幡随院長兵衛 ばんずいいん・ちょうべえ

元和8年(1622年)〜明暦3年7月18日(1657年8月27日)


江戸時代前期の侠客・町奴まちやっこ
経歴は不明。
大名・旗本への奉公人の口入れ稼業をしていたと推定される。
判明している事実は、明暦3年(1657年)7月18日に万随長兵衛と名乗る牢人が、旗本水野十郎左衛門と口論となり、無礼のかどで斬り殺されたということだけである。
後年これが旗本奴と町奴の抗争事件として、芝居や講談で取り上げられて有名となった。


幡随院長兵衛夫妻の墓



幡随院長兵衛夫妻の墓
(東京都台東区東上野・源空寺)





(平成19年12月28日)

幡随院長兵衛墓(都指定旧跡)

台東区東上野6丁目18番 源空寺墓地

江戸初期の町奴。
本名は塚本伊太郎。
肥前唐津の士族で、幡随院の住職向導に私淑(一説には向導の実弟、または幡随院の門守の子ともいう)し、浅草花川戸に住み、奉公人を周旋する口入れ業に従事していたといわれる。
当時町奴と呼ばれる仁侠の徒が横行し、また、大小神祇組という旗本奴も市街を乱していた。
やがて長兵衛は町奴の頭領となり、旗本奴の頭領水野十郎左衛門と張り合ったという。
この辺は多くの伝説と潤色で後世の人々にもてはやされているため、つまびらかにはできない。
慶安3年(1650)4月13日、水野十郎左衛門のだまし討ちにあって没した。
年36。
昭和2年4月、東京都旧跡に指定された。

平成13年3月
台東区教育委員会

(説明板より)

源空寺墓地



源空寺墓地

(東京都台東区東上野6ー18)





(平成19年12月28日)
源空寺



源空寺

(東京都台東区東上野6ー19ー2)





(平成19年12月28日)


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