九七式軽装甲車


 平成21年3月3日

パプアニューギニア独立国・ニューブリテン島ラバウル・ココポ博物館


九七式軽装甲車(テケ)

九七式軽装甲車(テケ車)は、昭和12年から九四式軽装甲車の後継車として、池貝自動車が試作したもので、師団捜索連隊の軽装甲車中隊に装備された。
用途は捜索・連絡専用車で、昭和14年〜17年までに536両が生産されている。
ノモンハン事件の際は、戦車団本部および戦車第3連隊本部に各2両ずつ装備され実戦を経験した。
この車は九四式軽装甲車と次第に交替していったが、車体が軽量であり、工作法が容易なことから、観測挺進車、速射砲搭載車、装甲運搬車などの各種の全装軌補助車輛の原型になっている。
航続距離は250km(新幹線で東京〜浜松の距離)と九五式軽戦車と同じ。
このため重宝がられ、マレーやジャワ、フィリピンの進攻作戦で活躍した。
外観は、九四式軽装甲車と九五式軽戦車を足して2で割ったような外観である。

乗員 2名
全備重量 4.7トン
全長 3.7m
全幅 1.9m
全高 1.7m
出力 65hp
装甲 4〜12mm
速度 40km/時
武装 九四式37mm砲×1
    又は九七式7.7mm車載重機関銃×1

(参考:月刊雑誌『丸』別冊 『日本兵器総集(昭和16年〜20年版)』 昭和52年発行)
(参考:『日本陸軍兵器集』 KKワールドフォトプレス 昭和57年発行)


【九七式軽装甲車】

装甲車であるが、歩兵部隊に配備されるのではなく、戦車連隊の編制に納まっていた。
日本の歩兵の概念では、重機関銃の貫通に耐えられる乗り物であれば、すべて「戦車」ということだったようである。
中国戦線では、独立軽装甲車中隊として重要な師団に配属され、トレーラーを牽引して敵前で弾薬補給に活躍するという本来の目的よりも「豆戦車」として戦闘に活用されることが多かった。

(参考:徳田八郎衛 著 『間に合わなかった兵器』 光人社NF文庫 2001年発行)

(平成25年8月25日 追記)


【九七式軽装甲車】

九七式軽装甲車は、昭和12年9月に型式が仮制定された。
同年11月、試作を開始したが、その後の生産台数は次のようになっている。
(ディーゼルエンジンは池貝鉄工、兵装は日本製鋼所、装甲は神戸製鋼が担当した)

昭和13年 0台
昭和14年 274台
昭和15年 284台
昭和16年 0台
昭和17年 570台
合計生産台数 1128台

九七式軽装甲車が第一線部隊に配備されたのは、昭和15年11月30日、熊本の捜索第48連隊に支給されたのが最初だった。

(参考:東中野 修道・藤岡 信勝 著 『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究』 平成11年初版第1刷 祥伝社)

(平成27年7月9日・追記)


 平成26年5月1日

オーストラリア陸軍戦車博物館(オーストラリア・メルボルン)

九七式軽装甲車



 トップページに戻る   兵器のページに戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送