安倍晴明 あべのせいめい

延喜21年(921年)(?)〜寛弘2年9月26日(1005年10月31日)(?)


大膳大夫益材ますきの子で、陰陽道おんみょうどう安倍氏の祖。
天徳4年(960年)天文得業生とくごうしょうのとき、焼失した節刀の形状を勘申したのを初見とし、以後、天文博士・左京権大夫などを歴任。
寛弘2年(1005年)中宮行啓に反閉へんばい奉仕したのを最後とする。
おそらく同年没。
賀茂忠行ただゆき・同保憲やすのりを師として天文道を学んだ。
生前から名声高く、平安後期以降安倍氏の隆盛とともに伝説化された。


晴明神社



晴明神社

(福井県敦賀市相生町)





(平成20年4月11日)

晴明神社由緒
昭和61年10月

祭神 保食神うけもちのかみ、安倍晴明公、春玉稲荷はるたまいなり

当社は住吉より保食神(食物を守護する神)の旧跡で安倍晴明は正暦年間(990〜994一条帝)当地に住み天文、地文の研究をし、日夜この神祠に参詣、信仰心甚だ篤かった。
天文の奥義を究めるに供した霊石(晴明の祈念石)がある。
南北朝金ヶ崎戦、天正の織田、朝倉の兵乱にも災禍を免れたのはその霊験によるとして益々尊信敬拝した。
明治11年社号を晴明神社と改称、春玉稲荷は明治24年頃合祀し、大正5年西側の元朝市場より現在地へ遷座した。
崇敬区域東、中、西晴明(旧名、一向堂、中橋、観世屋町)はじめ区外崇敬者も多数である。

祭日 例祭 4月8日 10月8日

(説明板より)

祈念石きねんせき

晴明神社には、晴明が占いに用いたと言われる謎の石「祈念石」が御神体として安置されています。
この石をどのような秘術に使ったのかは謎ですが、晴明の霊力を宿すと言われ、見学することができます。
(写真の撮影は禁止)

晴明神社



晴明神社

(福井県敦賀市相生町)





(平成20年4月11日)

安倍晴明

平安中期の陰陽師で、謎の人物。
天文学を修め、3人の天皇に仕えながら物事の吉凶を占った。
母親は人間ではなく、狐とも言われ、幼いころから鬼の姿が見えたという。
式神(しきがみ)と呼ばれる鬼を操ったとされ、「今昔物語」や「古今著聞集」「大鏡」などに活躍が描かれている。

(敦賀観光協会「安倍晴明に出会う旅」チラシより)




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