大発(大発動艇)


 平成21年3月4日

パプアニューギニア独立国・ニューブリテン島ラバウル


大発動艇

大正14年試作のA型(LB−A)は、ほぼ小発動艇の大型化であった。
昭和2年に新しい訓令が出され、これにより今日に伝わる大発動艇の母型としてのB型が誕生した。
研究のポイントは、凌波性向上のためには船首尖鋭型(小発と同じ形)が好ましいが、接岸後の重量物の揚陸搭載には歩板の着脱が不便であるので、この矛盾をいかにすべきかであった。
最終的には、昭和5年になって、船首上部船体の一部を歩板とした型式に決定した。
全長 13.98メートル
自重 8トン
エンジン 60馬力ガソリンエンジン
速力 8.8ノット
昭和7年、戦車隊が実用化され、八九式中戦車(重量11.5トン、横幅2.2m)の揚陸が必要となり、急いで、全長14.88メートル、自重9.5トンの一廻り大型の艇を建造した。
そして、戦車が自力で揚陸できるよう船底肋骨を2本にした、いわゆるW型を建造したところ、船首部の安定が確実となったため、従来のB型も新造分は全て、船底肋骨をW型とし、型式をC型と改めた。
同時に一廻り大型の戦車揚陸可能のものをD型と定めた。
また、D型では従来のガソリンエンジンに代わりディーゼル主機に改めた。
このエンジンは高速型として陸軍の指示で三菱重工業東京機器製作所で設計し、昭和8年頃完成したといわれている。

大発動艇は開発当初から、船首に山砲や野砲を固縛し、敵前上陸時、船首方向へ射撃しながら進行することもできた。
15センチ榴弾砲を搭載、航進中に発射することもできたが、左右に砲身を回すことができず、(廻して発射すると艇そのものが転覆してしまうので)目標に艇首を向けなければならないという大きな欠点があった。

ソロモンでは簡易砲艇として現地所有兵器で武装し使用した例がある。
艇首に太さ30センチの丸太3本を横に渡し、速射砲を固定する。
このような固定方法であれば、速射砲の持つ左右射界を全て利用できる。
艇の中央には木材で簡易な櫓を組み、ここと艇尾に機関銃を置く。
艇長以下16名が乗船して配置につく。
このような低速軽武装の簡易砲艇でも、戦法によっては米魚雷艇を撃破出来たという。

標準型の大発動艇には艇長以下計6名の船舶工兵が乗船する。
艇が着岸する前に、船尾より錨を海底に投げ込む。
船首が海岸に乗り上げると、直ちに艇首兵2名が左右に“とも綱”を持って飛び降り、“人間錨”となって艇体が引き波で押し戻されるのを防ぐ。
同時に別の船舶工兵が船首歩板を開き、歩兵や貨物の揚陸・搭載を急ぐ。
揚搭完了と共に“人間錨”の兵が戻り、揚錨機で船尾錨綱を巻き上げながら、機関を後進にかけ離岸する。

戦時中は大発動艇の大量生産が要求され、木製、合板製、折畳式、組立型など実に多種のバリエーションが建造された。
このうち組立式は、内陸部の鉄工所で建造し、汽車輸送のため分割建造し、海岸工場で組み立てたもの。
木製、合板製は鉄材不足から発案されたもので、一部は南方各地でも建造されたと伝えられるが明らかではない。

大発動艇は海軍でも兵器に採用されていた。
特型運貨船という名称で一括され雑役船扱いとなり、公称第○号という船名を持っている。
14メートル型大発が主力であるが、小発や13メートル型、特大発も少数づつ整備していた。

舷側に艇名が白記されている場合、陸軍用はアルファベットと番号が艇首に書かれており、海軍は主として4000番代の公称番号のみが4ケタ舷側中央付近に記されている。

(参考:松原茂生・遠藤昭共著 『陸軍船舶戦争』 平成8年 戦誌刊行会発行)


「大発」と「小発」は敵前上陸を想定して開発された世界最初の上陸用舟艇であった。
そして日中戦争から太平洋戦争の全期間を通じて両上陸用舟艇は日本軍の上陸作戦あるところ全てで重宝されたばかりでなく、部隊の交通艇やパトロール艇、時には武装を施して簡易砲艇としても広く活躍することになった。

大発の生産数は昭和15年(1940年)までに135隻、開戦直前の昭和16年(1941年)11月時点で更に300隻が建造された。
大発の実戦での有効な使用実績により、昭和17年(1942年)から建造数が急増し、終戦までに更に5094隻が建造された。

(参考:大内健二著 『戦う民間船』 光人社NF文庫 2006年発行)

(平成23年5月28日追記)


大発動艇の形態上の最大の特徴は、船首の歩み板と船首部の水線下の船型である。
この二点は、いずれも海岸に乗り上げて(これを達着たっちゃくという)、人員、戦車、砲車、馬などを揚陸させる目的から考案されたものである。
船首の歩み板は、下端は蝶番ちょうつがいで船首甲板に連結し、上端は両側に取り付けたワイヤで吊られてハンドルにより手動で上げ下しされ、航行中は船首を閉ざして波浪を浸入させないようになっている。
船首水線下の特異の形状は、二列に造られた左右の小さな船首の上に、水線上の船首本体がまたがって乗るように形成されていることである。
これを前から見るとW字型をしていて、このため揚陸中の安定は良く、航行中の水の抵抗も比較的少ない。
大発動艇が海岸に達着する時は、必ず艇尾の錨いかりを沖で入れて海岸に乗り上げ、波浪で艇が横倒しにならないように艇尾を係止している。
また、艇を海岸から引き出す時は、この錨のケーブルを揚錨機ようびょうきで巻き込めばよいのである。
大発動艇の速力は、作戦上の要求からは、速いにこしたことはないが、このためには抵抗の少ない船型と大馬力のエンジンが必要になる。
しかし、積荷の状況を考えると、あまりスマートな船型は望めないし、艇自体の総重量にも制約があるから、せめて装備するエンジンは、なるべく軽量で出力の大きいものを、ということになる。
ガソリン・エンジンはこの条件にはぴったりだが、火災の危険が多いので、陸軍の大発動艇は、多少重量の増大をしのんでも、取り扱いの安全なディーゼル・エンジンを選んだ。
しかし、海軍の大発動艇は、以前から艦載の内火艇が石油エンジン(灯油を燃料とするもので、石油発動機ともいう)を使用していて慣れているので、このエンジンを採用した。
船体は電気溶接で3.2ミリ鋼板を使用している。
機関は船尾にある機関室内に装備されていて、プロペラ推進のほかに機関室の上にある揚錨機にも動力を供給している。

(性能諸元)
全長:14.88m
幅 :3.35m
深さ:1.52m
自重:9.5トン
排水量(満載):22.5トン
吃水:軽荷=0.68m、満載=1.1m
機関:60馬力石油エンジンまたはディーゼル・エンジン 1基
速力:軽荷=8.8ノット、満載=7.8ノット
航続時間:15時間
積載量:武装兵80名または馬10頭、中戦車1両または貨物13トン

(参考:種子島洋二 著 『ソロモン海「セ」号作戦〜敵中突破、機動舟艇部隊〜』 白金書房 昭和50年第1刷)

(平成29年2月9日 追記)


【大発】

この平底の上陸用舟艇は9.5トン、箱型で全長は14.8メートルであり、70名の武装兵あるいは12トンの軍需品を載せることができた。
トラック4台分の貨物だ。
8ノット(16キロ)/時の速力で85カイリ(横浜から伊豆半島の先端までの距離)を往復できる大発は、支那事変中にも揚子江方面でよく使用されたが、太平洋戦争が始まると何百隻もがマスプロされた。

後期の大発の中には日野重工で作った重砲用九八式6トン牽引車の機関(頭文字をとってロケ・エンジンと称する)をつけたものも多かった。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍兵器発達史』 光人社NF文庫 1999年発行)

(平成29年2月18日 追記)


【大発動艇(通称:大発】

大発動艇の操縦や機関の操作は乗り込んだ船舶工兵隊員が担当する。
これら船舶工兵隊員たちはそれっぞれの艇を母船から海面に降ろす際の要員としての任務も持っている。
艇に取り付けられた金具に船のデリックブームに取り付けられた索を固定し、デリックブームを動かして海面に艇を一隻ずつ降ろす作業を行なう。

大発動艇は陸軍特殊輸送船以外の一般の商船(陸軍が輸送船として徴用した貨物船など)に搭載する場合には、甲板上の船倉ハッチの上に特別に準備された頑丈な木製の台枠の上に並べて搭載される。
この場合、ハッチの規模にもよるが、例えば7千総トン級の貨物船の場合には、一つのハッチの上に2〜3隻の舟艇が並べられる。
そして時には舟艇を二段重ねに搭載することもある。
したがって、7千総トン級の貨物船の場合には標準的には15〜16隻、最大の例では21隻を搭載することもあった。
これによって、輸送船に乗り込んだ2千〜4千人の兵員や、積み込んだ物資をできるだけ短時間で揚陸するようになっていたのであった。

揚陸が敵の制空圏内で行われる場合には、攻撃を避けるために、特に物資の揚陸は可能な限り短時間でしかも夜間に行なう必要がある。
そして海岸に揚陸された物資は敵の攻撃を避けるために、可能な限り速やかに安全な場所に移動しなければならない。
しかしこの作業の迅速化は最後まで日本陸海軍の中で対策が生まれないままであった。
画期的な上陸用舟艇は開発されたが、揚陸後の海岸に集積された大量の物資の効率的な移動手段(各種車輛の活用)の対策が採られなかったことは、日本軍の多くの戦闘場面で悲劇を生むことになったのである。

この大発動艇は世界最初の上陸用舟艇として出現したもので、その形状や性能あるいは特性については秘密扱いであった。
しかし、大発動艇が最初に実戦に登場した上海事変の時には、アメリカ側は本艇の写真撮影に成功しており、その後も様々な資料を入手しており、これらが後にアメリカ独自の上陸用舟艇の開発に大きく貢献したことは知られざる事実である。

(参考:大内健二 著 『揚陸艦艇入門』 光人社NF文庫 2013年1月発行)

(令和2年4月1日 追記)




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