3.徒歩でベトナムへ行く

(ネアックルーン・スバイリエン・バベット・モクバイ・「クチ・トンネル」)


平成25年(2013年)4月29日・3日目
午前6時に朝食。
朝食はバイキングだが、今日はコックさんにオムレツを作ってもらった。(嬉)

午前8時、ホテルを出発・・・
今日は陸路、ベトナムに向かう。

プノンペンの町の様子

約1時間半ほどでネアックルーンのフェリー乗り場に到着する。
ここでフェーリーに乗って河を渡るが、いつ乗れるかはわからないとのこと。
直ぐに乗れるかもしれないし、1時間ぐらい待たされるかもしれないので、どうしてもトイレに行きたい人のみバスから下車してもいいが、それ以外の人はバスの中に乗っていてくれという。
私は大人しく指示に従ったが・・・
そうそう大人しく指示に従う人ばかりではない・・・(笑)
俺も俺もとバスから降りる人がいる。
自己中心、我儘な“団塊の世代”には困ったものである。(苦笑)
何かあっても自己責任だよな・・・

フェリー乗り場には「物売り」の人の他に「物乞い」をする子供の姿が見える。
腕や足の無い「不具者」の子供を抱いて・・・・
もしくは、「不具者」本人が物乞いをしている。

「不具者」という言葉は差別用語かもしれないが・・・
「身体障害者」というと何となく違うような気がするので、私は敢えて「不具者」と書かせていただく。
(身体障害者の私が言うぶんには多少は許していただけるだろう?)

今から30年ほど前にインドに行ったことがある。
この時も、彼らと同じように腕や足の無い幼い子供を抱いて物乞いをするインド人達を大勢見かけた。
話によると、わざと幼い子供の腕や足を切断して、その子供を「商売道具」として貸し出す商売があるのだと聞いた。
そこまでして物乞いをするのかと呆れたが・・・
このカンボジアでも同じことをしているのだろうか?

カンボジアには今でも多くの地雷が残っているのだという。
その地雷によって怪我をする子供が今でも結構いるらしい。
となると・・・一概にはインドの物乞いと同じだとは断言できないが・・・
原因が何であれ、「不具」(身体障害者)であることを“売り物”にして、同情を買って金銭を得ようという行為には変わりは無い。
生活のため、生きるためには仕方がないのだろうが・・・
重々承知の上だが、見ていて、やっぱり気分のいいものではない。

そういえば、今回のカンボジア滞在中には、クメール・ルージュ、ポルポトの虐殺の話ばかりしか出なかった。
カンボジア内戦の時に埋設された大量の地雷の話や、ベトナム戦争の時に米軍が落とした大量の爆弾の不発弾が大量に埋没している話が全然聞こえてこなかったのは何故だろう?
失敗したなぁ~・・・ガイドさんに地雷や不発弾の現状について尋ねればよかった。

この現地ガイドの青年は、なかなか知識も豊富で日本語も上手な人で、かなり優秀な人物である。
ところが我がツアーの“保守派”の某氏は、彼に対して殆ど吊るし上げに近いものの言い方をする。
政治の話や民族間・人種間の問題等などは微妙な話なので慎重にならねばならぬはずなのだが・・・
そういうものに関して、質問というよりは“詰問”するのである。
「カンボジア人はベトナム人のことが好きじゃねぇよな?そうだろ?好きじゃねぇよな?」とか・・・
「どう考えてるんだ?本当のところはどうなんだ?」といった具合・・・
ガイド君は精一杯、その質問に答えているのだが・・・
「そんな答えは納得できねぇなぁ!適当なことを言って誤魔化すんじゃねぇよ!」という暴言を平気で吐く。
「いくらなんでも、そういう言い方をしたら可哀想でしょ」という声も上ったが、本人は平然と言い続ける。
困ったオッサンである。
日本人のイメージダウンである。
ガイド君は、かなり真剣に受け答えをしているのは聞いていてよくわかる。
決して誤魔化してなどはいない。
誤魔化すのなら、もっと適当なあしらい方があるが、それをしないんだから真面目に受け答えをしている。
どちらかと言えば、そこまで言っちゃっていいの?・・・と、こちらが焦るくらいである。
にもかかわらず・・・この発言・・・
結局、この人は、自分の考えていた答えと違う場合は「受け入れない」というお粗末な思考回路の持ち主らしい。
だったら、わざわざ尋ねることはなかろうと思うのだが・・・(苦笑)
こういうお粗末な思考の持ち主が「保守派」を名乗るんだから「保守派」の恥さらしに近い。
私の経験から言うと、こういう輩は“団塊の世代”に多い。
困ったものである・・・

それほど待たされることもなく、スムーズに乗船出来るようである。
多分、20分程度しか待たされなかったのではあるまいか?

フェリー乗り場
目の前に“フェリー”が・・・
フェリーの内部

フェリーって言っても・・・かなり小さな「平船」である。
これに大型バスやなんかが何台も乗って沈まないのだろうか?・・・などと余計な心配をする。(笑)

さて・・・これから渡る川は・・・多分、メコン川・・・だと思う。(笑)
今回の旅行にもドコモのタブレットを持参したが、カンボジアでは全く使えなかった。
電波が飛んでいないというか・・・何というか・・・
ナビが使えなかったので、一体、自分がどこにいるのかがわからない・・・(涙)
カンボジアでは携帯電話は普及していないのか?(汗)
あ~・・・これもガイド君に尋ねるのを忘れた・・・
どうせ使うことはないので、成田から携帯電話の電源を切ったままだったから、自分の携帯が使えるかどうかも確認していなかった。

日本のODAで建設中の橋を見る

写真では、ちょっと見づらいが、向こうのほうに橋桁が見える。
日本のODAで建設中の橋らしい。
あの橋が完成すると、このフェリーは廃止されることになるのだろうか?
“微妙に”前進しているという、このフェリーも風情があって楽しい。
が・・・ものの10分ほどで対岸に到着してしまった。

対岸のフェリー乗り場

ここからスバイリエンという場所へ向かう。
途中のガソリンスタンドでトイレ休憩・・・
移動途中の景色

周囲には何もない、平坦な地形・・・
多分、農地だと思う。

このあたりが、スバイリエンという町だと思う
地図がないから確証が持てないが・・・(苦笑)

このスバイリエンという町があるあたりは『オウムの嘴(くちばし)』とも呼ばれている地域で、隣接するベトナム領に“オウムのくちばし”のようにカンボジア領が突き出ているため、そう名付けられているらしい。
まぁ、陸続きだから、どのように突き出ているのかはさっぱりわからんが・・・(大笑)
この『オウムの嘴』地域は、ベトナム戦争中、米軍と南ベトナム軍が陸と空から進攻してきたということで有名な場所らしい。
どうもこの辺のことが、ベトナム戦争について知識のない私には良くわからないのだが・・・(汗)
北ベトナム軍は、ラオスやカンボジアの国内を通って南ベトナムの「南ベトナム民族解放戦線(べトコン)」への補給路(ホーチミン・ルート)を作っていた。
べトコンは親北ベトナム、反南ベトナム、反米の勢力・・・
ということは、南ベトナムは親米と反米で内乱状態ということかな?
で・・・米軍と南ベトナム軍は、このべトコンへの補給路を断つためカンボジア領にまで侵攻したらしい。
加えて米軍による激しい空爆もあったようである。

で・・・今回の旅・・・
『ベトナム戦争の戦跡巡り』と銘打ったツアーなのだが・・・
そういう地域だったにもかかわらず、これといった“戦跡”は無いのか、サァ~ッと町を通過した。(唖然)
あらら?・・・ベトナム戦争時の戦跡は無いのか?(大汗)
資料館とか博物館とかも無いのだろうか?
カンボジアでは「資料館」と言ったら内乱の時の“虐殺”のものばかりなのか?
う~ん・・・よくわからん・・・

時刻はちょうど12時・・・お昼である。
国境に到着・・・

遠くに見える塔のような建物が国境の税関らしい。

(バスの中から撮影)

ここがバベットという国境の町らしい。
この国境の近くのレストランで昼食をとる。

昼食を食べたレストラン

(Pho Paris Hotel & Restaurant)
昼食!

昼食後、若干の休憩時間があったので、店外に出て周囲を見る。
なにせ、バスの窓から景色を見ているだけでは面白くない。
本当は少しでも歩くと、色々と見ることができて楽しいのだが、こういうツアーでは望むのは無理というものである。
店から出たら、「はい!すぐにバスに乗って!」・・・ということになってしまう。
そこで短時間でも外の空気に触れなければ・・・と一人、店外へ出る。
(当然、添乗員さんには一言、断りを入れて・・・である)

これから向かう国境方向 今まで通ってきた方向

目の前の道路は国道1号線。
レストランの道路を挟んだ向かい側に「カジノ」があった。

カジノ

どうやら、このバベットには何軒ものカジノがあるらしい。
ベトナムから国境を越えてすぐ、ここで遊んでまたベトナムに帰るのかな?(笑)
私は“博打”の趣味はないので、何が面白いのかさっぱりわからないのだが・・・
好きな人は、わざわざ来るんだろうねぇ~・・・税関を通って・・・

午後1時・・・
我々のツアーバスは、税関の手前までしか行けないという。
ガイド君とは税関でお別れである。
徒歩で国境を越え、ベトナムの税関を通過したら、向こうに別のバスとガイドが待っていると言う。

カンボジア側・バベットの税関

バスからスーツケースを降ろし、ガラガラと転がしながら税関へ行き出国手続き・・・
なぜか・・・私が先頭を切って手続きをすることになってしまった!
ガイド君とはここでお別れ・・・
出国手続きはパスポートを窓口に出すだけで、特に荷物の検査などはなかった。
ここからベトナム側へ向かい、スーツケースを転がしながら徒歩で向かうのだが、初めてなんですけど・・・私・・・(大汗)
先頭を歩きながら、チョット不安・・・ん?これからどうすればいいんだろ?

税関の内部は撮影禁止だが、カンボジアとベトナムの間は、写真を撮っても大丈夫だろう・・・
と・・パチリとやっている間に2人に追い抜かれた!(笑)
先頭から3番目に“落ちた”ので、なんとなく安心する。(苦笑)

ちょうどここが国境線なのかな?

ベトナムの税関に到着・・・
入国審査のため列に並んでいたが・・・
あれれ?・・・次々と脇から割り込んで来るのである!
入国審査の窓口は1箇所にしか係官がいない。
ごった返ししてるのに他の窓口を開けようという気はないらしい。
で・・・次々とベトナム人なのかカンボジア人(クメール人)なのか、現地人が割り込んでパスポートを窓口に出していくのである!
おい!おい!・・・割り込むんじゃねぇよ!(怒)
我がツアーの添乗員が怒り出すのも無理はない・・・
私も当然、頭にきた!
「おい!何のためにここに柵があるんだよ!こら!乗り越えるなよ!おい!後ろに並べよ!」
が・・・連中は平然として割り込んでくる。

しかし、どうも様子がおかしい・・・
パスポートを個人で出す人もいるのだが、10冊、20冊と束にしてまとめて出す人もいるのだ。
ん?これは何か、やり方があるらしい・・・
というわけで、我がツアーも皆のパスポートを集めて一括して窓口に提出してみた。

「てめぇ!割り込むんじゃねぇよ!」と殴りあい寸前の険悪な雰囲気になっているのに係官は全く意に介していない。
ノンビリとペッタン、ペッタンとパスポートにハンコを押している。
あれ?本来ならば、パスポートの写真と本人の顔を確認するんじゃないの?
全く顔をあげず、ひたすら、ゆっくりと、ペッタン、ペッタンとハンコを押している。
その間に、割り込んできた連中が次々とパスポートを窓口に出すから、あっという間に数十冊のパスポートの山が出来る。
なんだ・・・これ・・・(唖然)
しかも、パスポートにお金を挟んであったりするから不思議である。
入国するのにお金なんか必要だっけ?
賄賂?・・・賄賂にしては、いくらなんでも露骨過ぎるだろう・・・
(あとでガイドに尋ねたら、やっぱり賄賂だそうで、お金を挟んで出せば早く手続きしてくれるんだとか・・・呆れた話である)

ハンコを押し終えたパスポートの束がポンと窓口から出されると、サッとひったくって行く人がいる。
ん?出稼ぎのグループのリーダーか何かなのか?
よく自分のグループのパスポートだとわかるものだ・・・(唖然)
本人の顔とパスポートの写真を確認しない入国審査なら、やる必要はないような気がするんですけど・・・(汗)
なんだったら、ハンコを貸してくれれば自分で押しますけど・・・そのほうが早い気がしますが・・・(大笑)
真面目に並んで順番を待っていたため、割り込んできた連中が優先され、我々の入国はかなり遅くなってしまった。
う~ん・・・日本人は何だかんだ言っても真面目なんだよなぁ~(笑)
いや、いや、ベトナムがいい加減すぎるんだろうなぁ~・・・これ・・・

ベトナム側・モクバイの税関

ようやく入国手続き(?)を終え、迎えのバスに乗り込む。
後ろの建物がベトナム側・モクバイの税関である
建物は立派だが、やっていることはお粗末である。(大笑)

さて・・・
これから真っ直ぐホーチミン(旧・サイゴン)に向かうのだが・・・
クチというところは、ホーチミンに向かう途中にあるとベトナムのガイドさんが言う。
「時間に余裕がありそうなので、寄って見ますか?」と添乗員さん。
ツアー客全員が賛成!
状況次第で、柔軟に対応するところがこのツアーの面白いところである。
現地ガイド君は、入場料などが別途かかるが・・・と心配していたが、添乗員さんが全部対応するということで話が決まる。
(そういえば、あとから添乗員さんから追加の請求がなかったが大丈夫だったのだろうか?)

クチという場所で有名なのは「クチトンネル」・・・・
南ベトナム民族解放戦線(べトコン)の地下トンネルがあった場所で、米軍や南ベトナム軍と戦っていたという場所である。
私は、ここに平成15年に一度だけ来た事がある。
(当時の旅日記
いやぁ~10年ぶり?・・・なつかしいなぁ~(大喜)

悲しいかな記憶力の非常に悪い私なので、断片的にしか記憶がないが・・・(笑)
入場口がかなり変わってしまっているような気がする。
それ以外は、それほど変わっていないような気がする。
通常のツアーなら1時間ぐらいかけて見るそうだが、我がツアーの参加者は「30分程度でいいから!」と時間短縮を要求・・・(唖然)
う~ん・・・ここで1時間、時間をとってくれれば私は単独行動で射撃をやりに行けるのに・・・残念である!
久しぶりに射撃がしたいなぁ~(涙)

ここには観光客向けの実弾射撃場があるのだ。
10年前にここで射撃をした時はAK47とM16の二種類の銃を撃った。
AK47(ロシア製の自動小銃)の癖は、弾道が上に上り易いので、少し下へ抑え気味にして撃たねばならない。
そのことをうっかり忘れて撃ってしまい、気がついた時には全弾撃ちつくしてしまったのである。(大涙)
続いてM16(アメリカ軍の自動小銃)は過去に何度も撃ったことがあるので、これはいつもの調子で撃ち、結構いい結果が出て射撃場の人から褒められたのである。
あ~あ~・・・AK47をリベンジしたいなぁ~
30分では、勝手な行動をするわけにはいかないので、我慢するしかない。
今度はいつここに来れるやら・・・
また10年後となると、62歳になっちゃうんだけど・・・(汗)

こんな感じで地面からひょこっとべトコンが現れ、再び穴の中にもぐったのです・・・という実演。
地下トンネルの出入口
これは、落とし穴の「罠」

蓋が回転・・・穴の中には鉄製の太い「針」・・・
米兵がこれに落ちてグサリと串刺しにされるというわけで・・・想像しただけでゾッとする。
こんな感じの場所にトンネルが掘られていたのです。
いわゆる「ジャングル戦」だから、米軍も苦労したのは当然かも・・・
地面の下から神出鬼没のべトコンと落とし穴等々では・・・恐くて足がすくむよなぁ~
古タイヤのゴムを利用して履物を作っていました・・・という実演。
屋根があるところがトンネルの出入口・・・

当然、当時は屋根などは付けられてはいなかったのですが・・・
我がツアー客は皆さん地下トンネルの内部に入られたが、私は入らなかった。
決して閉所恐怖症というわけではない。
中は狭くて、前の人のお尻しか見えないから面白くないのである。(大笑)
写真の撮りようもない・・・というのは10年前に経験済みである。
まさか10年経ったら、トンネルが広くなったということもあるまいから・・・入らないことにしたのである。(大笑)

トンネルから出てきた人達は「いやぁ~狭いんだねぇ~」と言うが、当たり前である。
小柄なベトナム人が動き回れて、大柄な米国兵には狭くて動けないという大きさじゃないと意味が無い。(笑)

米軍の爆撃機B52から落とされた爆弾で出来た穴。

思ったよりも小さい「クレーター」である。
多分、500ポンド爆弾(250kg爆弾)だと思うが、この爆弾の破片は600m~1kmくらいまで飛散する。
投下地点を中心に40m内外にいたら、即死・・・ということになる。
ベトナム戦争当時、B52は、この500ポンド爆弾を1機あたり100発以上搭載してばら撒いた。
それでもクチトンネルにいるべトコンを壊滅できなかったとはねぇ~

べトコンの蝋人形

時刻は3時半を過ぎた・・・
バスに戻り、一路、ホーチミン(旧・サイゴン)へ向かう。

ホーチミン市内に入る。

なぜか、道路わきで「ぬいぐるみ」を売っている・・・

なんで?(笑)

相変わらず、バイクが多い・・
が・・・場所や時間のせいもあるかもしれないが、10年前よりは少ない印象を受ける。
10年前より自動車のほうが増えたような気がするが・・・どうだろう?

時刻は午後5時。
真っ直ぐ夕食会場のレストランへ・・・・

夕食会場は、結構洒落たレストランだった。
ツアーだとバスを横付けするので、お店全体の写真が撮れないのが残念・・・

夕食を終えてレストランの外へ出たら、「物売り」の女の子が二人、しつこく扇子などを売りつけてきた。
いらないから・・・と断ったら「アタシ、カワイソウデショ?コレ、カッテ!」と日本語で言ってくる。
いやはや驚いた。

バスに乗り込み、ホテルへ・・・
ホテルの前でバスを降りたら・・・・
「ハァ~イ!コンニチワ!マッテタヨォ~!コレ、カッテ!」と、女の子・・・
ゲゲッ!
さっきレストランの前にいた「物売り」の女の子たちである!(驚)
「お前ら、バイクで追いかけてきたのか?」
「エヘヘ・・・」

と・・・
「あら、あなたって顔が広いんですのねぇ~、あの方たち、どなた?」と“ミヤガワのおばあちゃん”
「はぁ?顔が広い?」(大笑)
「親しそうに話してたじゃない!」
「あれは、さっきレストランの前にいた女の子たちですよ」
「え?」
「バイクで追いかけてきたみたいですよ」
「え~!」

ホテルの入口に向かって歩いていたら、すれ違いざまに女の子から声をかけられた・・・
「アタシ、200ドル!ヨロシク!」
「はぁ?」

「あら、今の方はどなた?」と、またまた“ミヤガワのおばあちゃん”・・・
「いやぁ~・・・何でしょうかねぇ~」(苦笑)

ホテルの入口に到着したら、サッと女の子が現れ、名刺を差し出してきた・・・
「飲みに行きますか?ガイドしてます!女も紹介するよ!ヨロシク!」と流暢な日本語で話しかけてきた。
「いや、俺、必要ないから・・・」と、ちょっと会話を交わしたら・・・
またまた“ミヤガワのおばあちゃん”・・・・
「ほら、やっぱり、あなた、顔が広いじゃないのぉ~」
「いや、だから・・・違いますってば!」(大汗)

今晩から二泊する「マジェステック・ホテル」
豪華なロビーである!

いやぁ~・・・ツアーなのにこんな豪華なホテルに泊まるの?(汗)
添乗員さんに尋ねたら、某参加者が、ホーチミンに宿泊するなら、このホテルにしろ・・・と要望を出したらしい。(驚)

で・・・・
部屋に入ってみて驚いた!
豪華である!
私好みの部屋である!(大喜)

ベッド脇に狭い通路のようなものが・・・
その先は、バスルームだった!
いやぁ~なんだろう・・・これ・・・
こんなに広い部屋を一人で使っていいの?(大喜)

部屋には果物が置かれていた・・・
これ・・・飾りじゃないよね?・・・ナイフとフォークとお皿も置いてあるし・・・
食べていいんだよね?(笑)

部屋に入って間もなく、ルーム・キーパーのスタッフがチョコレートとミネラルウォーターを持ってやって来た。
どうも「ウェルカム」のサービスらしい。

受け取ったはいいが・・・素朴な疑問が・・・
以前、パプアニューギニアに行った時に、ポートモレスビーのホテルに泊まった際、ベッドの枕元に一口サイズのチョコレートが置いてあった。
多分・・・これはチョコレートなんだろうなぁ~・・・と思ったが・・・
何でベッドの枕元に置いてあったのかがわからない。(汗)
う~ん・・・果たして食べていいものやらどうやら・・・
結局、訳がわからなかったので手をつけなかったが・・・
このホテルでもチョコレート・・・
手渡しだが、明らかに一口サイズのチョコレート・・・
何で、チョコレートなんだろう?
何か意味があるのだろうか?
わからん・・・(苦笑)

時刻は現在午後7時・・・・
明日は、とんでもなく早い時間に出発しなくてはならない。
午前3時起床、4時にはホテルを出て、コンダオ島へ行くために空港に向かわねばならぬのだ。(唖然)
早く寝なければ・・・
スーツケースの荷物を整理し、明日持って行くものをショルダーバックに入れ直し、風呂に入って・・・
急いでベッドに飛び込むが・・・寝られない!
どう考えても、こんな早い時間には寝られない!(苦笑)
参ったぞ・・・(大汗)


   


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