2.シドニー湾で戦没者を偲ぶ

(オーストラリア海軍記念館・「カトマンズ・コテージ」・チャイナタウン)


平成26年(2014年)4月27日・第2日目

続いて向かったのが・・・・シドニー湾!(喜)
日本の特殊潜航艇が特別攻撃をかけた場所である。

フェリーの4番乗り場から、フェリーに乗って「ガーデンアイランド」にある「オーストラリア海軍記念館」に向う。
外は雨・・・・
写真の撮りようもないので、大人しく船室の座席に座る・・・・(涙)

ここ「ガーデンアイランド」は海軍の敷地だそうで、この中に「記念館」がある。
午前10時過ぎに到着。

オーストラリア海軍博物館
(ROYAL AUSTRALIAN NAVY HERITAGE CENTRE)

この記念館(ヘリテージセンター)は入館料が無料のエリアと有料のエリアに別れていて、この無料のエリアに「特殊潜航艇」の残骸が展示されていた。

 特殊潜航艇の司令塔部分

SUBMARINE CONNING TOWER M22
‘Battle of Sydney’

M22 (Lieutenant Keiu Masuo and Petty Officer Masao Tsuzuku)first attempted
to enter the harbour at the southern end of the Boom at 2254 but was sighted
and depth charged six times by the patrol boat YANDRA,M22 was probably
damaged and withdrew.After M24’s attack on USS CHICAGO at 0005 and the
sinking of KUTTABUL,M22 re-entered the harbour .At 0350 KANIMBLA open fired
on a surface d M22 in Neutral Bay and probably caused more damaged.M22
entered Taylor’s Bay to take refuge but at 0500 she was discovered by the patrol
boats SEA MIST,YARROMA and STEADY HOURE who proceeded to depth charge
M22 for the next two hours.An oil slick was observed at 0721 ending the Battle
of Sydny.When M22 was salvaged it was found that Matsuo and Tsuzuku has
committed suicide rather than be taken prisoners.Navy cremated all the Japanese
submariners with full military honours and retured their ashes to Japam.

(説明板より)

昭和17年5月31日、伊号潜水艦に乗せられてオーストラリアまで来た3隻の特殊潜航艇が、ここシドニー湾に侵入した。
湾の外で伊号潜水艦から発進した特殊潜航艇は「中馬艇」「松尾艇」「伴艇」の3隻。
ここに展示されている残骸は、そのうちの「松尾艇」の司令塔部分である。
松尾艇の搭乗員は、松尾敬宇大尉と都竹正雄二等兵曹の2名。
オーストラリア海軍に発見され、爆雷攻撃を受け、沈没・・・・
戦闘後に引き揚げられた特殊潜航艇の中で、松尾大尉、都竹二等兵曹の2人は拳銃自殺をしていた。
この残骸部分が、彼らが自決した、まさしくその場所なのである!

 船体は真円にはなっていない・・・歪んでいる・・・・
 爆雷攻撃の激しさを物語っているといっていいだろう。

彼ら2人の遺体を収容後、オーストラリア海軍は中馬艇の乗員の遺体と合わせて4名に対し丁寧に海軍葬を行い、日本に送還した。
この時に、オーストラアリア国内からは敵国の軍人に対して、海軍葬などはもってのほかという非難の声もあったようだが・・・
同じ海軍軍人として、敵ながら天晴れとの敬意があったそうで・・・
また、日本の捕虜になっているオーストラリア軍人に対して不当な扱いをされないように・・・との思惑もあったらしい。

 この入館料無料のエリアは喫茶にもなっている。
 他の参加者は早々と有料エリアの資料館見学に向ったが、私はもう少しここにいたい・・・
 というわけで・・・一人、ここでコーヒーを飲んで一息つくことにする。

今から3年前・・・・
私は熊本県へ行った。
この時に菊池神社に松尾敬宇大尉の銅像があると聞いていたので、その写真を撮りに菊池に立ち寄ったのである。
神社の中の資料館(宝物館?)には、松尾大尉の遺品なども展示されていた。
その時に、いつかはシドニー湾を訪れたいと思っていたのだが、こんなに早く訪問できるとは思ってもいなかった。
そして、今、私の目の前には松尾大尉の特殊潜航艇があるのである!
あ~感無量である・・・・

続いて有料エリア内の資料館を見学する。

ここには特殊潜航艇の部品も展示されていた。
部品には当時のタグが取り付けられていて、どうやらこれら特殊潜航艇の部品を販売して寄付を募っていたらしい。
あらら・・・であるが・・・・
日本では鍋や釜を供出していたんだから、戦争になるとどこでも同じようなものか・・・

見学を終えて、外に出る。
皆さんはもう外にいて暇をもてあましている様子である。

The Battle of Sydney

The Japanese midget submarine attack on
Sydney Harbour occurred on the night of
31 May/1 June 1942.In a direct line from
this point,look towards the mast of HMAS
SYDNEY 1 on Bradley’s Head.Approximately
halfway between the two was the position
where the Japanese midget submarine
M24 (SBLT Katsuhisa Ban) fired two
21" torpedos at USS CHICAGO that was
moored at the large buoy to your right.
Both missed,one beaching itself near the
Gun Wharf,the other struck the Garden
Island seawall under the depot ship
KUTTABUL,killing 21 sailors.All three
midget submarines and their two-man
crews involved in the attack where lost.
The sailorsfrom both sides who died that
night were given full military honours.
The KUTTABUL sailors were buried at
Rookwood Cemetery while the lost
submariners were cremated and their
ashes returned to Japan during the war.

(説明板より)

沈没した特殊潜航艇の乗組員は、一般的には“遺体”が日本に送還されたというように伝わっているのだが・・・・
この説明板によれば、荼毘に附されて、その遺灰が日本に送られたということになっている。

我々が乗ってきたフェリーには、お客は我々ぐらいしか乗っていなかったが、一人、インド人の女の子が乗っていた。
彼女も「海軍記念館」を見学に来たようで・・・・
ちょっと話をしてみたら、親戚がシドニーに住んでいるので、それを頼って遊びに来ているという。
「海軍に興味があるのか?」と尋ねてみたら、そうじゃないらしい。
今日は暇なので、どこかを観光をしようと思ってやって来たのだという。
彼女が住んでいるのはインドのムンバイとのこと・・・・
「ムンバイ」と聞いて、“ミヤザキさん”がやってきた!(笑)
「ムンバイ?ムンバイには行ったことあるよ!」(笑)
“ミヤザキさん”は若い頃、現地に行って取材していたということをおっしゃっていた。
結構外国に行っていたらしく、今でも奥様同伴で海外に行く事があるという。
で・・・話が盛り上がったところで、インド人の女の子のお相手は“ミヤザキさん”にお任せする。(大笑)
“ミヤザキさん”はまもなく70歳になられるだろうが、英語が話せるので、すごいものだと思う。
私が70歳になるころは、どうなんだろう?・・・相変わらず英語が話せないままか?(苦笑)

旅先での外国人との出会い、交流というのは楽しいものである。
また、こういうことでお互いの国に親近感をもつというのが、先々の国際関係には大事だと思うのである。
中国人や韓国人のように他国の人に対して横柄な態度を取ってはいけないのである!(大笑)

 シドニー湾

写真の左のほうから延びる陸地が「ブラッドレー岬(ブラッドリーヘッド)」で、あの岬の向こう側で「松尾艇」が沈没しているのが発見された。
写真中央の奥のほうが湾の入口方向で、向うの方に「防潜網」が設置されていた。
この網は名前のとおり、潜水艦が湾に侵入するのを防ぐための網である。
その網に絡まってしまい、やむなく自爆したのが、中馬兼四大尉と大森猛一等兵曹が乗り込んでいた「中馬艇」である。

ここからでは、いずれにせよ、両艇が沈没した場所は見ることができない。
どこか高台から湾を一望したいところだが・・・・
ツアーだから、そういう自由が利かないのが残念・・・・(涙)

現場に立って見ると、この湾の狭さがよくわかる。
こんな狭い場所に操縦の難しい特殊潜航艇を操縦して侵入したとはねぇ~
やっぱり用法を間違っていたのではあるまいか?
特殊潜航艇は、こんな狭いところに突っ込ませるような兵器ではないのではなかろうかという気がする。

この湾の中を潜望鏡を上げて、そこから景色を見ながら侵入して行ったのだろうが・・・
とにかく操縦は難しかったようで、波に煽られたりバランスを崩すと船体の一部が海上に飛び出してしまうのだという。
そういうところを見つかってしまったのだろう・・・・
オーストラリア海軍の軍艦に砲撃を受け、さらには爆雷で攻撃をされたのである。

「松尾艇」と「伴艇」は、この写真の中心あたりまでは侵入していたようである。
「松尾艇」はこのあたりで敵艦に見つかり攻撃を受け、Uターンして湾外に脱出する前に、右側の写真に写っている岬の裏あたりで撃沈されたのである。
「伴艇」には伴勝久中尉と芦辺守一等兵曹が乗り組んでおり、この辺りから、私の立つ海軍基地に向かい魚雷を発射。
岸壁に停泊中の「クッタバル」という宿泊船を撃沈して、湾外に脱出したが、その後の消息は不明となる。
2006年になって、湾外のシドニー北部沿岸から5kmほど離れた海底に沈んでいるのが地元のダイバーによって発見されたという。
攻撃隊を収容する伊号潜水艦の待つ海域とは全く正反対の場所に沈んでいるということは、ジャイロコンパスが故障したのか、操縦不能だったのか・・・
上手く湾外に脱出できたのに生還できなかったとは・・・・

ちょうど雨も止み始め・・・・ポツリ、ポツリ・・・
これが「涙雨」というなら、ちょうど泣き止んだところだろうか?
海を(湾を)眺めて感無量・・・・
他の人達は、この特殊潜航艇の攻撃に関しては全く興味が無いようで、オシャベリしていて海なんか見ている人は誰もいない・・・・

特殊潜航艇の人達は、どんな思いをして、あのあたりを走行していたのだろう・・・
そう思いながら海を眺めているだけで、私は全然飽きないんですけど・・・・

まもなく帰りのフェリーが来る時間となったので、フェリー乗り場に戻る。

フェリー フェリーからみたフェリー乗り場

雨は完全に上がったので、デッキに出る。
皆さんは、なぜか船室にこもったまま・・・・
え?外の景色を撮影しようとか・・・そういう気はないのでしょうか?(苦笑)

 フェリーの内部

フェリーの2階席・・・向うの方(船の前方)に座っているのが我がツアーの面々である。
船内は・・・ガラ~ン!(汗)

「ガーデンアイランド」とはお別れ・・・・
私は、船の後部デッキに出て景色を堪能する!(喜)
オーストラリア海軍の軍艦が停泊している場所は、当時、宿泊船「クッタバル」が停泊していた場所だろうか?
ここに向かって「伴艇」は魚雷を発射したのだろうか?

この狭い湾の中で彼らは戦ったんだよなぁ~
この水の下で・・・・・
う~ん・・・・いくら見ていても飽きない・・・・

フォート・デニソン

湾の中にポツンと小島が一つある。
こんなところに・・・この島・・・・かなり邪魔な存在だと思うのだが・・・・(苦笑)
この小島は「フォート・デニソン(デニソン砦)」というらしい。
昔々、100年以上も昔は、囚人の独房として使われていた小島だそうで・・・・
だいたい、オーストラリアっていうのは、イギリスあたりから追い出された犯罪者が居付いた国じゃなかったっけ?(汗)
移民のほとんどが犯罪者?(苦笑)
にもかかわらず、さらに、この小島に閉じ込められる囚人って、どんな奴だったんだ?(大笑)
よっぽど悪い奴だったんだろうなぁ~(大笑)
この島は、その後、砦となり、灯台となって、今は博物館になっているとか・・・・
う~ん・・・どんな博物館なのか見てみたかったなぁ。(笑)

この島が灯台だった頃は・・・
「松尾艇」や「伴艇」は、この灯台の明かりを針路の目印として潜望鏡から見ていたのではなかろうか?

 オペラハウス

写真で見たことのある、あの有名な「オペラハウス」が見えてきた。
好き嫌いはあるとは思いますが・・・(苦笑)
「オペラハウス」の写真を見れば、すぐにオーストラリア!ってわかる建物である。
へぇ~・・・・こんなところに建っているんだぁ~
日本では、こういう有名な建築物ってあるのだろうか?
外国人が誰でも知っていて・・・一目見て、あ~!日本の・・・ねぇ~っていう建物・・・・
う~ん・・・・姫路城?(大笑)

左手に見えるのは・・・・

 ハーバーブリッジ

「オペラハウス」と並んで有名な「ハーバーブリッジ」である。
向かい合わせになっているから有名になっているのかもしれないが・・・
1932年に完成した橋だそうである。
ということは・・・日本では昭和7年・・・・満州国が建国したり、5・15事件で犬養毅が暗殺された年である。
私は、あまり橋には興味がないので感動はしないが・・・(汗)
感動する人はするんだろうねぇ~
石造りの橋脚はたいしたもんだと思うよ・・・・この部分だけは好きである。(足だけ?)

ハーバーブリッジとオペラハウスを1枚に収めてみる。(笑)
なんとか出来た・・・(喜)

時刻は11時半・・・・港に到着する。

船を下りるときにみんなから言われた・・・「あんた、どこにいたの?」「姿が見えないからどうしたのかと思ったよ」等々
「へっ?デッキにいましたけど・・・」と答えたら呆れた顔をされた。
なんで?
不思議なことをする奴だ・・・と言わんばかりの顔である。(大汗)
私からすると、船内の椅子に座って外の景色を見ていないほうが不思議なんですけど・・・・(苦笑)

フェリーから降りたら、また雨が降り出してきた。
タイミングがいいのか悪いのか・・・・よくわからない。(汗)

向かったのは、港の近くにある住居・・・

 カトマンズ・コテージ

なんでも、この建物は「カトマンズ・コテージ」と呼ばれているそうで・・・
「カトマンズさんの家」ということかな?
シドニー最古の住居なのだそうだ。
だから何だ?・・・という気がしないでもないが・・・・(苦笑)
私は、こういう建物には全く興味はない・・・(苦笑)
外観だけを見るだけ・・・

予定では、この後に「オーストラリア海事博物館」へ行くことになっているのだが・・・
添乗員から、「海事博物館はやめにしてチャイナタウンに行く事になりました」と予定変更のお知らせ!
うそぉ~!・・・である。(驚)
私が博物館好きなのを知ってか、添乗員さんが、「本当に申し訳ないんだけど・・・」と個人的に言ってきた。
理由を尋ねたら、現地のガイドに聞いたところ、時間的に見に行くのは無理だというので、急遽、予定変更となったという。
が・・・ちょっと怪しいな・・・その理由・・・
なにせ、今回のツアーには、「仲良し3人組」の保守派の論客が参加されている。
この3人は、以前ご一緒した「カンボジアとベトナムのツアー」でも「この近くにチャイナタウンがあるんじゃないの?チャイナタウンへ行こう!」と騒いだグループなのである。(苦笑)
なにせ“ミヤザキさん”を始めとする著名な“論客”3名である・・・・
「博物館なんかよりチャイナタウンへ行こうよ!」と言われて、予定変更をせざるを得なくなったのではなかろうか?(大汗)
多分そうじゃないのかなぁ~
肩書きと声の大きな人の勝ち・・・というやつである。(大涙)
そもそも、旅行の日程表にある予定の訪問先によってツアーに参加するかどうかを決めて参加するわけで・・・
現地の都合で臨時休館というなら仕方がないが、一部の参加者の意見で取りやめるというのはマズイんじゃないの?
とはいうものの・・・著名陣相手に私一人が騒いでも仕方がない・・・諦めることにする。(涙)

時刻は12時を過ぎたので、港近くのレストランで昼食となる。

レストラン 

出てきた食事は、これ・・・・

 昼食

これは、「フィッシュ・アンド・チップス」って言うのかな?
イギリスで有名な食べ物だそうだが・・・・
私は、よく知らない・・・・
初めて食べるが・・・これは、ただの白身魚のフライとポテトフライではなかろうか?(苦笑)
白身魚のフライは、我が家の近くのスーパーでも売ってるけど・・・
「まさか、これだけじゃないよね?」との声が参加者から上がったが・・・・残念ながら、これだけしか出てこなかった。(大笑)
今日の昼食は、これだけである・・・・(涙)

ここで、1時過ぎまで少しゆっくりするという。
ふと、対岸を見たら・・・・ギョェ~!(驚)
向こう岸に、「海事博物館」が見えるではないか!

NATIONAL MARITIME MUSEUM(海事博物館)

港には、帆船、潜水艦、軍艦が係留されている!
多分、見学が出来るのではなかろうか?
すぐ目の前にあるじゃないですか!(汗)
チャイナタウンでは1時間ほど時間を取るとのこと・・・
それなら、あの博物館をササッと見学できると思うんだけどなぁ~
ここで1時過ぎまでのんびりしなければ、見学に1時間以上は時間が取れるだろうに・・・
悔しいなぁ~(大涙)
なんとも残念だが、ツアーである以上、従うほかあるまい。(大泣)
再び一人でシドニーに来るようか・・・・
今回は「下見」ということで諦めるしかないな。(大涙)

 チャイナ・タウン

チャイナタウンに入ると、やたらと声をかけられ、何かしらを売り込んでくる・・・・
が・・・中国語で話しかけてくるから何を言っているのかわからない(大汗)
英語で質問しても、相手は中国語のまま・・・・
あのね・・・(大汗)
最後には、「俺は日本人!中国語なんかわからねぇんだけど!わかる?ん?中国語なんか全然知らないんだけど!」と日本語で言い返しても、それでも相手は中国語で何か言っている・・・・
どういう神経してるんだろう・・・こいつら・・・(汗)
言葉が通じねぇっていうのに、わからんのかね?
自己中心なんだよなぁ~
ここはチャイナタウンだから、観光客は中国語を理解しろとでもいうのか?(苦笑)
英語を話せよ!・・・・ここはオーストラリアなんだから・・・・(笑)
こういう連中の集まったものが「中国」という国なんだろうから、尖閣諸島も俺のもの、あの島も、この島も俺のもの・・・と言い放つのもわからないでもないな・・・・(大笑)

こんなところで1時間もブラブラする気はさらさらない・・・・
皆から離れて別行動をとることにした。
食後のコーヒーを飲みたい!(大笑)
皆さんから離れて別行動を取ろうというのを感知したのか・・・(苦笑)
すかさず、福島県から来た“サトウさん”が追いかけてきた。
「私もご一緒させてもらっていいですか?」(笑)
「コーヒーでも飲もうかと思っているんですけど・・・」
「それ、いいですね!お供させて下さい!」(笑)
“サトウさん”とは「カンボジア・ベトナム」のツアーでもご一緒したことがあるが、会話を交わしたことはない。
というわけで・・・・
カフェでコーヒーを飲みながら、集合時間までの間、大いにおしゃべりをして時間を潰す。(喜)

さて・・・コーヒーについてですが・・・・
お店に「コーヒー」といっても、そういうメニューがないのである!
あるのは「ロング・ブラック」とか「ショート・ブラック」という名称・・・・
何のこっちゃ?(大汗)
何がロングなんだ?(大汗)
カップが長いのか?・・・ラージサイズってこと?

私は普通のコーヒーが飲みたいんだけど・・・・
店員に説明を求めるが、これがよくわからん・・・・(大汗)
「レギュラーコーヒーっていうのはないのか?」
「レギュラー????」と中国人の愛想のない青年が首を傾げる・・・(苦笑)
「ロング・ブラックがいんじゃないか?」と言う。
「そのロングって何のことだ?」
「はぁ?」と青年・・・・
クソ忙しい時に、わけのわからん質問をするなと言わんばかりの表情である。(汗)
「ショート・ブラック」とは、「エスプレッソ」みたいな濃いコーヒーらしい・・・・
で・・・これにお湯を足して薄めたのが「ロング・ブラック」らしい・・・・
お湯で薄めちゃうのか?(唖然)
英語が苦手なので、全てが「らしい」・・・としか理解できないから情けない・・・・
はい、はい・・・もう何でももいいです・・・・「ロング・ブラック・・・ちょうだい!」(苦笑)

「ロング・ブラック」は普通のコーヒーだった・・・・正解である。(大笑)

どうもオーストラリアには「アメリカンコーヒー」とか「ブレンドコーヒー」とかというのはないらしい・・・
海軍記念館で飲んだときは、なんだかわからないので「ウン、ウン」と適当に答えて頼んじゃったから、よくわかっていなかった。(大笑)
オーストラリア人というのは、おかしな人種だな・・・(笑)
ロングだのショートだの・・・・
容器の大きさかと思っちゃうじゃないか?(大笑)

集合時間が迫り、バスに戻る。
途中、街の中の写真を撮る・・・・

チャイナタウンの散策を終え・・・・次に向かったのは、今晩宿泊するホテルである。
午後2時半過ぎ、ホテルにチェックインする。

 

なんと!・・・今日のツアーはこれで終りだそうである!(驚)
こんな早い時間にチェックインするなら、「海事博物館」に行けたんじゃないか?
なんだよ~それ~・・・・である。
(相変わらず根に持っている?)

さて・・・早速トイレを使用したのだが・・・・あれ????
何かおかしい・・・・
コックがない!(大汗)
どこを探しても、汚水を流すコックが見当たらないのである!
このトイレ・・・・どうなっているんだ?

ふと、鏡の下にボタンがあるのを発見!
浴室の電灯は全部点いているし・・・・
このボタンは何だろう?????
電灯のボタンと同じ形なんだけど・・・・
試しに押してみたら・・・・・ゴゴゴッ~っとトイレの水が流れた・・・・(唖然)
この小さなボタンがトイレのボタン?(汗)
オーストラリア人の感覚がわからん!

夕食まで時間がありすぎる・・・(泣)
部屋にいても仕方がないので、買物がてらホテルの周囲を散策することにする。

 私が泊まったホテル・「The Menzies Sydny」

ホテルの中は禁煙である。(涙)
というわけで・・・このホテルの前の歩道にある灰皿のところでタバコを吸うしかない・・・・
なんと面倒な・・・(苦笑)

 地下鉄入口

ホテルの向かい側に地下鉄の駅がある。
地下にお店が何件かあるという話なので行ってみる。
ミネラルウォーターでも買って、お湯を沸かしてインスタントコーヒーを飲もうかな・・・と・・・・
地下にいくつかの売店とスーパーマーケットがあった。
で・・・・ミネラルウォーターを探してみたら・・・・
店ごとに値段が違うのである!(唖然)
おい、おい、こりゃ、どういうことだ?
ウロウロと歩き回ったので・・・・さて・・・一番安い店はどこだったか・・・忘れてしまった!(大笑)
相変わらず頭が悪い・・・・(涙)

地下鉄駅の改札口の写真を撮ろうと思ったのだが、近くに警官がいたのでやめる。
テロリストの下見だと思われたら困る・・・・(大笑)

駅の反対側の出口を出てみたら・・・・

なんの特徴もない、ビジネス街という感じで面白くない・・・
いい加減、このあたりで引き返さないと迷子になりそうなので戻ることにする。(苦笑)
時刻は午後4時・・・・

結局、ホテルの近くのコンビニで、淹れたてのコーヒーを買ってホテルに戻る。
ホテルのエレベーターで白人のオバチャン二人組と一緒になる。
「あらぁ~コーヒーのいい香りがするわねぇ~」と笑われた・・・
こういう場合、英語で何と答えていいものやら・・・・(大汗)
とっさに言葉が浮かばない・・・(涙)
笑って誤魔化すしかない・・・(苦笑)

夕食は、徒歩で港の方まで行って食べるのだそうだ。
一応、雨は止んだようだが、途中でまた降り出しそうな感じ・・・
なんとも不安定な天気である。

夕食には“ミヤザキさん”の知人で、現地在住の日本人ご夫婦が合流した。
お話によると・・・・
どうも、オーストラリア在住の韓国人たちが、この地にも従軍慰安婦の銅像を建てようと画策しているそうで・・・・
これに対抗して、何とか阻止しようとしているそうだが、日本人は団結心が乏しいらしく、なかなかまとまらないそうである。
従軍慰安婦なんて「他人事」・・・ということらしい。(汗)

 夕食

夕食のメニューはステーキである!
昼食の時もそうだったが、この夕食の時も同様で、とにかく食事がなかなか出てこない!
乾杯用にビールを頼んでも、それすら出てくるのに時間がかかるという有様である。
なにをモタモタしているのやら・・・・と思うが・・・・
現地在住の日本人御夫妻の話では、これが、普通なのだそうだ。(唖然)
手際が悪いと言うか何と言うか・・・・・
オーストラリア人は怠け者と言われるのは、こういうところから来るのかも・・・・(苦笑)


   


 トップページに戻る   旅日記に戻る

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu