7.日本人墓地

(ミンタル)


平成21年(2009年)4月25日(第3日目)

さて・・・時刻は10時ちょっと過ぎ・・・・ちょっとお腹が空いたなぁ〜
バナナでも食べたいものである。(笑)
ということで、途中で道草してバナナを買うことにする。
藤井さんは戦時中、ダバオでバナナを食べた記憶があると言っていたので・・・・食べましょう!
懐かしいでしょ?64年ぶりのダバオのバナナですよ〜
今じゃバナナなんて珍しくもないが・・・・
いつでも食べているんだろうけど・・・
ダバオのバナナをダバオで食べるっていうところに価値があるというものである。(笑)

バナナ屋さん
青いバナナ!

今回の旅は残念ながら記録をつけながら・・・・というわけにはいかない。
自分のことより藤井さんの様子を常に見ていなくてはならないので、どうしても記録をつけるというのを忘れてしまう。
で・・・このバナナを買った場所の名前も聞くのを忘れてしまった。(笑)

バナナ屋さんの前の道・・・・

20分ほど走り、ダバオ川を渡る。
ということは・・・・南東から西に向かうってことだな・・・・
藤井さんは「山と川が見られればいい」と言っていたので・・・・
「はい、これがダバオ川ですよぉ〜!」(笑)
藤井さんは・・・・「ほぉ〜」
あれ?

ダバオ川

川を渡って北上。
ミンタルという町の近くにある墓地に行く。
ここはもともと戦前は日本人墓地だった場所。
いまでも昔の日本人のお墓が2つばかり残っているが、戦後ははフィリピン人の墓地となっている。
ここに「戦争犠牲者の慰霊碑」という慰霊碑があったのでお参りする。

旧・日本人墓地

『在留先亡同胞霊場』の碑
『戦争犠牲者の慰霊碑』
この慰霊碑は、この地が、第2次世界大戦の戦前戦中に、多くの日・比両国の人びとが、その生命を捧げた地であることを示すものである。
われわれはここに、これらの御霊が、永遠に安かれと祈るとともに、日・比両国の恒久の平和を祈願して止まない。
建立
昭和60年(1985年)8月吉日

この碑は日本全国のダバオ会員の佐苦志によって建立されたものである。

ダバオ会福島県支部
『沖縄の塔』
『比国日系人会貢献者之碑』

墓地には、お墓参りに来ていた家族がいた。
おばあちゃんと一緒に子供達がいた。
で・・・藤井さん・・・・
バッグの中から飴を取り出して・・・・
日本語で何か言いながら子どもたちに突然飴を配り始めたので子どもたちは一瞬戸惑ったようだが・・・(笑)
しかし・・・こういうちょっとした交流はいいものだ。
お互いにいい思い出が残ってくれたらありがたい。

子どもたちと交流

旧日本人墓地から10分もかからない近い場所に「日本の記念碑」があるという。
どうやら、このダバオにあった太田興業(株)の記念碑らしい。
藤井さんはこの会社の事はよく覚えていた。
戦前からダバオでは有名な会社だったそうだ。

記念碑
ミンタル日本人小学校跡

この記念碑は学校の敷地内にあるが、残念ながら門が閉まっていたので遠くから眺めるしかなかった。
この学校・・・・実は戦前は日本人小学校だった場所である。
ミンタル日本人小学校というらしい。
戦後、フィリピンの公立学校に変わっている。


より大きな地図で ミンタル日本人小学校跡 を表示

ミンタル日本人小学校跡の前の道路

ここから更に20分弱ほど車を走らせ・・・・時刻はちょうど12時。
多分・・・・カリナンという場所だと思うんだけど・・・・
どこかでお昼を食べねば・・・・と・・・選んだ場所は・・・・パン屋さん!(笑)
今日のお昼はお弁当・・・車に積んである。
だから、パンを食べようというのではない。
パン屋の軒先を借りようっていう話らしい。(笑)
お店の「看板娘」にお願いしてテーブルと椅子を借りて、そこでお食事となる。
で・・・タダで借りたんじゃ悪いから・・・コーラを買う。(笑)

パン屋さん
場所を借りて持参した弁当を食べる
持参した昼食のお弁当
パン屋さんの前の道

多分、ここがカリナンという町だと思う。

  


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