安徳天皇 あんとくてんのう

治承2年11月12日(1178年12月22日)~寿永4年3月24日(1185年4月25日)


高倉天皇の第一皇子。
母は平清盛の娘・建礼門院徳子。
誕生後1ヶ月で皇太子に立てられ、3歳で即位。
父の高倉天皇からの譲位は清盛によって強引に進められたが、反発を招き、全国的な内乱に発展した。
寿永2年(1183年)7月、源義仲の軍勢に京を追われ、以後、平家と共に西国を転々とし、文治元年(1185年)3月24日、祖母の平時子に抱かれて長門国壇ノ浦に入水。
享年8歳。






「安徳帝御入水之処」碑

(山口県下関市・みもすそ川公園)




(平成23年9月14日)

安徳帝御入水之処

二位尼辞世

今ぞ知る
   みもすそ川の
御ながれ
   波の下にも
みやこありとは

(碑文より)






「壇の浦古戦場址」碑

(山口県下関市・みもすそ川公園)




(平成23年9月14日)

 (「壇の浦古戦場址」碑より)

安徳天皇縁起絵図  赤間神宮所蔵

第7巻(壇の浦合戦)
長門の国壇之浦の舟いくさが全面に描かれている。
源氏をあざむく為の大きな唐船には、帝は御乗りにならず多くの兵士がまちかまえている。

 (「壇の浦古戦場址」碑より)

第8巻(安徳天皇御入水)
寿永4年3月24日、源氏平家の最後の戦が描かれ、画面中央が安徳天皇御座舟、能登守教経に追われて、逃げる義経の八艘飛び、建礼門院の入水等々こまやかに描かれている。


安徳天皇神徳記

赤間神宮御祭神人皇第81代安徳天皇は寿永4年(1185)3月24日源平最後の合戦壇の浦の御戦に於いて御祖母二位の尼に抱かれつつ、『波の下にも都の候』とてわたつみの底深く幸し給ふ。
宝算わづかに8歳。
平氏一門ことごとく御跡に従へり。
痛恨云はむ方無けむ。
今に平家物語に哀韻を伝へて余りあり。
しかはあれ、わたつみの都は即ち龍宮にして一切生命の胎宮なり。
されば、天孫降臨の後地神二代ヒコホホデミノミコト、(山幸彦)は龍宮に潜幸して潮満潮干二宝珠を得て皇位を践み給ひ、三代ウガヤフキアヘズノミコト、四代ワカミケヌノミコト(人皇第1代神武天皇)、いづれも龍神を母とし給ひて万世一系天壌無窮の基をなせり。
これ龍宮水徳深々微妙の先蹤なり。
降って人皇第81代に至り再び龍宮に入り給へるは本有の胎宮に帰り給ふ神慮と拝すべし。
けだし乱世の汚穢を滌ぎ神国再生の秘儀を親祭し給ふ神蹟と称すべきか。
噫畏しとも畏く、尊しとも尊し。
これ御祭神を龍宮神鎮の水天皇と称へまつる深義にして広くは龍宮無限の水徳を万民生活の上に開き給へる所以なり。
よってここに無辺の水徳を仮に約めて十徳となし神威奉戴の準拠を示す。
国家鎮護・大漁豊満・懐胎安産・水難祓除・産業発展・家内和合・福徳延命・病魔降伏・転禍為福・開運必勝
天下老若善男善女、願はくは宝前に結願して神威の至福にあやからむことを。

(説明板より)





水天供養塔
(山口県下関市・赤間神宮)




(平成23年9月15日)

水天供養塔の由来

安徳天皇は御位のまま御入水され水天皇・水天宮と申し上げます。
吾が国民は天皇の御守護のもと、斯く永らへ安心して冥黙も出来ます。
同時に亦国民同胞の中に或は海難に水難にと幾多の水歿者の方々は即ち水天皇さまの御膝元に冥りたく、此の石塔の台石下に幾多の小石に名を留めて納められています。
人は名を留むる事に依り安心を得るもので即ち是を水天供養塔と申します。

一、昭和25年3月建立
一、今次大戦中水歿者霊位

(説明板より)





水天門
(山口県下関市・赤間神宮)




(平成23年9月15日)

水天門記

惟時昭和32年11月7日大洋漁業副社長中部利三郎氏は卆先多額の御寄進に加へて曰く即ち関門海底国道隧道の完成と下関市制70周年大博覧会開催の秋 吾国未曾有の御由緒と関門の此の風光明媚とに鑑み水天門の建立こそ今日より急務なるはなしと 此処に昭憲皇太后より賜はりし御歌の

  今も猶袖こそぬるれわたつ海の龍のみやこのみゆきおもへは

に因みて龍宮造となし御造営し奉れは昭和33年4月7日 畏くも昭和天皇 香淳皇后両陛下此の神門の御通初め御参拝を賜はり赤間神宮並に安徳天皇阿弥陀寺陵に詣でてと題し給いて

  みなそこにしつみたまひし遠つ祖をかなしとそ思ふ書見るたひに

の御製一首をも下し賜ひし空前の行幸啓に輝く水天門是なり

(説明板より)





赤間神宮
(山口県下関市阿弥陀寺町4-1)




(平成23年9月15日)

赤間神宮

御祭神 第81代 安徳天皇

寿永4(1185)年3月24日源平壇浦合戦に入水せられた御8歳なる御幼帝をまつる天皇社にして下関の古名なる赤間関に因みて赤間神宮と宣下せらる
昭和20年7月2日戦災に全焼せるも同40年4月24日御復興を完成し同50年10月7日 寛仁親王殿下の台臨を仰いで御創立百年祭を斎行 同60年5月2日 勅使御参向のもと高松宮同妃両殿下の台臨を仰ぎ御祭神八百年式年大祭の盛儀を厳修せり

(説明板より)




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