6.ハノイ観光

(ホーチミン廟・ホアロー収容所・ベトナム軍事歴史博物館・革命博物館)


平成25年(2013年)5月2日・6日目

今日はハノイ市内の観光をして、そのまま帰国する予定。
観光しながらそのまま空港へ・・となると、着替えている暇はない。
というわけで・・・
気温は多分30度を超していると思うが、今までの半袖シャツから長袖シャツに替える。
暑いが仕方がない・・・
優先順位としては、日本の気候のほうに合わせておくしかない。(涙)

私は自分のためのお土産というのは滅多に買う事はない。
まぁ、他人へのお土産も滅多に買う事はないのだが・・・(大笑)
唯一の楽しみは、スーツケースに貼るステッカー収集である!
これだけが唯一といっていいほどの自分に対する旅行のお土産なのである。

さて・・・このホテルにはステッカーが置いてあるだろうか?
ロビーで“ベルボーイ”ならぬ“ベルガール”に尋ねてみたが、「ステッカー」の意味がわからないようで・・・(泣)
仕方がないので、スーツケースを持ってきて、ベタベタと貼ってあるステッカーを指さして「こういうのが欲しいんだけどぉ~」と説明する。
スーツケースを持ち出して何やら“騒いでいる”からスーツケースでも壊れて文句を言っていると思ったのだろうか、マネージャーまでが飛んできた。(大汗)

「これ、こういうのが欲しいんだけど!このホテルのステッカーってないの?」
「あ~ステッカーですか!」
ん?さっきから俺はステッカーって言ってるんだけど・・・発音が悪かった?
「申し訳ございませんが、うちのホテルにはありません」
アララ・・・残念・・・
“ベルガール”が「ステッカーをコレクションしてるんですか!」と驚く。
いや、いや、コレクションというほどではないんですけど・・・(笑)
「これ、一昨日泊まったホーチミンのマジェステックホテルのステッカーなんだよ。で、これが、カンボジア、これが、フィリピン・・・」と説明してあげる。
が・・・パラオ共和国とかになると、彼女は、わからないらしい・・・ポカ~ンとしていた。(大笑)

昔は、ちょっとしたホテルには必ずステッカーが置いてあったんだけどなぁ~
もう30年以上も前の話だが・・・(苦笑)
今では滅多に、各ホテルのオリジナルのステッカーというのは入手できない。
ホテルの若い社員は自分のホテルのステッカーなど見たこともないんだろうから、「ステッカーをください」って言われても何のことやらわからないのも当然か・・・

日本も同様で・・・
私が中学生のころは観光地には必ず「ペナント」というのがお土産屋さんで売っていた。
修学旅行などで買って自分の部屋の天井に貼ったものだ・・・
今ではこの「ペナント」を見かけることはない・・・
その後、観光地の名前や絵が描かれた「提灯」が売られていたが、それも今ではお目にかかることがなくなった。
今は何だろう?
“ご当地キャラ”の「携帯ストラップ」かな?(苦笑)
これも、いつこの世から消えるか・・・
ステッカーぐらいは何十年も延々と続いてもらいたいんだけどなぁ~・・・“コレクター”としては・・・(大笑)

私の「ステッカー」集めに驚いていた「ベルガール」さん(笑)

制服が可愛い・・・
この角度からだとよくわからないが、帽子がやたらと大きいのである。
当然のマナーとして、許可を得て撮影した。
私が宿泊した「HANOI DAEWOO HOTEL」

午前8時半、ホテルをチェックアウト・・・・
まず、最初に向かったのは「ホーチミン廟」
「ホーチミン廟」は名前は聞いたことがあるが、どういうところなのかは知らない。(汗)

どうやらここが入口らしい・・・
屋根のついた渡り廊下を歩く・・・
写真の撮影に関しては、結構うるさいのだそうだ。
が・・・・どこまで写真を撮っていいのかがよくわからない。(汗)

『ホーチミン廟』の内部にゾロゾロと進む。
なんと観光客の多いことか・・・・
薄暗い建物の内部は、ヒンヤリと涼しい。
真ん中にガラスケースに入ったホーチミンの遺体があった。
当然、撮影は禁止。
警護の軍人が周囲に立っている。
ガラスケースにはスポットライトの照明が当たっていて、ホーチミンの横たわっている姿を見ることが出来る。
が・・・
なんとも悪趣味な気がしてならない。
遺体を“さらし者”にしている気がしてならないのだ。
こういう神経・・・私には理解できない・・・(大汗)
このように「遺体」を人に見せるというのは共産主義というか社会主義の考え方なのだろうか?
遺体はミイラではなく防腐処理を施されているらしいが・・・・
真っ白な色をしていて、なんとなく蝋人形のように見える。
我がツアーの参加者の中に、以前にここを訪れた方がいて、その方が言うには「以前より遺体が白くなっている気がするが、もしかしたら蝋人形とすり替えたんじゃないか」(笑)と言う。
まぁ、ありえないこともないかな?

『ホーチミン廟』の内部を“見学”して、外に出て振り返って撮影・・・・
ここからなら撮影しても問題はないようである。
警備の兵隊は何も言わなかったし・・・(笑)
グルリと回って「広場」に出る。

こっちが正面か?(苦笑)
この雰囲気・・・ロシア(旧ソ連)の『赤の広場』に似ているような気がするが・・・
(行った事はないから、よく知らないけど・・・)(笑)
真似したのか?

なにやら軍人さんたちが正面に集まっていた。
で・・・衛兵の交替なのか、向こうから鉄砲を担いだ兵隊がやって来た。
この集まっている兵隊さんたち・・・
なんともビシッとしていない。
列は乱れているわ、フラフラ頭は動くわ・・・
多くの観光客が後ろから見てるんだけどなぁ~(大汗)
なんか、みっともないんだよなぁ~
まぁ、“お偉いさん”の訓示が長すぎて飽きていたのかもしれないが・・・(大笑)

ホーチミンの遺体を警護する衛兵は、服装もビシッとしていたが、問題は其の他の場所に立っている警備の兵隊たち・・・
服装がなんともだらしがないのである。(唖然)
アイロンがかかっていないせいか、食べこぼしでもしたのかという汚れがあるせいか、それとも体のサイズに合っていないせいなのか・・・
とにかくキリッとしていない・・・
う~ん・・・ベトナム軍って、こんなにだらしがないのか?
多くの観光客の目に触れるんだから、もう少し服装はきちんとしたほうがいいと思うが・・・(大汗)
元自衛官である添乗員さんも、陸上自衛隊の特別儀仗隊の隊員と比べたら、日本のほうが数段上だと、ベトナム軍の服装と態度のだらしなさに呆れていた。(苦笑)

この広場の向こう側で大規模な建設工事が・・・
どうも話によると、新しく国会議事堂を作っているのだそうだ。
現在の国会議事堂はどこにあるのか知らないけど・・・
手狭になったのか?老朽化したのか?

時刻は午前10時を過ぎた・・・
次に向かったのは、『ホアロー収容所』・・・・
またもや「収容所」・・・監獄の見学である。(汗)

HOA LO PRISON

この監獄は1896年にフランスが造った監獄だそうだ。
外見は監獄とは思えないほど洒落ている。
現在は歴史的遺産として博物館のようになっている。
私は、監獄の展示物より、この建物のデザインのほうが気になった。
結構洒落ていると思うんだよね。
使われている色のせいもあるかもしれないが・・・

Panorama of Hoa Lo  
Hoa Lo prison historic vestiges
(remaining part)
SPACE OF REMAINS OF HOA LO PRISON
(1896-1954)
 
 

どこの“監獄”も似たり寄ったりである。(苦笑)
ガイドさんが丁寧に説明をしてくれるが・・・・
申し訳ないのだが、折角の説明は私の頭は受け付けそうもないので、一人でサッサと先に行きブラブラと見学することにした。

囚人服
A mobile hearing of Hanoi Police Office
in 1885
Woman insurgent troops who look part in
Ba Dinh uprising arrested and kept by
French colonis

展示品の中には、米軍のパイロットの飛行服やパラシュートなども展示されていた。
この“監獄”はベトナム戦争当時は捕虜収容所として使用されていたそうで、撃墜された米軍パイロットなどが収容されていたという。
以前、米大統領選挙に立候補したマケイン上院議員も、ベトナム戦争当時、撃墜され、ここに5年近くも収容されていたらしい。
マケイン上院議員を「ベトナム戦争の英雄」と称える言葉を聞いた覚えがあるが・・・
苛酷な拷問にも耐えたから・・・ということなのだろう。
へぇ~・・・ここに収容されていたのか・・・
残念ながら大統領選ではオバマ候補に負けてしまったが、もしかしたら、ベトナム政府の要人(特に元・北ベトナムの・・・)は、冷や汗をかいていたかも・・・(笑)
そう思うと、マケイン候補が大統領選に勝って大統領になったら、ベトナムは困っただろうなぁ~・・・などと、ついニヤリとしてしまった。(笑)

米軍パイロットの飛行服とパラシュート
(ジョン・マケインが使用していたものらしい)
The flight-suit used by Navy Lieutenant-Commander John Mc.Cain when
flying an A4E Skyhawk to attack the Yen Phu Power Plant.He was shot down
and arrested by the Ha Noi army and people at the Truc Bach lake, october
26th 1967.(after returning his country, John Mc.Cain became the
republican Senater from Arizona and he was a candidate in the 2008
election.)

(説明プレート・英文部分より)
ギロチン処刑台
Guillotine:One of 2 guillotines that the French colonialist used to cut
heads of revolutionary patriotic soldiers who were imprisoned in Hoa Lo
prison:Nguyen Thai Hoc, Pho Duc Chinh (1930), Nguyen Duc Canh,
Ho Ngoc Lan, Nguyen Hoang Ton (1930-1932).

(説明板・英文部分より)

時刻は11時を過ぎた・・・・
この後は、昼食会場へ向かう。

約1時間の昼食後、『ベトナム軍事歴史博物館』へ向かう・・・

道中、車窓から町並みを見る。
フランス統治時代の建物だろうか・・・古い建物が結構ある。
ホーチミンとは雰囲気が違う。

あ~・・・こういう建物・・・好きなんだよなぁ~(笑)
バスの窓からじゃなくて、ブラブラ歩きながら見て回りたい衝動にかられる。
う~ん・・・残念だぁ~
今度は一人で来て、ブラブラ歩きたいなぁ~

午後1時過ぎ・・・『ベトナム軍事歴史博物館』に到着・・・
早速、館内の見学をする。

ベトナム軍事歴史博物館

館内の見学を終え、外に出てみたら、ズラリと大砲が並んで展示されていた。
ふと、その中の一つに目が行った・・・・
あっ!これは・・・旧日本陸軍の『四一式山砲』ではないか!(驚!)
あらあらあら・・こんなところで我が大日本帝国陸軍の大砲に出会うとはねぇ~
もう、これを見ただけで、この博物館に来た甲斐があったというものである!(喜)

四一式山砲
75mm MOUNTAIN ARTILLERY PIECE
WITH THIS WEAPON, BATTERY 2, LED BY HERO PHUNG VAN KHAU, COMPANY 755, ARTILLRY
REGIMENT 675, HAS TAKEN PART IN FIGHTING FROM MARCH.24.1954 TO MAY.7.1954 AND
DESTROYED 5 OF 105mm ARTILLERY PIECES AND AN AMMUNITION DUMP OF FRENCH TROOPS
IN THE CENTRAL SUB-SECTOR OF DIEN BIEN PHU.

(説明板・英文部分より)

この砲に付いている銘板等を調べてみると・・・
砲身には「四一式山砲 №1211」と刻印されている。
つまり、1211番目に製造されたということになるのかな?(笑)
で・・・
この砲身が乗っている“遥架”と呼ばれる部分に付いている銘板には「明治四十四年製 №17 大阪砲兵工廠」とある。
明治44年?
この四一式山砲が開発されたのは明治41年だから、制式採用されて3年後に作られたということになる。(驚)
かなり古い砲ということになる。
しかも17番目・・・(大笑)
ところが、この砲の“脚”の部分には「昭和十五年四月製 №1273 大阪工廠」という銘板が付けられていて、更にこの“脚”の一番後ろにある“脚”を地面に固定させるための杭の役目をする“駐鋤”という部分には「昭和十二年十二月製 №10010 奉天造兵所」の銘板が取り付けられていた。
つまり・・・
各部品の作られた時期がまちまちなのである!(苦笑)
これは、あっちこっちから掻き集めて再生した砲のようである。
あら・・・すごい・・・

隣りに設置されていた、ベトナム語と英語、フランス語の3ヶ国語で書かれた説明板を見てみたが、この砲が旧日本軍の「四一式山砲」であるということは、どこにも書かれていなかった。(涙)
説明文によると、この砲は敵の105mm砲5門とフランス軍の弾薬集積所を破壊して大いに活躍したようである。

この博物館の中庭には、ベトナム戦争当時の兵器類が野外展示されていた。

米軍のハーフトラック
M2か?M3か?
米軍のM84戦車
TANK M84 NO 004
(MANUFACTURED BY THE U.S)
THE TANK WAS SEIZED BY COMPANY 33, BATTALION 20, ARMORED AND TANK
BRIGADE M26 OPERATING IN THE SOUTHEAST OF VIETNAM DURING IN THE
ROUTE 14 OPERATION-PHUOC LONG PROVINCE (13/12/1974-6/1/1975).IT THEN
WAS USED BY THE UNIT IN HO CHI MINH CAMPAIGN (4/1975).


(説明板・英文部分より)

隣りの建物にも何か有りそうなので覗いてみる。

時刻は午後2時過ぎ・・・
次は『革命博物館』に向かう・・・・

バスで移動中、窓から見た家・・・

午後2時20分過ぎに『革命博物館』に到着・・・
早速館内を見学・・・
約1時間で見学をするという。
結構大きな博物館なので丁寧には見られないな・・・

革命博物館

ここに、日本軍の写真も展示されていた・・・

Japanese fascist troops moved to long Son province in September, 1940.

(説明文・英語部分より)

ベトナム語と英語、フランス語で解説がつけられている。
英文の解説を読んでみると・・・
『1940年(日本では昭和15年)の9月にランソン県に来た“日本のファシスト軍隊”』と書いてある。
ファシスト?(汗)
これはどう訳せばいいだろう・・・日本の帝国主義者の軍隊が・・・とでも訳すべきなのかな?(苦笑)
ファシストねぇ~・・・・
違和感を覚えるんだけど・・・(大汗)

ちなみに、ランソンには仏印軍の要塞があって激戦が展開されたらしい。
この写真は、その激戦後、占領した後に撮られたような気がする・・・

Japanese fascist troops on streets of Sai Gon August 3.1941.

(説明文・英語部分より)

この写真の解説は・・・
『1941年(日本では昭和16年)の8月3日にサイゴンの通りを行進する“日本のファシスト軍隊”』と書いてある。(汗)
どこの部隊だろ?・・・・なんとなく海軍陸戦隊のような感じもするが・・・

ホーチミン像

Statute of President Ho Chi Minh read the Declaration of
independence of Ba Dinh Square, Hanoi on the
foundation of Democratic Republic of Viet Nam on
September 2, 1945.

(説明板・英語部分より)

英文の解説文によれば、この銅像は・・・
1945年(日本では昭和20年)の9月2日にハノイのバー・ディン広場でホーチミンがベトナムの独立とベトナム民主共和国の設立の宣言をしている姿・・・と書いてある。
8月15日に日本が負けた後すぐにベトナムは独立宣言をしたとは知らなかった。(汗)
ところで、この英文では“リパブリック・デモクラティック”(民主共和)って書いてあるんだけど・・・
ベトナムって社会主義共和国じゃなかったっけ?
おかしいなぁ~と思ったら、独立した時は「民主共和国」として独立して、1976年(昭和51年)、私が16歳の時に「社会主義共和国」に改名したのだそうだ・・・(汗)
へぇ~・・・それも知らなかった・・・

展示品が多すぎて(大汗)、1時間程度では見切れない・・・
しかも、解説文は英語なので“解読”するのに、とてつもなく時間がかかるのである。(涙)
というわけで・・・ジックリ見るのは諦めて、サッサと走るように見ることにした。

この建物の外のガラス張りの小屋に1台の車が展示されていた。

CAR 3NC 115
Given to Vietnam Central Labour Party by the Central Communist
Party of Soviet Union in 1954.This is a special armoured car which was
used to drive President Ho Chi Minh and comrades working in the
Politburo of the Party Central Committee to go on business from 1954
to 1972.
TECHNICAL PARAMETER
Engine: 8 cylinders
Diameter of the cylinders: 90
Compressor's itinerary: 118
Power: 140 hoursepower
Length: 610cm
Date of production: 1950

(説明板・英文部分より)

説明板によると、この車は1950年(日本では昭和25年)に作られた車で、1954年にソビエト共産党からベトナム労働党に贈られた車だそうだ。
で・・・この車には特別の装甲が施されていて、ホーチミンや政治局の幹部などが1954年から1972年(日本では昭和47年)まで使用していたそうである。

時刻は午後3時を過ぎた・・・
次に向かうのは・・・定番の免税品店だそうである。
免税店に立ち寄る時間があるのなら、もっと見学をしたかったのだが、ツアーだからやむを得ないか・・・(涙)

私は移動中も外の景色に釘付け・・・(笑)

午後4時、免税店に到着。
私は特に買いたいお土産はないので退屈である。(苦笑)
ここで買物の時間として1時間取っているそうだ・・・
う~ん・・・それなら、もう少し長く博物館を見学したかったなぁ~(涙)

一部の参加者は、本を買いに別の場所へ行きたいと言い、現地ガイドに案内を頼んでタクシーで別行動となる。
なにせ、このツアーの常連の参加者は“研究者”や“論客”や“作家”やら、そうそうたる顔ぶれらしいので・・・
資料収集のため別行動をしたいと言い出す人が出るのは無理はないか?
それがまた出来ちゃうんだから、このツアーは面白い・・・(笑)

免税店

特に買いたい物もないのに1時間もここで時間を潰すというのは、ある意味、苦痛である。(涙)
無料のお茶をいただきながらツアー仲間とオシャベリしていたら店員の“オバチャン”が、フクロウのキーホルダーを売りつけにやって来た。(笑)
あ~・・・そうだ!
我が妹はフクロウ・グッズを集めているんだっけ。
キーホルダーだから・・・甥っ子と姪っ子へのお土産にもしようということで、3個購入する。(笑)

時刻は5時を過ぎた・・・
添乗員さんから、これから「ラブホテル」へ行って、シャワーを浴びて帰国に向けて着替えてはどうかと提案があった。(大笑)
このまま飛行機に乗ると、帰国は明朝となる。
汗をかいて気持ちが悪いだろうから・・・ということらしい。
「ラブホテル」?・・・マジで・・・(大笑)
そういえば、10年前は、追加料金を支払ってホテルのチェックアウト時間を遅くして、日中、観光して一度ホテルに戻って着替えたような記憶が微かに残っている。
なんで、このツアーは延長料金を支払ってチェックアウトの時間を延長しないのだろうと思っていたのだが・・・
こういう手もあったのか・・・(大笑)
何人かで一部屋を「休憩」として借りてシャワーを浴びるほうが安く上る・・・ということらしい。
利用希望者を募ったら、10名ほどが、シャワーを浴びに行く“ツアー”に参加すると言う。
「一度、話の種に行ってみてはどうですか?」と誘われたが、私は既に帰国の服装のままだし・・・
何人もの男で多分狭であろう「ラブホテル」の部屋でシャワーの順番待ちをしようという気は起こらない・・・(苦笑)
ということで、私はお誘いをお断りする。

ところで、その「ラブホテル」ってどんなところなのだろう・・・とガイドに尋ねてみた。
昨晩、私が宿泊しているホテル近くの路地裏などを散策した時に見かけたホテルの話をしたら、そのホテルが、“そういうホテル”なのだそうだ。
あらら・・・私は訳もわからず「ラブホテル」の前を行ったり来たりしていたわけ?(大笑)

「ラブホテル」がある街角で“シャワーツアー”(笑)の参加者を降ろし・・・
参加しない私を含めた5名ほどは、ホーチミン廟近くの駐車場にバスを停めて時間を潰すこととなった。
我がツアー紅一点の“ミヤガワのおばあちゃん”から、この時、先ほどの免税店で買ったベトナムコーヒーをプレゼントされる。
「旅行中、大変お世話になったから・・・」とおっしゃるのだが、私は大して御世話などしていない。(苦笑)
ちょっとだけ気遣っただけのことなんだけど・・・
戦友会の旅行なんかではいつもやっていることなんだけど・・・
でも、ありがたい!・・・恐縮である・・・感謝、感謝・・・

我々“残留組”のほうには、添乗員もガイドも付いてはいない。
みんな「ラブホテル」の方へ行ってしまった・・・(苦笑)
で・・・バスの運転手は言葉が通じない・・・(大笑)
いやぁ~退屈である・・・
私は一人、バスから降りてタバコをふかす・・・
しばらく経って、どうやらバスの運転手の携帯に迎えに来るよう連絡が入ったらしい、身振り手振りで「出発するぞ」と言う。(笑)

生憎、雨が降り出してきたが、無事に街角で“シャワーツアー”の参加者を拾い、夕食会場に向かう。
またまた車窓から建物を眺めて楽しむ。
う~ん・・・キリがない・・・(大笑)

今回の旅行の最後の夕食はフランス料理・・・
洒落たレストランでの食事会である。

パン

10年前にベトナムに来た時、家族だけで経営している小さなフランス料理のレストランで食事をしたことがある。
あの時のフランスパンの美味しさが忘れられない。
ベトナムのフランスパンは本当に美味しいのである。
今回も、その期待を裏切ることなく・・・美味しい!
いやぁ~溜まらんなぁ~この美味しさ!(大喜)
レストランのボーイに尋ねたら「おかわり無料」だそうなので、さっそく「おかわり」を頼む・・・

と・・・
今回の旅の当初に、私が昼食時にビールを頼まずジュースを頼んだら「非常識だ!」と言い放った、“団塊の世代”のオッサン・・・
「そんなに好きなら、俺のも食べろよ!ホラ!食えよ!俺のをやるから食えよ!」と言う。
「いやぁ~結構ですよ。今、おかわりを注文しましたから・・・」
「さっき、あんた、もっと食べたいって言ってたんだろ!いいから俺のも食えって!やるから、ほら、食えよ!」

カチィ~ン!(怒)
「ほら、食えよ!」とは失礼な言い方である。
私は乞食ではない!(怒)
この野郎!・・・と喧嘩をしようと思ったが、我慢する。
ここで喧嘩をしたのでは今回の旅の思い出が台無しになってしまうだろう。

しかし、なんで私が我慢しなければならないのかと思うと腹が立つのだが・・・
どうして、こんなふうに、まともな口の利けない“大人”がいるのやら・・・
こういうのが天下国家を語るんだから興ざめである。
自分は常連だからとのぼせ上っているのか・・・
私が年下だからと舐めてかかっているのか・・・
“先生”などと呼ばれていたようだが、どこが“先生”と呼ばれるに値するか・・・
いずれにせよ、「育ちが悪い」のだろうなぁ~
これだから“団塊の世代”は嫌いなのである。
最後の夜にまた不愉快な思いをさせられた・・・
あ~面白くねぇなぁ~

それにしても、他の“保守派の論客”は、誰も何も言わず静かなのである。(唖然)
中国人や韓国人のマナーの悪さを叩くことはするが、マナーの悪い日本人には遠慮して注意すらしないのか?
「そういう言い方は失礼だろう」と制すると思っていたのだが・・・
所詮、そんなものか・・・(苦笑)

デザート

最後にデザートが・・・・
と・・・またもや、このオッサンが言い放った・・・(唖然)
「俺はこれは食わねぇから、あんた、これを食えよ!やるから食えって!」
何度も遠慮したが、こんどもしつこい・・・
デザートの皿をひっくり返して凄んでやろうかとも思ったが・・・
まてよ・・・どうせなら、平気な顔して食っちゃったほうが得かもしれない・・・(大笑)

本当は、このオッサンは心優しい人なのだろう・・・
親切心から、わざわざ私に食べさせてあげようと言ってくれているに違いない・・・
ただ・・・日本語が上手ではないだけなのだ・・・
可哀想に、日本語が上手く話せない人なのだ・・・
と・・・思えばいい・・・(大笑)

というわけで・・・「じゃぁ、頂きますねぇ!」とデザートの皿を受け取る。(大笑)
下手なプライドを振り回すより遠慮なく食べたほうが得である・・・(大笑)

夕食後、空港へ・・・
成田行きVN310便は午前0時30分発の予定・・・
空港で約3時間ほど時間を潰さねばならないという。(唖然)
我がツアーは空港内で自由行動ということで一時解散・・・
私は一人で空港内を“探検”する。(笑)
と・・・上の階に「ラウンジ」があり、女の子が呼び込みをしていた。

普通、「ラウンジ」というと、ビジネスクラスの乗客とか、航空会社のカードを持っている客とかが対象なのだろうが・・・
暇だったのか、お金を払えば「ラウンジ」が使えると言う。(嬉)
で・・・飲み放題、軽食食べ放題で、しかも喫煙室も用意されていると言う。
少しお金を払っても、そのほうが得ではあるまいか?
で・・・呼び込みの可愛い女の子から「友達も誘ってきて欲しい」と頼まれ、つい、その気に・・・(大笑)
旅の間、御世話になった“作家先生”や“ジャーナリスト先生”など4名ほどをお誘いしてラウンジに戻る。
で・・・私は、しばらく皆さんの雑談を聞いていたが中座して、マッサージルームへ・・・(笑)
なにせ、帰りの飛行機は「機内泊」だからねぇ~・・・
少し“凝り”をほぐしておかないと・・・・(笑)
マッサージから戻り、皆さんのお話を聞かせていただきながら飲み物などを飲んでいるうちにあっという間に時間が過ぎる。
この「ラウンジ」に偶然出会って本当に良かった・・・ハノイの空港はいいなぁ~

午前0時を過ぎ・・・搭乗・・・
帰国の途につく・・・

平成25年(2013年)5月3日・7日目

成田行きVN310便の成田到着予定は午前7時30分頃だが、予定到着時間よりかなり早く成田に到着したような気がする。
追い風にでも乗ったか?(笑)

で・・・・
入国審査を終えて向かったのは・・・トイレ!(大笑)
私の機内持ち込みの手荷物に、昨日のうちに電動カミソリを入れておいたのである。
で・・・・トイレでヒゲソリ・・・
身だしなみというのは大切であろう?(大笑)
“機内泊”の場合・・・機内でヒゲが伸びるのである!(大笑)
というわけで、電動ヒゲソリをスーツケースなどに入れたままでは、あとが面倒なのである。
“機内泊”の場合は、必ず手荷物のほうに入れておかねばならない。
これは、私の“鉄則”である。
ということで・・・トイレに飛び込み、洗面台の前でササッとひげを剃る・・・(大笑)

身だしなみを整えて・・・(大笑)
急ぎ、自宅へ向かう。

で・・・留守番をしていた我が親父は元気だった・・・(大笑)
私の留守中、買物がてら、ヘルパーさんと“散歩”するように介護計画を頼んでいたが・・・
結局、お買物には出かけなかったとのこと。
私が一緒じゃないと不安で仕方がないからやめたと言う。
私の留守中に万が一転んで怪我でもしたら悪いと思ってのことなのだろう。
まぁ、そのくらい慎重なほうがいいかな?・・・(笑)

~終り~



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