大日本報徳社

静岡県掛川市掛川1176番地


大日本報徳社 平成16年11月28日

報徳思想と大日本報徳社の歴史

幕末から明治に至る日本の黎明期、二宮尊徳の唱えた報徳思想の普及をめざし、道徳と経済の調和・実践を説き、困窮にあえぐ農民の救済をめざした報徳運動が全国に広まりました。
尊徳門下の岡田良一郎の力強い指導による活動が盛んだった掛川は、やがて全国の報徳運動の中核地となり、この地に「大日本報徳社」が開設されたのです。
報徳運動の創始である二宮尊徳は幼名を金治郎といい、少年期に両親と死別。
以後、貧しい暮らしの中で勤労に励み、倹約を重ねながら、かたわらでは独学で豊かな幅広い見識を育み、やがては、全国各地の困窮した農村の救済にその手腕を発揮することになりました。
破綻した農村を救済すべく全精力を傾け、その行動から培った知恵を、二宮尊徳が体系的思想として唱えたものが「報徳の思想」です。
報徳の思想は、たんなる説法や論理ではなく、江戸末期の日本の農村現実に即した実践的なもので、理論は行動と一体をなし、さまざまな生活様式(仕法)として体系化されて人々の暮らしに定着してゆきました。
人間の欲を認めながらも、しかし周りとたくみに調和させながら、心も金も同時に豊かに育もうという、この優れた実践思想は、やがて農村救済という枠を大きく超えて幅広い分野に浸透しました。
渋沢栄一、安田善次郎、松下幸之助、土光敏夫をはじめとする、多くの事業家たちにも多大な影響を与えるなど、歴史的・世界的見地からみても卓越して深遠な報徳の思想は、今も脈々と社会に息づいています。

(リーフレットより)

正門 大日本報徳社正門

道徳門・経済門と刻まれている正門左右の門柱は明治42年の建立
大講堂 大講堂

明治36年に建てられた大日本報徳社の中心的かつ象徴的な建造物。
この大広間で、さまざまな報徳教化活動が行われてきました。
わが国屈指の大規模近代和風建築として知られています。
(静岡県指定文化財)
仰徳記念館 仰徳記念館

明治17年、東京霞ヶ関に有栖川宮邸として建てられた日本館の一部が、昭和13年、当時の一木喜徳郎社長の尽力によって、宮内庁から下賜、移築されました。
現存する宮家の数少ない貴重な建造物です。
(掛川市指定文化財)
仰徳記念館 仰徳記念館
仰徳学寮

仰徳学寮


仰徳記念館とともに移築された有栖川宮邸の一部。
木造総二階建て寄棟造りの建物です。
(掛川市指定文化財)



(平成16年11月28日)

大日本報徳社



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