し、歩兵1個連隊につけられた。

九四式は大戦中期には、米戦車に対し威力が不足してきた。
そのため7年後の昭和16年、これを見越して砲身を15センチ長くし、装甲貫徹力を増やした一式37ミリ対戦車砲が現れたが、期待したほどの効果はなかったという。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月17日 追記)




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