独立歩兵第164大隊

(元:比島派遣独立守備歩兵第32大隊)


鎮魂の碑


比島派遣
獨立歩兵第164大隊
元獨立守備歩兵第32大隊
『鎮魂』の碑

静岡県護国神社



(平成18年4月13日)

顧みれば昭和17年春ころ祖国をあとに征途につき比島セブ島攻略戦に参加以来ビサヤ諸島ミンダナオ島各地に転戦昭和20年4月米軍のダバオ来攻により半歳ダバオ平地北部山嶽地に死闘を重ね部隊の大部を失いて遂に終戦の詔勅を拝す。
我等死すべき命を永らえて虜囚の身となり国に殉ぜし戦友をマッキンレー麓野に残して故国に送還されしより三十有余年を経たり。
時は流れ世は移り今や日本は先進国と称せられ平和国家として繁栄しあり。
今にして昔日を偲び将に隔世の感甚だし。
身を安寧に置きて帰らざる戦友を憶い遺族の身の上におもいをいたすとき断腸の念切なり。
往年我等曽ての戦場たりしセブ、ボホール、ミサミス等に旅してこの地に散華せし英霊の安からんことを祈り更にダバオの地に草むす屍を故国に迎えんとしてインダガン、ウラ、ギヤンガ、ベリサリオ、ラクソン等ダバオ平地を始め遠くタモガン平地、ウピヤン、パルマの山嶽地にバゴボ族、アタ族等現地住民の協力を得て野山を分ち探し求むるも二十余年の歳月は当時と著しく趣を異にしてその収集は意の如くならず。
悄然としてタモガン草原に立ち戦友の名を呼べど応えるものとてなく慟哭して踵を返さんとすればモンドーの山波に雨雲の去来するあり。
我等徒らに歳を重ねて既に秋霜梧桐葉落つる時。
英霊に応えんとして力及ばず。
遺族に酬いんとして才足らず。
ただ哀惜の情切々として胸に迫るのみ。
茲にその壮烈を永く世に伝えんことを願い英霊の異境に彷徨して鬼哭啾啾することなくこの地に鎮まらんことを希いてこの碑を建つ。

昭和57年3月14日
独立歩兵第164大隊戦友一同

(碑文より)

部隊の略歴

昭和17年2月13日
比島派遣独立守備歩兵第32大隊は静岡歩兵第34連隊補充隊に於て編成完結総員762名
同年3月23日
第10独立守備隊隷下部隊として比島攻略戦参加のため宇品出帆
同年4月3日
フィリピンルソン島リンガエンに上陸
同年4月20日
フィリピン中部ビサヤ諸島攻略のためセブ島に上陸爾後セブ、ボホール、レイテ島の戡定作戦竝に警備
昭和18年5月18日
第11独立守備隊隷下部隊と警備を交代ミンダナオ島カガヤンに転進
同年6月24日
F作戦のためミサミス州に上陸爾後ミサミス、ザンボアンガ、ラナオ各州の戡定作戦竝に警備
同年11月16日
第10独立守備隊は軍令により独立混成第30旅団に改編 大隊は独立歩兵第164大隊に改編
昭和19年4月10日
大隊主力はミンダナオ島東海岸リアンガ地区の戡定作戦竝に警備
同年6月15日
独立混成第30旅団は軍令により第100師団(據兵団)に改編 大隊は第75旅団隷下となる
同年9月3日
大隊はミサミスよりパガデアン、コタバトを経てサランガニ湾ダジヤンガスに転進
同年10月5日
師団集結のためダバオ地区に転進師団左翼隊となりダバオ河左岸インダガン、イシン地区に配備
昭和20年4月17日
米第10軍団はミンダナオ島コタバトに上陸 4月30日第24師団を主力とする米軍はダバオに進攻 大隊はダバオ市街北方5粁バガカ高地前面に進出せる米軍橋頭堡陣地に対し攻撃を敢行
同年5月11日
師団命令によりダバオ河右岸に転進 ウラ、キヤンガビヤオ地区に布陣 爾後タクナン、ミンダル、リビーの米軍拠点に対し特攻隊攻撃を続行
同年5月31日
師団命令により1ヶ中隊を海軍第32根拠地司令部指揮下に配属するためダバオ河左岸インダガンに派遣
同年6月1日
米軍主力はウラ、ギヤンガビヤオ所在の大隊陣地に対し連日猛攻を加え来たり死闘を展開す。
6月18日に至りベリサリオ、ラソン、ゴマラン地区に於て同月24日よりタモガン草原にて戦闘を続行、爾後ヌガンウピヤン地区に至る。
海軍部隊配属中隊は左岸転進以来インダガン、マンドック、ドミンガに於て戦闘を続行、爾後奥の森方面に至る。大隊は米軍来攻以来4ヶ月間に渉り千二百有余名の兵力をもってこれを迎撃、善戦敢闘するもその大部を失う。
同年9月4日
第百師団の投降命令が発令され大隊は9月19日タモンガン草原に於て米軍に降り戦争終結となる。
大隊編成以来比島各地に転戦し其の間戦没せる将兵は九百九十有余名に及べり。

(副碑より)


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