秋田県護国神社

秋田県秋田市寺内大畑5-3


 平成26年11月20日

由緒略記

明治元年10月、秋田藩主佐竹義堯侯によって高清水丘に工事が起こされ、太政官より金壱千両下付、明治2年8月創建成り招魂社と称し、戊辰役の「みたま」を祀られたことに始まり、以来秋田県出身戦没者の「みたま」を合祀鎮斎す。
明治26年12月、看守の失火により焼失、同31年まで仮殿にて祭事を行なう。
明治32年、秋田市佐竹城跡(現在の千秋公園本丸)に政府より再築補助費が下付され建築し、官祭秋田招魂社と称した。
昭和14年3月秋田県護國神社と改称した。(内務大臣指定)
昭和15年、旧社地(現在地)この高清水丘に本殿流造の壮麗な社殿を造営した。
昭和22年10月配祀神として生成化育、修理固成の神である「伊邪那岐神、伊邪那美神」を鎮祀し、同年11月「高清水宮」と改称登記した。
昭和28年再び秋田県護國神社と復名した。
昭和43年御鎮座百年記念奉祝大祭を斎行した。
平成2年御遷座五十年記念事業を実施し、奉祝大祭を斎行する予定であったが、7月9日未明心無き者の爆破を受け全焼した。
平成3年5月21日地鎮祭を執り行い、平成4年9月竣工し、10月1日本殿正遷座祭斎行、10月14日・15日竣工記念奉祝大祭を斎行し、協賛者の参列を迎えて、第6日祭まで滞り無く御奉仕を終えた。
昭和44年8月26日、昭和天皇、皇太后殿下、同45年10月26日今上天皇皇后両陛下の御親拝があり、常陸宮様始め各宮様方の御参拝があり、夫々幣帛料を賜った。

(リーフレット「参拝の栞」より)


参道

(平成26年11月20日)




 燈籠

 北支派遣 勝第四二一二部隊
 平成二年四月吉日
 離石会

 (独立歩兵第82大隊・第4中隊)


(平成26年11月20日)






 神門





(平成26年11月20日)

神門(神明造り)

この御門は伊勢神宮第61回御遷宮に当り「豊受大神宮瑞垣南門御扉他一部」を拝受し終戦五十周年記念事業として造営しました。(平成7年4月25日竣工)
この神門をくぐり参拝される方々の更なる「いのち」の若返りと「生成発展」「平安」を心から祈念いたします。

(説明板より)

 本殿






 天皇陛下
 皇后陛下
 御親拝記念碑





(平成26年11月20日)






 殉国秋田県人之碑

 平成7年8月15日 奉献建立



(平成26年11月20日)

秋田県戦歿者の記録

戦役
区分
慶応4年
戊辰の役
明治10年
西南の役
明治27~28年
日清戦争
明治37~38年
日露戦争
大正10年
シベリヤ出兵
合計
小計 425 58 813 1,546 62 2,904

(昭和6年~9年) (昭和12年~20年)  (昭和13年)   (昭和16年~20年)
  満洲事変   ・   支那事変    ・ ノモンハン事件 ・   大東亜戦争   ・ 都市別合計

区分 陸軍 海軍 看護婦 開拓
義勇軍
合計 死生・住所
不明者
市郡名 県内 県外 県内 県外 県内 県外
秋田市 2,844 5 758 58 4 7   3,676  
本荘市 719 8 222 26 1     976  
湯沢市 892 17 208 17       1,134 12
横手市 953 7 222 17       1,199 11
大曲市 803 14 186 5 1     1,009 72
男鹿市 1,058 6 215 21 1     1,301 14
能代市 1,171 6 283 11 2     1,473 92
鹿角市 1,178 22 265 24     2 1,491 47
大館市 1,314 25 229 20 1     1,589 32
由利郡 2,127 24 542 37 4     2,734 15
雄勝郡 1,765 25 459 27 2   3 2,281 11
平鹿郡 2,292 17 548 34 1   4 2,896 19
仙北郡 3,519 24 811 24 3   3 4,384 71
河辺郡 629 3 139 4       775 2
南秋田郡 1,607 32 356 18 1   4 2,018 23
山本郡 1,668 13 349 18 2   2 2,052 87
鹿角郡 338 38 79 12 1     468 12
北秋田郡 2,296 19 462 16 2   1 2,796 76
合計 27,173 305 6,333 389 26 7 19 34,252 596

戊辰の役から大東亜戦争までの総計37,752柱、このうち戦後ソ連に抑留中死亡者1,281柱

註 県外とは本籍地は秋田県外であるが現住所を秋田県に置いた戦歿者、または県外から転籍、移住者も含む。

上段から3段目、ノモンハン事件(昭和13年)は誤記、(昭和14年)が正しい。

(碑文・銘板より)

 秋田招魂社跡

 松並木

旧参道松並木

明治2年 秋田藩主佐竹義堯侯によって創建された旧招魂社の参道を造成したとき植えられた松並木(樹令約130年以上)
社殿は西向きで、羽州街道から参詣した。

(説明板より)





 忠魂碑
 (護国神社の裏)

 元帥海軍大将伯爵東郷平八郎




(平成26年11月20日)




 満蒙開拓青少年義勇軍慰霊碑
 (護国神社の裏)


 秋田県知事小畑勇二郎書



(平成26年11月20日)

【碑文】

中隊名   入植地
手塚中隊 北安省嫩江県   昭和13年4月
津村中隊 東安省林口県    〃 13年6月
大沼中隊 北安省嫩江県    〃 13年11月
松岡中隊 竜江省訥河県    〃 13年12月
黒沢中隊 綿州省黒山県    〃 14年4月
藤沢中隊 北安省綏稜県    〃 14年12月
峯  中隊 北安省嫩江県    〃 14年6月
寺本中隊 東安省密山県    〃 15年6月
坂下中隊 吉林省敦化県    〃 15年6月
寺田中隊 牡丹江省寧安県   〃 16年6月
柿崎中隊 竜江省訥河県    〃 17年7月
三浦中隊 吉林省敦化県    〃 18年11月
浅川中隊 北安省嫩江県    〃 19年5月

満蒙開拓青少年義勇軍 慰霊碑建立委員会
(※ 芳名は省略)

昭和53年8月15日 建之

 五輪塔

五輪塔復元縁起

昔この所に巨大な五輪塔があって入る船のよき目標となっていた
五輪の坂という呼び名はこれに由来したものである
此の塔は寛永廿年一六四三年久保田の豪商森九蔵翁が建てたものだがその後文化元年一八〇四年の象潟及び文化七年一八一〇年の男鹿大地震で崩壊してしまったことは残念至極でありその復元は万人ひとしく熱望するところであった
竒しくもこの悲願に応えるようにこの姉妹塔が秋田市當福寺の森家墓所に温存されていたのを幸い同家の末流森一氏及び當福寺に請い欣然その寄進を得たので秋田県護國神社鎮座壱百年を記念してここに復元したものである

昭和四十二年九月十六日  ■■■ 戸崎経雄

(側碑・碑文より)





 明治四十一年九月二十一日
 大正天皇御休憩所
 (護国神社の裏)

 宮司謹書



(平成26年11月20日)




 紀元二千五百四十一年
 明治天皇御休憩所
 明治十四年九月十六日
 (護国神社の裏)




(平成26年11月20日)

 顕彰碑

戸崎清藏翁は文政九年五月秋田に生れ明治二年時の
藩主佐竹義堯公発願による秋田招魂社をこの高清水
丘に創建し更に明治拾四年明治天皇東北巡幸の砌り
此の丘に御休憩遊ばされたるを以て之が記念碑を建
て又先には佐竹藩に出仕して江戸藩邸の復旧など土
木建築の作事に功を致し秋田県に仕えて県廰舎の建
築院内峠新道及横手黒沢尻間平和街道開鑿等多くの
事蹟を遺し明治参拾四年六月この高清水丘の居宅に
於て終焉した 茲に翁の偉功を稱え由縁深きこの明
娼の丘に碑を建て永くその徳を顕彰するものである

  ■ 嵜 鳳 雲 書
(碑文より)


 トップページに戻る   護国神社のリストに戻る

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu