装甲巡洋艦『吾妻』の錨 (京都市伏見区 乃木神社) (平成16年10月1日) |
錨の由来
この錨アンカーは日露戦争当時の装甲巡洋艦吾妻あずま(9300頓)に装備された主錨で約3.8屯もの重量があります。
同艦は其の時期に「フランス」で起工進水し完成後我が聨合艦隊に編入され日本海々戦に参加活躍した殊勲艦であります。
昭和初期に舞鶴湾岸に繋留され海軍兵育成の練習艦として転用され大いに貢献しました。
昭和19年退役解体されましたが常に艦と栄光を共にした錨であります。
平成3年6月2日
京都海軍戦没者慰霊 顕彰会
(説明銘板より)
日清戦争後の海軍拡張計画で戦艦は全てイギリスに発注されたが、国際的バランスを保つためと、各国の建艦技術の特徴を見極めるという意味も込めてフランスに発注された。
第一次世界大戦ではインド洋に出撃し、ドイツの通商破壊艦「エムデン」の追跡に従事。
大正末期には舞鶴の機関学校の練習艦として利用。
昭和19年に除籍となり、スクラップとして新艦の建造に利用された。
主な艦暦
明治33年7月28日:フランス・ロワール社サン・ナゼール工場で竣工。
大正10年9月1日:一等海防艦に類別変更。
昭和17年7月1日:特務艦に類別変更。
昭和19年2月15日:除籍。
主要目
(新造時)
常備排水量:9326トン
主機:レシプロ機関2基・2軸
主缶:石炭専焼缶×24 (1万7000馬力)
最大速力:20ノット
航続距離:7000海里(10ノット時)
兵装備:20.3cm45口径砲(連装×2)
15.2cm40口径砲(単装×12)
7.6cm40口径砲(単装×12)
47mm砲(単装×12)
魚雷発射菅・45cm(単装×5)
(参考:『歴史群像2007年10月号付録・帝国海軍艦艇総覧明治大正編』)
(平成20年5月25日追記)
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