太宰春台 だざい・しゅんだい

延宝8年9月14日(1680年11月5日)~延享4年5月30日(1747年7月7日)


江戸中期の儒学者。
名は純、字は徳夫、春台は号。
信濃国飯田生まれ。
江戸で中野撝謙さけんに入門。
二度出仕したが致仕し、牢人生活を送る。
一時期、京阪間を転々とし、伊藤仁斎にも面会した。
正徳元年(1711年)荻生徂徠に入門。
経学・経世学に優れ、道の外面化の徹底、人間性の否定面の強調など師説を擁護しながら独自の説を出した。
『論語古訓』『論語古訓外伝』は徂徠説の批判を含み、朝鮮の丁茶山にも影響を与えた。
『経済録』は藩政改革に示唆を与えている。
海保青陵・西周あまねなど後世の思想家に与えた影響も大きい。
プライドが高く、はっきりした性格で煙たがられたが、人情に厚い一面もあった。






春臺太宰先生之墓
(東京都台東区・天眼寺)




(平成23年3月10日)

東京都指定史跡
太宰春台墓

所在地 台東区谷中1-2-14 天眼寺墓地内
指定   昭和27年4月1日 旧史跡指定
      昭和33年10月7日 史跡指定

太宰春台だざいしゅんだいは江戸時代中期の儒学者、経世家です。
名を純といい、字あざなを徳夫と称していました。
信州飯田に生まれ、江戸に出て但馬出石(たじまいずし)藩の松平氏に仕えました。
17歳で儒学者中野撝謙に師事し、朱子学を学びました。
元禄13年(1700)、21歳で官を辞し、以後10年の間京都、畿内を遊学し、その間に古学派に親しみました。
正徳3年(1713)、再び江戸に出て、荻生徂徠に復古学を学びました。
孔氏伝古文孝経を研究し、校訂して音註を作り、諸藩に分かちました。
また儒学の基本をなす経学の分野では、『論語古訓』および『論語古訓外伝』など数十巻を著しました。
儒学の思想に関するものとしては『聖学問答』、『弁道書』などがあります。
延享4年(1747)5月晦日、68歳で没しました。
お墓は円頭角柱形の桿石に隷書で「春台太宰先生之墓」と題し、三面に銘文を刻んでいます。
高さ1.32m。

平成22年3月建設
東京都教育委員会

(説明板より)





天眼寺
(東京都台東区谷中1-2-14)




(平成23年3月10日)



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