赤松小三郎 あかまつ・こさぶろう

天保2年4月4日(1831年5月15日)〜慶応3年9月3日(1867年9月30日)


贈従五位赤松小三郎君之碑



贈従五位赤松小三郎君之碑

(長野県上田市・上田城





(平成20年10月29日)

赤松小三郎先生略歴

先生は天保2(1831)年、上田藩士芦田勘兵衛の二男に生まれる。
嘉永元年(1848)年、江戸に出て内田彌太郎の門に入り、和算・天文・測量・暦学・地理・蘭学を学ぶ。
後、下曽根金三郎に就いて蘭学・砲術を学ぶ。
安政元(1854)年、上田藩士赤松弘の養子となる。
再び江戸に出て勝麟太郎(海舟)の門に学び、翌年勝海舟に随行して長崎海軍伝習所に行き、蘭学・英学・兵学・航海術等を修める。
松平春嶽に建白書を提出した内容で上下両局の議政局(議会政治)設置は、先生の遺徳として最も輝かしいものである。
慶応2年に完成した英訳「英國歩兵練法」は、これまた、異彩を放つ快挙である。
先生の精神は今の学校教育の中に具体的に生きている。
京都三条烏丸衣棚に私塾を開き、更に、薩摩藩京都屋敷に招聘しょうへいされ藩士の教育に当たったことは、後の日本の進むべき方向づけをする大きな功績とも言える。
慶応3(1867)年、9月3日、京都東洞院において、薩摩藩士桐野利秋らによって殺害される。
大正13年2月特旨を以って従五位を贈られ維新の殉職者の列に加えられる。

赤松小三郎顕彰会

(説明板より)



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