8.少年兵同士・・・・

(タモガン、スワワン・マリログ地区)


平成21年(2009年)4月25日(第3日目)

昼食後、一服して・・・・・
更に北の山の方へ向う。
目的地はタモガンという場所。
略図によれば、ここに慰霊碑があることになっている。
約1時間走る・・・・・
ダバオ川に流れ込むスワワン川という支流がある。
略図では、これが目印なのだが・・・・・
あの川がそうじゃないか?
この川がそうじゃないか?
・・・・と散々迷う。
スワワン橋という名がついた橋があったので・・・・多分、これがスワワン川であろう。

スワワン川

ということは・・・タモガンの近くに来ているということになる。
付近の住民に日本の慰霊碑が近くにないかと尋ねながら車を走らせる。
そのうち、日系人が日本の慰霊碑を守っているとの情報を得た。
とにかく、その人の家に行ってみよう・・・ということで、その人の家を探す。
その方のお名前は“アモイさん”という。
日本人名は“サカイさん”
何故か地元の人は、みなさん彼の名前を知っている。
あとでわかったことだが・・・・“アモイさん”の息子さんはここの村の村長さんだった。(笑)

幹線道路から細い脇道に入り、まもなく小さな集落に出合う。
ここに“アモイさん”の家があり、ご本人が在宅とのことで、お会いすることができた。
綺麗で丁寧な日本語で挨拶されたので驚いた。
私の日本語の方が雑で下手くそでお恥ずかしい。
ご自宅の敷地内に慰霊碑があるというので御案内いただく。

慰霊碑
This monument commemorates the memory of the many Japanese, American, and Filipino soldiers who dyed here in the battle of 1945.

激戦地追悼碑
山田部隊(353大隊)生存者一同  1974起

 我等今 この碑前に立ちて 語るべき言葉もない
限りなき春秋の身を 国難に殉じて流した君等将兵の鮮血は今 ふるさとに輝かしき みどりとなりて燃えている

 遠く彼岸に去りし戦友よ
父よ 夫よ 兄弟よ 吾子よ
大菩薩よ 冥されよ
           とこしえに

我等幾再来諸霊菩提誓願
  南無阿弥陀佛   合掌

   元山田部隊ミンタル会
昭和53年8月
   静岡県金谷町 八木石材店

慰霊碑は独立歩兵第353大隊(山田部隊)の生還者が建てたものだった。
“アモイさん”は日本人の父親とフィリピン人の母親の間に生まれた日系二世。
日米開戦時には給仕として日本軍に協力したという。
終戦間際に現地召集され兵隊として日本軍に入ったという。
そういうわけで、自宅の土地を提供して、今でも慰霊碑を守っているという。
現在82歳・・・・ということは・・・藤井さんより1歳年下。
このお話に藤井さんが大感激!
泣きださんばかりの顔をして「お互い長生きして頑張ろう」と握手。
海軍の少年兵と陸軍の少年兵・・・・・
直接の関係はないが、同じ少年兵・・・同じ年代で同じ場所で戦ったということで、やっぱり特別な感情が生まれるのだろう。
二人して手を握り合って・・・・ウン、ウンうなずいてばかりいる。
“アモイさん”は戦前にフィリピンで生まれた日系人なので、戦後はそのままフィリピンに留まったが・・・・
今日までの苦労は並大抵ではなかっただろうなぁ〜と思う。
終戦直後は迫害も受けたのではないだろうか?
今では息子さんが村長さん。
“アモイ一家”は村でもかなりの評価を受けているということだろう。
これも“アモイさん”の人柄のなせるわざかもしれないと思った。

二人の元少年兵
慰霊碑の近くの景色

“アモイさん”に現在地をお尋ねしたら、「スワワン・マリログ地区」と言う。
戦時中は「タモガン」と呼ばれていたそうだ。
タモガンというのは、かなり広範囲な地域を指していたようである。
現在は戦後の行政区分か何かで細かく名称がつけられているのだろう。

“アモイさん”ご家族に別れを告げて、更に北に行ってみる。
10分も走らないうちに道路わきに小さな公園があり、その中に慰霊碑が建っていた。
ここにもお線香をあげてお参りする。

納骨堂・記念碑
お参りをする藤井さん
PEACE & FRIENDSHIP

2003

CENTENNAL MEMORIAL
OF JAPANESE MIGRATION

邦人ダバオ移民 100周年記念

2005
60 YEARS ANNIVERSARY
OF REPATRIATION FROM DAVAO

終戦ダバオ引揚60周年記念

平和友好

納骨堂
この地ダバオ市マランバ マリログ地区サムブノタンを中心としたタモガン山中にはまだ多くのお遺骨が集骨されず放置のままとなっています。
附近住民の温かい友情とご協力により記念碑と納骨堂をこのゆかりの地に建立することができました。
地元住民の更なるご協力により収骨が続けられますことに衷心より感謝申し上げます。
この有難いご行為が今後末永い友好の絆となりますことを祈念いたすと共にみ霊の安らかなご冥福をお祈りいたします。
MEMORIAL SHIRIN
Here on this ground across Mt. Tamugan, located in Sambunotan, Malamba, Marilog District, Davao City, lay the countless unburied and neglected remains of Japanese who lived here before and died at the end of the War.
Though the local people's warm friendship and tremendous efforts in this place of historical connection, it has been made possible to erect this Monument and create a Memorial Shrine.
So we, the Japanese can still continue gather the remains in cooperation of the hospitality of the filipinos in this area.
Because of this, the deepest gratitude is given for the endless effort by them, hoping for the symbol of friendship between Japan and Philippines.
WE pray that every soul here will REST IN PEACE FOREVER.

OKINAWA/DAVAO FRIENDSHIP SOCIETY
沖縄県ダバオ会

(DAVAO) PHILIPPINE NIKKEI-JIN KAI, INC
在(ダバオ)フィリピン日系人会

2005年5月15日 竣工
ダバオ慰霊の日
DAVAO MEMORIAL DAY

私の略図では「陸軍拠兵団慰霊碑」がタモガンにあると記載されているが、これは別の慰霊碑のようである。
本来の目的地ではなさそうだが・・・
まぁ、今回は慰霊碑めぐりが目的じゃないから、ここでいいということにしよう。

 記念碑から見た景色

このタモガン山中には多くの日本兵や在留邦人の骨が埋まっている・・・・

記念碑の前の道路
この公園にちょうど来ていた子どもたちに、またもや飴をあげる

公園にはトイレも完備されていたので、藤井さんには“強制的に”(笑)トイレに行ってもらう。
で・・・・・このトイレ・・・・表記が面白い。

公園の公衆便所

日本語で「女」、その下に英語でSHE(彼女)と書かれている。(笑)
男子の方は、日本語で「男」、英語でHE(彼)である。
まぁ〜意味がわからんでもないが・・・・彼とか彼女というのは面白い。(笑)


  


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