千葉県千葉市中央区弁天3−16−1
平成16年8月28日
御由緒
明治天皇の深い思召しを以て、明治11年1月27日、初代県令柴原和が発起となり、一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の勲を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申し上げるため、千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建せられたのに始まり、爾来社地変更・御社号改称等の変遷を経て、昭和42年9月30日亥鼻山から現境内地に御遷座申し上げ、平成7年には、御創立壱百拾五年を記念し、御社殿等の主要建造物大修復工事の大事業を完遂しました。
御祭神
当千葉縣護國神社は、幕末の嘉永6年(1853年)以降約1世紀にわたり、戊辰の役・西南の役・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・大東亜戦争などにおいて、ひたすら「国安かれ」との一念のもとに、その尊いいのちを捧げられた方々のみたまを「護國」の神としてお祀り申し上げているお社であります。
その御祭神の多くは幕末から、明治・大正・昭和にかけて、敢然と国難に立ち向かわれた前途有為な青壮年たちで現在5万7千余柱にのぼり、しかもそれは軍人だけでなく、従軍看護婦や児童、生徒など女性の御祭神も含まれているのです。
このように、当社の御祭神は身分・勲階・男女の区別なく、すべて祖国に殉ぜられた尊いみたまとして斉しく大切に祀られております。
(「千葉縣護國神社参拝のしおり」より)
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護国神社入口 千葉公園の一角にあります。 |
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千葉縣護國神社 御創立百年記念碑 |
碑文
明治11年初代県令柴原和発起人となり千葉県招魂社を県庁公園に造営し戊辰之役の英霊を合祀した
昭和14年招魂社の制度が改められ千葉県護國と改称
今次の大東亜戦争に至るまでの国家に殉ぜられた県下の英霊を合祀する
昭和53年御創立百を迎へ御遺族及び各方面の御協力を仰ぎ百年大祭社殿内外の整備充実するなど記念事業を執行した
昭和54年6月 宮司 根本 正
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忠霊塔 |
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海軍の碑 |
日中戦士鎮魂碑(歩兵第212連隊)
千葉県出身 陸軍少年飛行兵 慰霊之碑
慰霊碑(支那駐屯歩兵第3連隊)
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シベリア強制抑留死没者千葉県慰霊碑『大地』 |
鎮魂
悲惨を極めた第二次大戦は、日本が連合国のポツダム宣言を受諾して、終結した。
しかし、多くの将兵は、酷寒の地シベリアなどに抑留され、長期にわたり、労役に就かされた。
戦友の多くは、厳しい環境の中で病と闘いながら望郷の願いも空しく、凍土の中に永遠の眠りについている。
亡き同胞の昔日を偲び、世界の恒久平和を祈念して、この碑を建立する。
財団法人 全国強制抑留者協会千葉県支部連合会
1996年3月吉日
(説明板より)
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社殿の裏手にある広場です。 ここに忠霊塔や慰霊碑などが建立されています。 千葉公園と繋がっています。 (平成16年8月28日) |
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