享和2年1月3日(1803年2月5日)〜文久3年12月16日(1864年1月24日)
周防国大島郡の医家に生まれる。
萩藩医の能美のうみ洞庵に入門後、江戸の坪井信道や宇田川玄真に蘭方医学を学ぶ。
天保10年(1839年)萩藩医となり、翌年には藩の南苑医学所の蘭学教授となる。
藩主の毛利敬親たかちかの信任を得て、藩内での種痘の普及や西洋医学や兵学の発展に貢献した。
青木周弼旧宅 (山口県萩市) 開館時間:午前8時〜午後5時 (平成15年7月25日) |
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青木周弼旧宅の床の間 (平成15年7月25日) |
青木周弼旧宅
所有者:萩市
所在地:萩市大字南古萩町
この家は、藩医(西洋内科)で蘭らん学者であった青木周弼の旧宅である。
安政6年(1859)に建てられたものであるが、あまり改造されておらず当時の様子をよく残している。
青木周弼は、大島郡和田村(現東和町)の医家に生まれ、藩主毛利敬親たかちかの侍じ医や医学館の館長をつとめた。
日本屈指くっしの医師として全国的にも知られ、各地から集まった多くの弟子を育てた。
また、村田蔵六ぞうろく(のちの大村益次郎)が萩藩に出仕しゅっしした時には、親代わりとなり世話をした。
萩市教育委員会
(説明板より)
青木周弼 |
(1803〜1863)
周防国大島大和村、医者の家に生まれ漢方医学を学んだ。
江戸で蘭方を学んだ後、長崎にて開業。
長崎での評判を聞きつけた萩藩主毛利敬親によって長州藩に召し挙げられた。
翌年1840年、医学館の創設により教官に任命された。
医学書の翻訳を中心に兵学、政治学等その業績は多岐に及んだ。
※生まれた場所は、説明板では”和田村”で、パンフレットでは”大和村”なんですけど、どちらが正しいのだろうか?
青木研蔵 |
(1815〜1870)
周弼の実弟、後に養子となる。
兄と共に医学を学び、藩の命により長崎ではシーボルト等にも学び、最新の医学を萩に伝えた。
種痘の技術を医学を全国に先駆けて藩にもちかえり、天然痘を予防する事に成功した。
敬親の側医であったが、1869年に明治天皇の大典医に任命された。
青木周蔵 |
(1844〜1914)
厚狭郡埴生村(現在の山陽町)の医者の家に生まれる。
20才の時、萩明倫館で才能を見いだされ研蔵の養子となる。
長崎で医学を学んだ後、1868年にドイツに留学し、政治、法律を学ぶ。
1873年外務一等書記官となり、初の駐独公使となる。
山県、松方両内閣では外相として条約改正にあたった。
(パンフレットより)
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