九七式艦上攻撃機


【九七式艦上攻撃機】

一三式艦上攻撃機以降、有力な次期艦上攻撃機を開発できないでいた海軍が、昭和10年(1935)、十試艦上攻撃機計画要求書を作成し、中島飛行機に開発を命じた。
昭和12年に初飛行、11月に制式採用となった。
九七式艦上攻撃機には中島製と三菱製があり、中島製を「1型」、三菱製を「2型」とした。
本機は海軍が採用した単葉式全金属製の艦上攻撃機である。
昭和14年(1939)12月には、エンジンを「栄11型」に換装した「九七式3号艦上攻撃機」が正式採用された。
本機は、日中戦争では中国戦線において、太平洋戦争では真珠湾攻撃から始まる大戦前半の航空戦に使用された。

(九七式1号艦上攻撃機)
採用時期:昭和12年(1937)
製造:中島飛行機
搭乗員:3名
発動機:光3型(空冷星型9気筒・770hp)
最大速度:350キロ/時・高度2300m)
上昇時間:高度5000mまで15分23秒
上限高度:7560m
飛行距離:1220km
武装:7.7mm旋回機銃×1、800kg魚雷×1または爆弾800kg×1または250kg×1、60kg×6

(九七式3号艦上攻撃機)
発動機:栄11型(空冷星型14気筒・1000hp)
最大速度:378キロ/時・高度3600m)
上昇時間:高度5000mまで13分46秒
上限高度:7640m
飛行距離:1020km
武装:7.7mm旋回機銃×1、800kg魚雷×1または爆弾800kg×1または250kg×1、60kg×6

生産機数(1号〜3号計):約1250機

(参考:『歴史読本』 2012年8月号)

(平成29年4月6日 追記)


 (平成22年6月5日)

【ハワイ・陸軍博物館】 (旅日記参照)

Horizontal Stabilizer section from one of five “Kate”bombers shot down in the raid.

昭和16年12月8日(日本時間)の真珠湾攻撃時に撃墜された空母『加賀』所属の5機のうちの1機の水平尾翼。


【中島九七式艦上攻撃機】

昭和10年、海軍の艦上攻撃機近代化計画(10試艦攻計画)に基いて、中島製作所が開発した海軍最初の全金属製低翼引込脚艦上攻撃機。
各所に独創的なアイディアを盛り込んだ野心作で、当初はエンジンに『栄11型』を予定したが間に合わず、『光3型』を装備して完成。
昭和12年1月、九七式一号艦上攻撃機として制式採用された。
『栄』が完成すると直ちに生産はこれに切り替えられ、昭和14年12月に九七式三号艦上攻撃機として制式採用された。
昭和16年までに約1,250機が生産された。

部隊配備が開始されると、ただちに中国大陸へ派遣されて日華事変に参加。
太平洋戦争緒戦まで縦横無尽に活躍。
特に真珠湾攻撃における大戦果は本機に負うところが大であり、全世界にその名を轟かした。
しかし、ミッドウェイ海戦を境に本機の絶頂期は過ぎ、以後は低速のため被害が大きく、戦果も上がらなくなった。
マリアナ海戦後は急速に第一線を退くが、最後には特攻機として使用された。

全幅:15.518m
全長:10.300m
自重:2,200キロ
発動機:「栄」11型(離昇出力:1,000馬力)×1
最大速度:377キロ/時(高度3,600m)
武装:7.7mm機銃(旋回)×1
    魚雷800kg×1
    爆弾800kg×1または500kg×1、または250kg×2または60kg×6
乗員:3名

(参考:『日本兵器総集(昭和16年〜20年版』 月刊雑誌『丸』別冊 昭和52年11月1日発行 潮書房)

(平成27年6月23日・記)


【「光」エンジン】

海軍に制式採用された空冷9気筒の「光」は、アメリカから技術導入したライト「サイクロン」を参考に作り上げたエンジンで、海軍九七式艦上攻撃機に搭載されたが、コンロッド大端部軸受焼損による事故が多発して、評判はかんばしくなかった。
アメリカのエンジンをフルコピーしなかったのはいいとしても、充分なデータがないまま中島流の小器用さで図面を作ってまとめたのが災いの元などとささやかれた。

(参考:碇義朗 著 『航空テクノロジーの戦い』 光人社NF文庫 1996年3月発行)

(令和2年5月6日 追記)




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