2.もう、うんざりだ・・・

(「セントラル・マーケット」・「トゥール・スレン博物館」・「チュンエク大量虐殺センター」)


平成25年(2013年)4月28日・2日目

昼食は、レストランでバイキング・・・
まぁ、私は食事の内容なんて何でもいいのだが・・・
世の中には、そうじゃない人もいるらしい。

この間の、台湾への歴史探訪の旅・・・
“保守派の女性”たちのグループが参加したが、旅行後に旅行社の社長に直接メールで抗議をしてきたらしい。
いろいろと“ご不満”な点があったようだ。
その抗議の一つに、呆れた事に「旅行中の食事にフカヒレのスープが出なかった」ということが含まれていたそうである。(唖然!)
『フカヒレを楽しもう』というグルメツアーだったならわかるが、このツアーは『歴史探訪』のツアーだったのである。
ツアー名にも、そう明記してあるのだが・・・
食事の内容にケチをつけるとはねぇ~
ツアーの目的が全然分かっていない・・・
さすがは保守派のオバタリアンである。
常識がない・・・・(大汗)

残念ながら”保守派の女性”だけが常識がないだけではなく、男性にも常識のない者がいる。
この昼食時、私は飲み物としてジュースを注文したところ、私の目の前に座る参加者から面と向かって非難された。
「食事の時にジュースを飲むんですか!いやぁ~信じられねぇなぁ~非常識だね!常識がないよな!」と言い放ったのである。
冗談で言うなら笑えるが、真顔で言われたんじゃ腹が立つ。
が・・・今日は旅行の実質初日でもあるし・・・
相手は私より一回りも年長であるから、“反撃”は遠慮したが・・・
ムカムカ腹が立って食欲なぞは一気に失せてしまった。

我慢、我慢・・・
同じ旅費を払っていながら不愉快な思いをさせられて我慢しなければならぬとは納得できないが・・・
私からすれば、昼間からビールを飲むほうが「非常識」なのだが、だからといってビールを飲む人を非難はしない。
酔って他人に迷惑をかけないのなら、別に構わない。
私が昼食時にビールを飲まずジュースを飲むと誰かに迷惑をかけることになるのかね?

こうなると、“保守派のオバタリアン”も“保守派のオジン”も同じレベルということになるが・・・
“保守派”だからというより「団塊の世代」だから常識がないのではないかという気がしてならない。
初対面でありながら、いきなり非常識呼ばわりしてくるとはねぇ・・・
どっちが非常識なのだろうか?

昼食

頼んだジュースに手をつけないので、他の参加者から声がかかった。
「飲まないんですか?折角頼んだのに・・・もったいないでしょう」
「そうなんですけどね、何だか急に飲む気が無くなりました」
「え~・・・それ高いのに・・・もったいないなぁ~」
「そう、もったいないんですけどねぇ~でもねぇ~飲む気がなくなっちゃったんで、カネを捨てることになっちゃいますけど・・・仕方ないですね」
「・・・・」
目の前に座っている暴言を吐いた保守派の某氏に嫌味を言う。(大笑)

団体旅行には、いろいろな人が参加してくるわけだから、極力相手に不快感を与えないように気を使うのは常識というものではなかろうか?
できるだけ楽しく旅が出来る様にお互いに心がけるのが団体旅行ではあるまいかと私は思うのである。
そういうことが、わからないのが、“団塊の世代”か?(苦笑)

食後は、『セントラル・マーケット』の見学・・・・

移動途中で見かけたビルをバスの中から撮影・・・
このビル・・・オンボロである。
なにせコンクリートがあっちもこっちも剥がれ落ちている。
危ねぇんじゃないかぁ~・・・これ・・・(大汗)
セントラル・マーケット
このマーケットの内部が凄い!
ドームの中心にあるお店の殆どが宝石関係、アクセサリーとかのお店・・・
ここから放射線状にお店が延びていて、そこは衣服関係ばかりである。

ここで参加者最高齢の“ミヤガワおばあちゃん”がベルトを買いたいと言う。
今回の旅行に日本からベルトを持ってくるのを忘れたとか・・・
80歳の高齢者なので(笑)迷子になるといけないから添乗員さんが同行するはずだったが、“ミヤガワさん”は宝石売り場から動かない。(汗)
「これいいわねぇ~、あら、これもいいわねぇ~」と延々・・・
結局、添乗員さんから「お願いしてもいいですか?」と頼まれ、私がボディガード役を務めることになる。

ここでの自由行動時間は30分程度しか与えられていない。
ベルトを買いたいのなら、さっさとそちらを探しに行かねば・・・と、無理矢理、宝石売り場から引き離し・・・(笑)、革製品のお店を探す。
革製品のお店は、このマーケットの外側に張り付くように並んでいた。
東京の「アメ横」みたいな感じである。
いくつかの店を覗き、ようやく1軒、よさそうな店を見つけて交渉に入る。
「いくらに値切ったらいいかしら?」と言うので「半額から交渉してみたら?」と無責任な回答をする。(大笑)
当然、半額なんて問題外だと言われる。(そりゃそうだろうねぇ~)
このお店の“お父さん”と“息子さん”の二人を相手に“ミヤガワさん”は一人で交渉・・・
その間、私は、少し離れて彼女の鞄がスリに遭わないように監視する。
と・・・
店員の青年が英語で話しかけてきた。
が・・・何を言っているのかがわからない。
何度聞き返してもわからない・・・(大汗)

ようやく彼がオランダについての話をしていることがわかるまでにかなり時間がかかった。(大笑)
しかし、いきなりオランダの話とは・・・一体どういうことか・・・・
私は日本人であり、オランダ人ではない。(大笑)
日本人観光客相手の話題が、いきなりオランダの話って・・・どういうことよ?

「オランダが好きなのか?」
「え?オランダ?別に好きじゃないんだけど・・・」
「じゃぁ、なんでオランダなんだ?」
「オランダの首都って、どこだか知ってる?」
「アムステルダムでしょ?」
「だけど、本当はハーグなんだって知ってる?」
「そうだっけ?」
「勉強したんだ」
「オランダを?何で?オランダに行くのか?」
「いや、別に・・・」
はぁ?こいつ何を言っているんだ?(苦笑)
訳がわからん会話である。

が・・・彼は私と英語で話が出来たことに満足そうな顔をしている。(大笑)
「俺は日本人と英語でオランダについて語り合ったんだぞぉ~すごいだろぉ~」というところなんだろう。
ニコニコ嬉しそうな顔をしている。(大笑)

その間、電卓をお互いに叩きながら交渉をしていた“ミナガワさん”は交渉が成立したらしい。(笑)
無事にお目当てのベルトを購入!
それじゃ、記念にと“ミナガワさん”のカメラでお店のご主人と息子さんとのスリーショットを撮影してあげる。
と・・・お店のご主人が私にプレゼントをくれた・・・(驚)
キーホルダー!
はぁ?私は何も買ってないんですけど・・・
なんと人のいい“お父さん”か・・・
私のカメラでも写真を撮っておくべきだったな・・・失敗した・・・

さて、もうそろそろ集合時間である。
同じコースで戻るのも面白くないので、別のルートでグルリとマーケットの周辺を回りながら帰ろうと思ったら・・・
やっちゃった!・・・迷子になっちゃった!(大汗)
実は、臨時ガイド兼ボディーガードの私は筋金入りの「方向音痴」なのである!(苦笑)

迷子になったとは言え、花屋の写真を撮影する余裕はあるのだから不思議である。(大笑)

まもなく、想像していた場所とは違う場所に出てしまった。(大汗)
で・・・周囲を見渡したら・・・
遠くの方に早々と集合している我がツアー客が見えた!
おお!あそこにいる!(喜)

無事に合流に成功・・・

次に向かったのは『トゥール・スレン博物館』・・・・
ただの博物館ではない・・・“虐殺博物館”である。

トゥール・スレン博物館

カンボジアのクメール・ルージュ(カンボジア共産党)が1976年ごろに、廃校となっていた学校の校舎を政治犯の「収容所」として使用し始めたらしい。
1976年(昭和51年)だから、私が高校生の頃である。
ここに約3年弱の間に2万人近くの「政治犯」が収容され、反革命分子をあぶりだすために取調べが行なわれた。
が・・・簡単に言うと拷問をして殺してしまったのである。
ここに収容されていた「囚人」の中で、生き残ったのは7名しかいないという。
つまり、虐殺を行なったわけで・・・
ここの看守は少年・少女の看守が多かったらしいが、彼ら少年少女も虐殺の事実が外に洩れるのを防ぐためだろう、後に処刑されている。

クメール・ルージュ(カンボジア共産党)は極端な毛沢東主義であり、この虐殺を命じたという(本人は否定しているらしいが・・・)ポル・ポトは、毛沢東主義の忠実な“実践者”だったらしい。
ほらね、中国共産党、毛沢東、なんていうのはロクなもんじゃない・・・(笑)
この収容所の所長は中国系の元高校教師だったらしい。
ほらね、中国人というのはロクなもんじゃない・・・(苦笑)

で・・・その収容所跡を、そのまま「博物館」にして公開しているのだそうだ。

犠牲者の墓
THE VICTIMS' GRAVES
14 corpses of the victims were discovered in building “A” by the armed forces of the United Front for the Salvation, Solidarity and Liberation of Cambodia.
They were brought down and buried in this opposite plot.
Among those corpses there was one female victim.
These victims were the last ones executed by agents of S-21 before they fled this prison compound.
(説明板より)
説明板の写真

昔の「教室」は、取調室というか拷問室というか・・・そういうのに使われていたようである。
拷問の果てに殺害された遺体の写真が部屋に飾ってある。

私が高校生の時、ノホホンと京都へ修学旅行に行っているような時に、このようなことがここでは行なわれていたのである。
そう思うと、なんとも不思議な気がしてしまう。
そんな馬鹿な・・・・と信じられないのである。

あの毛沢東の思想が悪いんだよな・・・・
日中戦争の時に中国共産党をやっつけて、日本軍は毛沢東を殺しておくべきだったな・・・(大汗)

日中国交正常化の日中共同声明が出されたのは1972年である。
福田赳夫総理が日中平和友好条約に調印したのは1978年である。
毛沢東思想の忠実なる“実践者”のポル・ポトが虐殺をしている頃に、日本は中国(中国共産党)とニコニコと握手をしていたわけである。
あ~気分が悪い・・・・

で・・・現在は中国(中国共産党)に媚を売って日本企業は中国に進出、カネ儲けに勤しんでいるわけである。
日本駐在員が虐殺されないと目が覚めないのかね?・・・日本は・・・
こいつら中国(中国共産党)に、南京大虐殺がどうのこうのとは言われたくないものである!(怒)

“中国”は決して悪い国ではないが、“中国共産党”は悪い!
というわけで・・・その中国共産党一党独裁の“中華人民共和国”は当然悪い国である!
・・・と、私は思うのである・・・
そうなると、その中国に媚を売る日本は、もっと悪い国!・・・ということになるのではあるまいか?(苦笑)

手前の棒のような物が「足かせ」の道具。
向こうの弾薬箱が「トイレ」・・・排便はこの弾薬箱にさせられたのだそうだ。
逆さに吊るして「水責め」をした場所
THE GALLOWS
This pole with cables attached to it had been used for the student to conduct their exercise.
The Khmer rouge utilized this place as interrogation room.
The interrogators tied both hands of the prisoners to the back by a rope and lift the prisoners upside down.
They did like this until the prisoners lost consciousness.
Then they dipped the prisoner's head into the jar of smelly, filthy water, which they normally used as fertilizer for the crops in the terrace outside.
By doing so, the victims quickly regain consciousness, and that the interrogators could continued their interrogetion.
(説明板より)
 虐殺された人達の写真や遺体の写真などが展示されている

子供の頃に「死体」の写真を見ているので、それほど「遺体」の写真を見るのは苦痛ではないのだが・・・
それでももう十分・・・という感じ・・・

独房
拷問の道具

「私はベトナムのスパイです」「私はアメリカ帝国主義の手先です」と言えば拷問の苦痛から解放されるが、生きて解放されるわけではない。
殺してもらうことで苦痛から解放されるのである。
まぁ~中国共産党の“教え”のすばらしいこと・・・呆れるばかりである。

最後の仕上げは・・・人骨の展示。
あ~あ~・・・なんとも残酷な・・・

人骨を展示すること自体、いかがなものかと思うが・・・
国民性なのかなぁ。

この人達、一人ひとり、それぞれの人生があったろうに・・・
こういう最期の遂げ方は、本当に可哀想だ。

ガイドさんが丁寧に時間をかけて説明をしてくれていたが、私は、それほど真剣に聞く気が起こらなかった。
もう、どうでもいいやぁ~・・・うんざり・・・である。
途中で見学をやめて早々と敷地内のベンチに移動し、のんびり構えている参加者も数名見受けられた。
そうでしょうねぇ、気分が悪くなりますよねぇ~
こんなものばかり延々と見せられたんじゃ・・・

拙者はササッ~と軽く見学を終え、「ミュージアムショップ」へ・・・・
といっても、ただの売店だが・・・
自分用の土産にスーツケースに貼るためのステッカーを探す。
店員に尋ねたら、ステッカーなどは無いと言う。
で・・・しつこいようだが・・・(笑)、じっくりと店内を見て回ったら、薄汚れたショーケースの中に、それらしきものを発見!
「ちょっと、これ、ステッカーじゃないのか?」
「え?ステッカー?」
おい、おい、自分が売っている物くらい把握しておけよ・・・(汗)
「ちょっと、鍵を開けて見せて!」
で・・・見せてもらったら、カンボジアの国旗のステッカーではないか!
見っけ!見っけ!(狂喜)
1枚1ドル(アメリカドル)だと言うので、1枚だけ買う。(喜)

ステッカーを1枚買って大喜びしている私を見て店員は呆れ顔・・・
店員のこのオバチャン、こんなステッカーより、本を売りたくてしょうがないらしい。
一生懸命、英語で説明してくれるが・・・
カンボジアの虐殺の本を買う気はサラサラ無い・・・(大汗)
「ここでしか入手できない本なんですよ。他ではどこにも売っていない本なんですよ」と言う。
そりゃ、貴重な本なんだろうけど・・・興味がないんだから買う気はない。
「あのね、俺、ツアー客なんだけど、この後、俺の仲間がたくさんここを通るから、彼らに売り込みなさい」と言って・・・逃げる・・・(大笑)

まもなく集合時間となるので、集合場所の「入口」のところで待っていたが、時間になっても誰も来ない。(唖然)
なんとノンビリと見学しているのやら・・・
と・・・まもなく生暖かい風が吹き始めた・・・
ん?これは・・・ヤバイ・・・
もしかしたらスコールの前触れではないか?
それまでカンカン照りだったのだが、すぐに真っ黒な雲が空を覆い出した・・・
絶対ヤバイ・・・(大汗)
来るぞ!来るぞ!
ようやくツアーのみんながやって来たが、予想通りノンビリと歩いている。
「ヤバイですよ。これ、降り出しますよ!早く歩いたほうがいいですよ!」と声をかけたが、誰も応じない。
完全に無視された・・・(唖然)
なんでこの野郎は焦っているんだ?・・・といわんばかりの顔をして相変わらずノンビリと歩いている。
いつもは私はグループの一番後ろを歩くことにしているのだが、こうなるとその気は起こらない。
一応、忠告はしておきましたからね・・・である。
とにかく、びしょ濡れになる前にバスに戻らねば…
先頭切って、バスに乗り込む。
で・・・人数確認を始めた途端に、土砂降りの雨!
危機一髪だった。(大笑)
どうせなら、もう少し降りだすタイミングが早かったほうが、私の忠告を無視してノンビリ歩いている連中がずぶ濡れになって面白かったんだけどなぁ~(大笑)
正直って・・・残念である。(大笑)

時刻は3時を過ぎ、まもなく4時になる・・・
次に向かうは『キリングフィールド』という場所だそうだ。
「あ~あのキリングフィールドね。見た、見た」
「そう、私もあれを見ましたよ」という声が上ったから、多分、映画の話なんだろうなぁ~

私はこの映画を見た覚えがない。
カンボジアの内戦を取材した米国人ジャーナリストの体験に基づく実話を映画化したもので、クメール・ルージュによるカンボジア人の虐殺が取上げられているらしい。

我々が向かったのは、チュンエクというところにある、虐殺が行なわれた刑場(キリング・フィールド)跡である。
この刑場は、先の「トゥール・スレン」政治犯収容所に付属する“刑場”だったらしい。

キリング・フィールドの入口

この入口には、「チュン・エク・ジェノサイト・センター」(チュンエク大量虐殺センター)と書かれていた。
入って直ぐ、真正面に「慰霊塔」がある。

慰霊塔
この「慰霊塔」の中にも人骨が・・・・
なにもわざわざガラス張りにして「さらし者」にする必要はないと思うのだが・・・

この「慰霊塔」の裏手に、処刑された犠牲者が発掘された場所がある。

450名の遺体が発掘された場所
「1980年に骨や歯の破片が発掘された」と説明板に書かれていた。
Bones and Teeth Fragment
The bobnes and teeth fragment that were exhumed in 1980
were in the ground Nowadays, the bones and teeth
fragments have come up after the flood and raining a lot,
and they were collected to keep on.
(説明板より)
166体の首なし死体が発掘された場所
この木には子供が縛り付けられ虐殺されたらしい・・・

地面から、当時の犠牲者の衣服だろうか・・・ボロ布が、いくつも顔を覗かせていた。
が・・・どうも不自然な気もする。
当時のものをそのまま放置しているとは思えない・・・
となると、人為的に作られたものか?
そうなると、“ヤラセ”ということになる。
処刑場だったことも、ここで虐殺が遭ったことも、多くの人骨が発掘されたことも事実だろうが・・・
もし、一つでも“ヤラセ”があったら、興ざめとなる。
本物も偽物と疑われてしまうのである。
「こういうイメージです」と説明板があれば話は別だが・・・

以前、鹿児島の知覧にある「特攻平和会館」に行ったことがあるが・・・
この中の展示品の中に、明らかに偽物の「寄せ書き」が展示されていたのを見つけたことがある。
同じ墨の濃さ、同じ筆跡の「寄せ書き」はありえない。
複製品なら「複製品」と明記せねばならない。
遺品に涙する参観者がたくさんいたが、私はこの偽物を見てからは白けてしまい、それ以降、この資料館を“評価”しないことにした。
一つでも偽物を本物のように見せかけて展示しては、全てがパーになるのである。
特攻隊員の遺書も果たして本物かどうかわかったものじゃないな・・・ということになってしまうのである。
お粗末である。

さて・・・この処刑場跡の地面から顔を出している衣服類・・・本物かどうか・・・????

さすがに飽きた・・・(笑)
ここで処刑された犠牲者の皆さんには申し訳ないが・・・
こういうのは、あまり好きではない。
悲惨だからとか、気持ち悪いから・・・というわけではない。
「被害者意識」丸出しの、こういうのが好きではないのである。
他人から同情を買おうとする行為に対して私は潔しとしない性格なのである。

何の罪も無いのに「共産党」に虐殺されたのだから可哀想ではあるが・・・
「虐殺されたんです。見て下さい。こんなにヒドイ目に遭わされたんです」・・・だけなのか?
「だから何だ、だからどうしたいんだ?」と突っ込みたくなるのである。

「犠牲者」であることを「売り物」にして、それだけで済ませてしまうのか?
同情を買ってもらって、それだけで終わらせてしまうのか?
ここは、ただただ同情を買うための施設なのか?
どうもわからない・・・わからないから気分が悪い・・・
これ以上ガイドの説明を聞く気も起こらない・・・
なぜかイライラする・・・
ガイドの説明を聞いている皆さんから離れて、周囲をウロウロする。

資料館

敷地内にある資料館へ行く。
ちょうど灰皿が置いてあったので、タバコを一服・・・と思ったら・・・
掃除婦のオバチャンが持っていた棒で看板を叩きながら「ノー!ノー!」と言う。
ん?何事だ?
見たら、看板に「ノー・スモーキング」と書いてある。
ん?ノー・スモーキング?
だって、これは明らかに灰皿でしょ?どこから見ても灰皿でしょ?
「これ、灰皿だよね?なんでノー・スモーキングなの?」と言ったが、話が通じない・・・
「フン!」とばかり顎を上げて私を見下したような態度で、再び棒を振り回し、看板を叩きながら「ノー・スモーキング!」と言う。
なんだ、その横柄な態度は・・・
私は横柄な態度をとられるとカチンと頭にきてしまう性格なのである。
「おい!ふざけたことを言ってるんじゃねぇよ!ここに灰皿を置いておいて、ノー・スモーキングとはどういうことだ!え?何これ?灰皿でしょ?ノー・スモーキングなのに、なんでここに灰皿があるの?おい!説明しろよ!」(怒)
もうこうなったら私はおさまらない・・・
が・・・このオバチャン・・・相変わらず私を見下した態度・・・
頭にくるんだよなぁ~その態度・・・
もしかして、若いときは収容所の看守でもしていたのではあるまいか?・・・と思いたくなるほどの態度である。(苦笑)
こういう女なら、平然と虐殺もするだろうなぁ~(大笑)

あとからやって来たツアー仲間が「何事ですか?」と騒ぎ出したので、これ以上、このオバチャンを相手にするのはやめたが・・・(苦笑)
頭に来るんだよなぁ~・・・同じことを言うにも言い方があるだろう。
間違って灰皿を置いていたなら、間違って置いてしまったので・・・と笑いながら撤去すれば「あ~そうなんだぁ~」とこちらも笑って対応するから、話は簡単に済むのである。
灰皿を置いておきながらノー・スモーキングっていう話はないだろう。
灰皿があれば、ここでタバコを吸っていいと誰もが思うだろう。
にもかかわらず、その横柄な態度は何だ!(怒)

ムカムカしながら展示品を見ているとロクなことはない。(大笑)
ついつい、展示品にケチをつけたくなるのである。
いわゆる・・八つ当たり・・・というやつである。(大笑)

展示されていた写真パネル・・・
明らかに“怪しい”写真である。(汗)
発掘直後のものらしく、頭蓋骨がズラリと並んでいるのだが、最前列の頭蓋骨には目隠しの布が巻かれている。
これが“怪しい”・・・(笑)
多分、犠牲者たちは布で目隠しをされて虐殺されたのだろうが・・・
その遺体は埋められ、肉は腐って土になり、骨だけが残る。
ならば目隠しの布の下の肉も同様に腐って消滅しているはずだから、いくらきつく布で目隠しをされていても布は緩むはずである。
が・・・写真から見るに、骸骨に巻かれている目隠しの布は皺の様子から、かなりきつく巻かれている。
そんなはずはあるまい・・・・
この布の下の肉も目玉も腐らずに残っているというのか?
明らかに発掘後に改めて布を巻いたとしか思えない。
しかも、ズラリとならんだ頭蓋骨の最前列のものだけに目隠しの布が巻かれているというのもおかしい。
「目隠しをされて虐殺された」ことを示すためにやったことだろうが・・・
発掘後に人為的に手を加えてしまったのでは、厳密に言えば「証拠写真」とはならないのではないか?
こうなると同情を買うための“ヤラセ”写真と言わざるを得ない。
こういうものは私を白けさせるだけだ・・・
お粗末な内容にガッカリ・・・である。

時刻は4時半・・・
今日の見学はこれで終了・・・
今日は、いろんな意味で気分の悪い一日だった。
で・・・・ホテルに戻る。


   


 トップページに戻る   旅日記に戻る

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu