独立歩兵第13連隊

(通称号:泉5316部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
張家口(中国) 昭和12年 第26師団 レイテ島で全滅

連隊は中国で編成され、しばらくの間、綏遠地区の治安粛正の任につく。
昭和13年2月、第26師団編成後初めて実施された河曲作戦に参加。
黄河南岸の東勝地区の馬占山軍、五原地区の門炳岳軍に対し、第26師団は一大鉄槌を加えるべく第二次綏遠包頭作戦を実施。
連隊は馬占山、何柱岳、門炳岳などを追って、通称「乙作戦」(清水河作戦)を展開。
その後も大海付近の掃討作戦、武川県掃討作戦、後脳包付近の掃討作戦など、一貫した掃討戦、治安工作に専念する。
この他に太行山脈粛正作戦、後套進行作戦、武漢周辺・晋察冀辺区粛正討伐作戦、中原会戦などにも参加。
太平洋戦争が始まると、魯中作戦、黄河南岸地区進行作戦、浙かん作戦を経て、フィリピンへ。
昭和19年11月3日、マニラ港を出発してレイテに向かう。
連隊がオルモックに到着した途端、米軍機の攻撃を受け、第1大隊は被害を受けながらも何とか上陸を果たすが、連隊本部、第2、第3大隊は揚陸前に受けた爆撃のため、兵器・弾薬・食料などを海没させられ、ほとんど携行兵器だけを持って海に飛び込んで上陸。
11月下旬、第1、第2大隊は独立歩兵第12連隊とともにアルブエラ南方で米軍と対峙。
一時は優勢を誇り、敵を分断させるまで攻め入ったが、やがて甚大な損害を受ける。
残る師団主力はブラウエン南飛行場への突撃目的を持って11月13日にアルブエラに転進する。
第3大隊は主決戦正面部隊としてルビ山を前進。
ブラウエン西方の隘路口に達して、同地の米軍約1個中隊を撃破し、高地を占領して後続部隊を待ったが、他の部隊の行軍が遅れてかなわず。
何度も斬り込み戦を敢行して遂に全滅した。


殉国碑

殉国碑
泉第5316部隊之碑

静岡県護国神社

昭和33年9月23日 泉五三一六會會員一同




(平成18年4月13日)

泉第五三一六部隊之碑

泉第5316部隊ハ關東軍ニ屬セル獨立混成旅團トシテ支那事變ノ拡大トトモニ熱河ヨリ中國ニ進出
長城線ヲ突破シ 昭和12年10月張家口ニ於テ第26師團獨立歩兵第13聯隊トシテ編成セラレ 内蒙古ニ進駐 同年11月26日軍旗ヲ奉ズ
爾後 綏遠周邊ノ警備ニ任ジ 五原 中支 中原 浙■ 河南等幾多ノ作戦ニ其ノ赫赫タル戰績ハ偉勲ヲ四圍ニ輝カセリ
時恰モ 大東亜戰酣ナル昭和19年7月 比島方面ニ急派セラレ 同年8月19日未明バシー海峡ニ於テ魚雷攻撃ヲ受ケ 無念ニモ聯隊本部 第2大隊ハ軍旗トトモニ海没 第1 第3大隊ヲ主力トシテ最激戰地 レイテ ノ決戰ニ参加 戰力ヲ物量ニ頼ル優勢ナル敵ト死闘半歳有餘 此ノ間 忠烈ニシテ勇猛果敢ナル奮闘ハ全軍ノ亀鑑トシテ上聞ニ達セルモ 遂ニ全員玉砕ス 嗚呼
今茲ニ殉國ノ至情ヲ讃ヘ 大陸ノ山野ニ 或ハ南海ノ孤島ニ散華セル我ガ勇士ノ霊ヲ慰ムルトトモニ榮譽輝ク部隊ノ偉績ヲ永遠ニ傳ヘンガ為 建之

昭和33年9月
支那派遣軍總司令官 畑俊六 篆額
泉第5316部隊初代部隊長 久野村■代 謹書

(碑文より)

※ ■はパソコン上で表示できない文字及び判読不可能な文字です。

殉国碑の由来碑



『殉國碑の由来』碑
(静岡県護国神社)





(平成18年4月13日)

殉國の由来

去る太平洋戰争において 主として本縣出身者により編成された泉第5316部隊(獨立歩兵第13聯隊)は 内蒙古(モンゴル)の厚和(綏遠すいえん)に在って幾多の作戰警備に任じ 昭和19年7月フィリッピンに轉戰した
途中 部隊の一部はバシー海峡において魚雷攻撃を受け軍旗とともに海歿
残る主力はレイテ島の決戰に臨み死闘すること半歳 矢盡き刀折れレイテの地を朱に染め遂に全員玉砕した
遠い異境の地に飢えと疲勞に耐えながら散華された我が勇士ゆかりの地に何かを遺し 永遠にこれを顕彰したい心が結集され 昭和33年2月泉五三一六會を結成し會員の一致協力により同年9月ここに念願の殉國碑を建立し 毎年秋分の日にこの碑の前で慰霊祭を行っている

(副碑・碑文より)


記念碑?

アルブエラの慰霊碑
(フィリピン・レイテ島)

アルブエラ在住の当時の米比軍(フィリピンゲリラ)の生存者が建てた慰霊碑。
後ろの丘は第26師団斉藤支隊が戦った「バラナスの丘」

旅日記を参照

(平成17年5月6日)

飛行場跡 (平成17年5月7日)

フィリピン・レイテ島のブラウエン飛行場跡

第3大隊855名が戦死した激戦地(旅日記参照)


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