5.戦争記念館へ行く!

(旧国会議事堂・現国会議事堂・オーストラリア戦争記念館~メルボルン)


平成26年(2014年)4月30日・第5日目

午前7時に朝食・・・・

 朝食

8時にホテルをチェックアウトして、今日はキャンベラ市内の観光である。

 宿泊したホテル「NOVOTEL」

最初に向かったのは「オーストラリア国立博物館」・・・・
博物館の駐車場を一周して終り・・・・(唖然)
「ここが国立博物館です」とドライバー兼ガイド・・・・
時間の関係で内部の見学は出来ないとのこと。
う~ん・・・・残念だ・・・・
博物館が大好きな私としては何とも残念だ!(大涙)
博物館というものは、外観ではなく、内部の展示物を見学するものなんですけど・・・・
こりゃ、いつか一人で来て見るしかなさそうである。(涙)
今回は、下見だということで割り切ることにする。

 橋の上から見た国立博物館

続いて向かったのは、「旧・国会議事堂」。
まぶしいくらい真っ白な建物である。

旧・国会議事堂

この旧・国会議事堂の前の広場に“抗議小屋”のようなものがあった。
オーストラリアの先住民族であるアボリジニの“抗議小屋”らしい。
我がツアーの“保守派の論客”の皆様は、大喜びでそちらに向かい、写真を撮っている。
皆様は、旧国会議事堂より、そちらのほうに興味があるらしい。(汗)
私は、まったく興味がないので・・・・周辺を一人でブラブラして写真を撮る。

前庭に、銅像を見っけ!(喜)
誰の銅像かというと・・・・ジョージ5世というイギリスの国王の銅像だった。
この人は、1910年(明治43年)から1936年(昭和11年)まで、国王だった人である。
イギリス国王でもあり、海外自治領の国王でもあり、イギリス領インド帝国の皇帝でもあった人である。

ERECTED BY
THE PEOPLE OF
AUSTRALIA TO
COMMEMORATE
THE REIGN OF
KING GEORGE Ⅴ
FROM MAY 1910
TO JANUARY 1936

(碑文より)

ここでの見学時間は約20分とのこと。
外をブラブラするには時間がありすぎる。
建物の中に入れないのだろうかと、勝手に一人で中に入ってみた。(笑)
受付の職員に尋ねたら、中に入ってもいいと言う。
入館料も必要ないそうで、写真撮影も構わないという!
おお!ラッキー!(大喜)

旧国会議事堂の内部

内部は資料館になっていた!
うそ!
これ・・・見学したい!
が・・・・見学するほどの時間的余裕はない。(涙)
集合時間まで、残り10分弱である!!
う~ん・・・・残念だ!(大涙)

 議場

議場にいたのは、社会科見学の生徒達だろうか?
何やら“お勉強”をしていた。
歴史的に貴重な議場だからなのだろう。
机などを汚してはいけません・・・ということなのだろうか、子供達は全員、白手袋を着用している。
ほぉ~・・・・この気遣いは大したものである。
白手袋をしたら、落書きをしようなんていう気は起こらないだろう。
日本も見習うべきだな・・・・

集合時間が迫ったので、急いでトイレに行き“用を足す”(大笑)

 トイレ

古いトイレである。
小便器が3つしかないとは、少ないような気がするが・・・・(汗)
ここに議員さんたちが並んで立って「おい、君は今度の議案に賛成するのかね?」とか何とか言いながら“用を足し”たのだろうか?(笑)

時刻は午前9時40分・・・・
次に向かったのは、現在使用されている「国会議事堂」である。

現・国会議事堂

ここも外観だけの見学だけである。
内部がどうなっているのかは、わからない・・・・
それにしても、近代的というか何と言うか・・・・どこに議場があるんだろ?
この国会議事堂は1988年(昭和63年)に完成したらしい。

次に向かったのは、各国の大使館などが建ち並ぶ、閑静な一画である。
“保守派の論客”の皆様と、その取り巻きの皆様の要望で、中国大使館横に停車する。(苦笑)
で・・・写真を撮る。

中国大使館

中国大使館の建物は、やたらと大きかった。(笑)

写真を撮り終えたらバスに戻るはずが、どうも大使館の正門前に「法輪功」の女性が一人で抗議活動らしきことをしていると言って、“保守派の論客”の方々を始め、皆さん全員が正門のほうへ行ってしまった!(唖然)
この人達は、好きなんだよなぁ~・・・・こういうの・・・・
「法輪功」とは、中国政府から弾圧を受けている中国の宗教団体らしい。
それで大使館前で一人で抗議をしているのだろう。
大喜びで興奮して吹っ飛んで行ってしまった・・・・(汗)

私は、そういうのはまったく興味がない。
だいたい、本当に、その女性が「法輪功」の人間で、抗議をしているとは限らないのでは?
大使館の正門前で一人でやっていて、大使館員に排除されないというのは怪しい・・・(苦笑)
これは、もしかして中国側の“やらせ”かも?
「法輪功」による抗議のふりをしておいて、近づいてきた人を監視カメラで撮影して・・・・
同情的な言動があった場合は、“反中の危険人物”として記録しておいて・・・・
我々がいつか中国へ行ったときには、さんざん嫌がらせをするとか・・・・(大笑)
中国共産党なら、そのくらいのことをしかねまい?(汗)

わざわざ中国の公安当局に顔写真を撮られに行くようなマネをする気はない。(苦笑)
というわけで・・・一人、バスに残る。(大笑)
こういうことをするので、私はへそ曲がりで協調性がないと、子供の頃から責められたが・・・・
仕方がない・・・・これが私の性格である・・・(苦笑)

運転手兼ガイドさんも困った様子・・・・
「時間がないんですよねぇ~参ったなぁ~」
当初の予定では日本大使館前でバスから降りて写真を撮影する予定だったらしいが、中国の悪口を言っている割には、中国が好きな様子という“保守派の論客”の皆さんのおかげで、その予定が狂いそうだという。
いい迷惑である・・・・
「あの人達は、いつもあの調子ですから・・・・」
「そうなんですか?」
「日本人なら、中国大使館の場所より日本大使館の場所を確認しておくべきだと思うんですけどねぇ~日本大使館前で時間をたくさん使うべきだと思うんですけど・・・・あの人達は逆なんですよねぇ~」(大笑)
いつまで経っても戻ってこないので、バスの中でガイドさんとおしゃべりをして時間を潰す。
まぁ、こういうのもいいかも・・・・
なかなか、現地在住の日本人ガイドと個人的に話をする機会は滅多にないからねぇ~(笑)

かなり経って、皆さんが興奮して戻ってきた・・・(唖然)
何が面白いのやら、私にはサッパリわかりませんが・・・・(大汗)

バスを走らせ、まもなく日本大使館が見えてきた。
「右手に見えますのが日本大使館です」とガイドさん・・・・
しかし、皆さんの反応は鈍い。
まったく興味がないご様子である。(汗)
日本大使館より中国大使館のほうがお好きなようである。(大笑)

時間に余裕がなくなってしまったので、下車せず、そのまま通過することになる。(唖然)

 日本大使館

次に向かったのは「オーストラリア戦争記念館」
ここでは内部の見学をするという。(大喜)

オーストラリア戦争記念館

ここで与えられた見学時間は1時間半である。
ここにはシドニー湾で撃沈された我が日本海軍の特殊潜航艇が展示されているということは、事前の“お勉強”で知っていたので、楽しみである!

館内は、「第一次世界大戦」や「第二次世界大戦」などのコーナーに分かれているようで・・・・
職員の方が「第一次世界大戦のコーナーは改装中なので見学は出来ません」と教えてくれた。
が・・・こちらとしては、興味があるのは第二次世界大戦のほうである。(笑)

太平洋戦域における航空戦の展示・・・・
いきなり・・・零戦とご対面!
あららぁ~!
その他、細々した展示が・・・・
あらら・・・こりゃ大変だ・・・・(大汗)

零戦 (V-173号機)

Mitsubishi A6M2
ZERO FIGHTER
V-173

The Zero naval fighter was probably
the best known Japanese aircraft in the
Second World War.Designed to be operated
from aircraft carriers,in 1941 the Zero
combined a long range with speed and
heavy armament.

Zero fighters headed the strike force of the imperial
Japanese Navy thoughout the critical campaigns of 1941 - 42.

these nimble Japanese fighters fought Australian Kittyhawks
for control of the air during the battles for port Moresby and
Milne Bay.This Zero was built in early 1942 and was flown
by the TainanKokutai (Taiwan Air Group) from bases at
Rabaul and Lae during June and July.Sakai Sabrou,the fourth-
ranking Japanese air ace,often flewthis aircraft,V-173.
Damaged in action,the aircraft was abandoned on the island
of Gasmata in about 1943 and was later captured.

(説明板より)

(右:日本の爆撃機の座席)
Aircraft seat

The Japanese often bombed Darwin at night.
RAAF aircrews,not equipped for night fiying,
were helpless to defend the city against these
raids.In desperation,on 23 November 1942
squadron Leader Richard Cresswell flew into
battle.With troops cheering him on,he shot
down one of the raiders.This seat was
recovered from the Japanese bomber,which
crashed at nearby Koolpinyah Station.

(説明板より)

あ~あ~あ~・・・参ったぞ、こりゃ!
「記念館」というから大したものは展示されていないのだろうと思っていたのだが、なんと、これでは「戦争博物館」と呼ぶ方が正確ではなかろうか?
日本軍関係のものだけでもかなりの量がある。
与えられた時間は1時間半・・・・
説明文は全て英文だから、読むのに時間がかかる・・・・(大泣)
これが日本文ならササッと読んで次に向えるのだが・・・・
英文では指でなぞるようにして一語一語読まねばならぬ。
しかも、辞書なんて持ってきていないから、知らない単語で突っかかる・・・(苦笑)
私は英語が大の苦手なのだ・・・
参った・・・

2隻の残骸を結合して復元された特殊潜航艇

前部は松尾艇の残骸、司令塔を含む操縦席より後方は中馬艇の残骸らしい

下から見る

館内は薄暗いところにきて、間接照明なのである!
写真を撮るのには苦労する“環境”である。
一般的に、博物館内でのストロボ撮影は禁止である。
仮にストロボを使用して撮影しても、手前ばかり明るく写り、奥のほうは真っ暗となる。
ショーケースの場合は、ガラスに反射してしまい内部が写らないということになる。
ということで、どうしてもストロボを使用しないで撮影することになるのだが・・・・
そうなると、今度は“手ブレ”が生じる。
最近のデジカメには「手ブレ防止機能」が付いているが、それでも、こういう薄暗い場所では完璧ではない。
昨年のロシア旅行では散々苦労したので、新たにデジカメを買い直して、今回の撮影に臨んだのだが・・・・
それでも、どうしても“手ブレ”が起こる。(大泣)
時間に追われて焦っているせいもあろうが・・・・(苦笑)
こういう場合は、三脚を使用して撮影したいところだが、三脚の使用は、こういう博物館では原則、禁止である。
これは常識・・・・

マイッタァ~・・・・何度撮影しても上手くいかぬ・・・・
そのうち、なんと!
カメラのバッテリーが無くなって来た!!(大汗)
予備のバッテリーは、いつでも取り出せるようにショルダーバッグに入れてあるのだが・・・・
そのバッグ自体をバスの中に置いてきちゃった!!(大涙)
ドジッた!!(大泣)
アホである・・・・

あと何枚撮影可能なのか・・・マズイ・・・非常にマズイ・・・(大汗)

お目当ての特殊潜航艇・・・・
これは2隻の特殊潜航艇を繋ぎ合わせたものだと聞いていたが、そういう違和感を感じないところが不思議である。
一隻の特殊潜航艇の中心部分が破壊された・・・・というようにしか見えない。

他の参加者から「思ったより大きいなぁ~」という声が上がり、いろいろと質問されたが・・・・
もしかして・・・皆さんは「人間魚雷・回天」を想像していません?
あれとは全く別のものなんですけど・・・・(汗)

Lower Hatch Cover

The crew gained entry to the midget
submarine through this hatch.The midget
submarine was carried to its objective on
the deck of a Type C1 “mother”submarine.
The watertight link between the two
submarines meant that the midget
submarine could be serviced en route and
then launched while the mother submarine
remained submerged.

(説明板より)

 特殊潜航艇の部品等

特殊潜航艇搭乗員の遺品 都竹正雄と中馬兼四の遺品

右:松尾敬宇

特殊潜航艇に撃沈された「クッタバル」の操舵室

Kuttabul wheelhouse


The ferry kuttabul was requisitioned by the
Royal Australian Navy in November 1940 and
commissioned as an accommodation vessel in
February 1941.It was permanently moored
along the eastern side of Garden Island.

Just after midnight on the night of the raid,Kuttabul was sunk when a
torpedo was fired from a midget submarine.It missed the USS Chicago
passed under the Dutch submarine K-9 and exploded against the sea wall.
kuttabul was lifted high out of the water.Art King,an electrician’s mate
on Chicago,recalled:

            I saw the whole ferry lift as though the were on top of
            an enormouse wave and then settle down agein sinking
            at the stern.I saw pieces of wood flying in the air.

The blast stove in the hull,killing 21 naval ratings.Kuttabul sank at once.
K-9 was badly damaged but remained afloat.

This wheelhouse was retrieved from the harbour later in 1942 and used
by the RAN first as a guardhouse at Garden Island and later at the nearby
land base named after the ferry.

The wheelhouse is on loan from HMAS kuttabul on behalf of the
Royal Australian Navy.

(説明板より)

隣りのコーナーには第一次大戦の複葉機が展示されていた。

 複葉機

機体の他に各種細々したものの展示もあったが、その中に偶然にもリヒトフォーヘンの遺品があるのに気がついた。
リヒトフォーヘンはドイツ空軍の撃墜王で、有名なパイロットである。
彼の飛行機は真っ赤に塗られた飛行機だったので、彼は「レッド・バロン」とも呼ばれていた。
小学生の時に、このレッド・バロンの飛行機のプラモデルを作ったことがある!(笑)
うわぁ~懐かしい人の名前を久々に目にしたなぁ~(喜)
この遺品、どうも撃墜された時に彼が履いていたブーツのようである。
どうも、彼を撃墜したのはオーストラリア軍だったらしい・・・・
そういうことで、ここに展示されているようである。
とにかく、時間がないから説明文をゆっくり“解読”する暇もない・・・・(涙)
ついでにカメラのバッテリーも残り少なく写真撮影は厳選しなければならず、この遺品の撮影は我慢することとした。(涙)

あ~なんたることか・・・・

いつの間にか、我がツアーの仲間の姿がどこにもない・・・・(唖然)
ササッと見て、どこかに行ってしまったらしい。
おい、おい、私だけなのか?・・・・残っているのは・・・・
とにかく時間がない!
急がねば・・・

隅っこの目立たぬ場所に機体の残骸が・・・・

 「隼」の残骸

おお・・・これは日本陸軍の戦闘機、「隼」の残骸ではないか!(喜)
こんな目立たないところにあったとは・・・・危うく見落とすところであった。
説明文を読んでいる余裕はない!
写真を撮って、あとから読むしかない!

 The Oscar in the jungles
of New guinea beforeit
was recovered.
Nakajima Ki-43
OSCAR,
number 5465

The Oscar was the principal fighter aircraft
used by the Imperial Japanese Army from
1942 onwards.

The engine and tail section on display come from an Oscar
built in 1943.The planewas damaged by anti-aircraft fire and
crash-landed at a small airfield near Alexishafen,New Guinea.
The battered Oscar was subsequently destroyed by bombing
and strafing.

After the war the metal of the aircraft was partly salvaged
by local people and used to make tools and implements.
Wrecked Oscars at
Madang,New guinea,
being examined by
Australian troops.

(説明板より)

さらに別のコーナーに行ったら、白人のグループが、ガイドさんか説明係の職員の方か、そういう方から日本軍との戦闘についての説明を受けていた。
ん?・・・・ちょっと興味がある・・・・
いったい、彼は我が日本軍に対して、どういう説明をしているんだろう?(笑)
ちょっとだけこの団体の後ろにくっ付いて説明を聞いていたが・・・・
あ~あ~!!!時間がない!
ダメだ・・・途中で断念する!

チモール(Timor)関係の展示 戦犯関係の展示

その他、日本軍関係の品々がショーケースの中に展示されていたが・・・・
一つ一つを撮影する余裕はない。(涙)


写真(上)
スギノ・ツルオという日本兵の戦犯裁判の様子
Sergent Major Sugino Tsuruo stands between
two Australian military policemen at the first
of the war crimes trials held on Labuan
Island,Borneo.Sugino was charged with
having killed 46 Australian,British and indian
prisoners of war on Labuan.

写真(下)
ダーウィンにおける日本人戦犯たちの様子
Japanese soldiers accused of war crimes hear
the charges against them,Darwin,1946

(説明板より)

戦犯関係の資料

1時間半の見学時間では、私にとっては全然足りない!!
気ばかり焦って飛び回ったので、多分、いくつもの展示品を見逃しているだろう。
う~ん・・・ここをジックリ見学するとなると、丸一日はかかるだろうなぁ~(大汗)
ダメダァ~・・・・一人でまた来るようだぁ~(大涙)

残りわずか5分!(涙)
ミュージアムショップに行き、何か手頃な本がないか探す。
シドニー湾攻撃の話とか、ニューギニア戦の話とか・・・・英文でもいいから、何かないものか・・・
オーストラリア軍から見た戦争の話も読んでみたいのだが・・・・
あ~・・・・・ダメだ・・・・
アルファベットが、ずらずらと並ぶ書名は読みづらい・・・(大汗)
え~と・・・これは何について書かれているんだ?
・・・・と、1冊、1冊手にとって見ている時間もない。
時間切れだ!・・・・・残念!!

泣く泣くミュージアムショップを出て、集合場所へ向う。

時刻は12時半である。
昼食は、記念館の向かい側にあるレストランでとるとのこと。

 レストラン

昼食

約1時間の昼休み・・・・
う~ん・・・・私としては、食事の時間を削ってでも見学をしたかったのだが・・・・
こういうところがツアーのツライところである。(大涙)

キャンベラの滞在は、ここまで・・・・
これから空路、メルボルンに向う。

 キャンベラ空港

午後2時、空港に到着する。
午後3時発のメルボルン行き、QF815便に乗るのだが・・・・
あらら・・・・
飛行機のチェックインは各自で機械を使用してチェックインするのだという。(大汗)
ゲゲゲッ・・・・である。(苦笑)
なにせ、私は“機械”が苦手なのである!
成田空港で、何度も失敗しているのである!(大笑)
あららぁ~・・・・でも、やるしかない・・・
ここはオーストラリアである!
当然、画面に表示される文字は英語である。(大泣)
日本語の指示に従っても、変なボタンを押してドジを踏むというのに・・・
英語ですかぁ~(大汗)

ツアーの他の参加者も困った様子・・・・
とりあえず、ガイドさんがやってくれているが、その後ろにズラッと並んでも仕方があるまい。
機械は何台も並んでいるんだし・・・・
「英語がわからねぇ~」と騒いでいるご高齢者のお手伝いをすることにした。
私はおせっかいを焼くのが趣味なのである。(大笑)
非常に不思議なことなのだが・・・
自分のことは全然ダメなのだが、他人を手伝うとなると、俄然、シッカリとしてしまうのである。(大笑)
なんと!読めないはずの英語が理解出来ちゃった!(大笑)
「ファーストネームを入力して下さい」
他の人は、どうもフルネームを入力してエラー続出のご様子・・・・
「ファーストネームだから名前ですよ。苗字は入力しないで!」
「え?何で?」
「だって、そう書いてあるんだもん・・・」(笑)
おお、英語が読めてるジャン!
「機内に預ける荷物は何個ですか?」
「1個なら、ここを押して・・・で、OKを押して・・・」(笑)
まるで何度も経験しているような“知ったかぶり”・・・・(大笑)

他人のをやってあげた後に、自分のを続いて行なう。
知らない単語は“見なかった”ことにしてやったわりには無事に問題なくできた!(大笑)
搭乗券とスーツケースに付ける長いタグが出てきて、このタグをスーツケースに自分で付けてカウンターへ持って行き・・・・
これでチェックインは完了である。
あ~・・・・なんとスムーズな・・・・(喜)

キャンベラからメルボルンまでは、約1時間のフライトである。
それでも機内食は出る!(喜)
クラッカーだのクッキーだのという軽食(おやつ?)である。

 機内食

午後4時過ぎ、メルボルン空港に無事に到着した。

 メルボルン空港

今日の午後は「移動」だけで終る。
真っ直ぐホテルにチェックイン・・・・

時刻は午後5時40分。
夕食まで時間があるので、一人でホテル周辺を散策することにする。

フリンダース・ストリート駅

ホテルは「フリンダース・ストリート駅」の目の前である!
この建物・・・・いいなぁ~(喜)
こういう建物・・・・好きなんだよなぁ~(大喜)

 ライトアップされた駅舎

私は筋金入りの方向音痴である。(苦笑)
ということで・・・・
ホテルを出て左へ曲がり、最初の交差点を左に曲がり、次の交差点を左に曲がり・・・・
という具合に歩く。

狭い路地に、なにやら落書きが・・・・
なぜか、ここだけに落書きがあるところを見ると、ここは落書き専用の路地なのか?(笑)

ブラブラしながら、左、左に曲がっていけば、迷わずグルリと回ってホテルに戻ることができるはずだったが・・・・
自分のホテルを見失って通り過ぎちゃった!(大汗)
相変わらずである・・・(大泣)
次に、今度は、ホテルを出て2つ目の交差点を左に曲がり・・・
という具合に、歩く範囲を徐々に伸ばす。
これなら、ホテルの近くに戻ってきたときには、最初に回ったときに見た景色が見えるので、不安感が和らぐ・・・
と・・・ここまで考えて歩くのだが・・・・
それでも、どっちに向って歩いていたのかがわからなくなるんだから、かなりの方向音痴である。(大泣)
が・・・なんとか迷子にならずホテルに戻ることができた。(笑)
あれほどの目立つ駅舎がホテルの前にあるんだから、戻れないほうがおかしいか?(大笑)

夕食は外でとるという・・・・チャイナタウンの中華料理だそうである。
ということは・・・・
どうやら“保守派の論客”の皆様の要望らしい。
現地のガイドが関わっていない様子なので、たぶん間違いないだろう。(笑)

タクシーを頼んだようだが、ホテルの前の道は大渋滞・・・・
いつまで待ってもやってこない。
中華料理屋の場所を尋ねたら、どうも私が先ほど歩き回ったところから、さほど遠くないようである。
3本ばかり先の道を曲がればチャイナタウンらしい・・・・
もう15分以上もタクシーを待ってるんですけど・・・・
徒歩で行っても、この間に十分、お店に到着しちゃうと思うんですけど・・・(汗)
まもなくしびれを切らしたらしく、タクシーをキャンセルて徒歩でお店に向うことになった。

この中華料理店は予約を入れていたらしいが、店内は大混雑!
一度座ったら立ち上がれないというくらい狭い場所に座らされ、身動きが取れない・・・・(涙)
写真を撮るなんてもってのほかである。
“保守派の論客”の皆様は、得意の(?)中国語でウェイトレスを呼びつけ、何だかんだと大声で注文する。
その得意満面の笑顔を見ていると、やっぱり、この人達は中国の悪口を言っている割には中国が大好きなのではないかと思ってしまうのである。(大笑)
「本当は中国が好きなんじゃないですか?」と言ったら、“保守派の論客”の皆様は苦笑い・・・・
だって、その得意気に話す中国語を聞いていると、そうとしか思えないんですけど・・・・(笑)
何だかんだとケチをつけている割には、嬉しそうに食事を食べているし・・・・(苦笑)

結構、美味しい料理だった!
なんと、支払いは“保守派の論客”の先生“ミヤザキさん”が支払ったという!
あらら・・・ご馳走になっちゃった・・・
もしかして、シドニーで博物館に行けなかったことで私が不機嫌な顔をしたのを気にしてのことだろうか?
それを気にしてご馳走してくださったのだろうか?
かたじけない・・・・感謝、感謝・・・・
直接、“ミヤザキさん”に御礼を述べる。

食事を終え、店の前で解散となる。
“保守派の論客”の皆様と穏健派の(大笑)他の参加者と2つのグループに分かれる。
“保守派の論客”グループは、このままチャイナタウンに残り、我々“穏健派”(大笑)は徒歩でホテルに戻ることとなった。
帰り道の案内役は・・・・なぜか、私!
この方向音痴が案内役である!(大汗)
途中、他の参加者から「ここを曲がるんじゃないですか?」などと言われたが、「いや、いや、このまま真っ直ぐです!」と、いかにも自信ありげなことを言いながらの先導であるが・・・・(大汗)
内心は、かなりドキドキものである。(大笑)

この建物は見た記憶があるから・・・・間違いあるまい・・・・
このまま真っ直ぐ行って右に曲がると駅が見えるはずである。

おお!駅が見えた!
「さすがですねぇ~たいしたもんですねぇ~」と皆さんから褒められたが・・・・
本当は方向音痴なんですけど・・・・(大笑)

無事にホテルに到着する。
コーヒーでも飲みたいねぇ~という人がいたので、散歩がてらコーヒーでも飲みに行きますかぁ~ということになり、有志5名ほどでコーヒーショップを探しに出かける。
「では、案内役、よろしく!」と言われたが・・・・(汗)
マズイ・・・
この周辺は歩いたことは歩いたが、どこに何のお店があったのか覚えていない!(大汗)
私は方向音痴に加えて記憶力も悪いのである・・・・(大涙)

散々ウロウロして、ようやく「スターバックス」を見つけ、そこでコーヒーを頂きながら、おしゃべりをする。
こういう時間というのも私は好きである。(喜)
同じツアーに参加していても、なかなかゆっくりとおしゃべりする機会はないからねぇ~


   


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