独立自動車第63大隊

編成地 編成時期 終戦時の所在地
台湾・屏東 昭和16年 ルソン島・一部レイテ島にて全滅

慰霊碑


元独立自動車第63大隊
慰霊碑

(愛知県幡豆郡幡豆町・三ヶ根山頂・比島観音)

元部隊長 吉村繁次郎書



(平成20年4月16日)

独立自動車第63大隊

当部隊ハ昭和16年10月17日台湾屏東ニ於テ編成を完結シ同年12月25日ルソン島リンガエン湾ニ上陸爾来比島全作戦ニ参加幾多ノ悪条件ヲ克服シテ輸送行動ニ専念シ軍兵站ノ中核トシテ赫々タル緒戦ノ戦勝ニ寄与ス
17年8月桜兵営ニ集結シ此処ヲ根拠トシテ戡定並ニ討伐作戦ノタメ各地ノ戦闘部隊ニ配属サレ多大ナル戦果ヲ擧グ
此間17年8月第4中隊原小隊9月大久保小隊ヲネグロス島ニ派遣シ同島ノ作戦ニ協力セシメタルモ同島ノ治安頗ル悪ク大久保少尉戦死シ溝部少尉之ニ代ル
派遣以来克ク勇戦奮闘ヲ続ケ来リシモ原小隊ハ溝部小隊ト交替セシ南川小隊ト共ニレイテ島ニ転戦シ同島ノ激戦ニテ玉砕ス
19年8月新タニ伊藤隊ヲ編成シ戦力ノ増強ヲ計ルト共ニ状況上桜兵営ヲ去リテ中部ルソン地区ニ分散疎開ス
9月制空権ノ敵手ニ帰シタル後ハ専ラ夜間行動ノ余儀ナキニ至ル
20年1月初旬次期作戦ノタメ部隊ハバギオニ集結シタル直後大隊長ノ指揮スル本部第2第4中隊並ニ材料廠ノ一部ハバギオヲ下りテ糧秣ノ緊急輸送ニ当リタルモ敵上陸ノタメ兵站線ヲ絶タレタルタメカガヤン地区に転進シ同地区ノ緊急輸送ニ任ズ
3月兵站警備隊トナリサラクサク正面第2陣地構築警備中6月初旬撃兵団ニ配属サレ北方転進ノ同兵団ヲ援護スルタメキラン峠ニ陣シ激闘井上大隊長斎藤第2中隊長高橋少尉以下多数戦死ス
後南アンチポロニ集結ノタメ飢餓ト傷病ニ苦シミツツ悲惨ナル行軍ヲ続ケ途中幾多ノ将兵ヲ失ウ
一方バギオ残留ノ第1第3中隊伊藤隊及材料廠主力ハ敵ノ熾烈ナル砲爆撃ヲ冐シバギオ中心ノ緊急輸送ヲ敢行シタル後90粁附近ニ集結飢餓ニ堪エ困難ナル兵站業務ニ就キテ悪戦苦闘ス
又19年10月マニラニテ編成シタル洲淵隊ハ戦況上振武集団ニ属シマニラ東方山岳地帯ニテ苦戦ヲ重ネ殆ド全滅ス
部隊戦死者累計430余名ヲ算ス
38年生還者遺族ヲ糾合シ独自六三会ヲ結成シ今日ニ至ル

昭和49年10月建之
工事施工
東京 小金井
つくば家石材株式会社
社長 信山重由


【独立自動車第63大隊(梅野隊)】

梅野隊は昭和16年に台湾で編成された独立自動車第63大隊だが、自動車を消耗し尽くして昭和20年3月、独立歩兵第72大隊に編成替えになり、さらに4月20日、歩兵第71連隊に転属、ただちにイリサンの戦線に投入された。
その日のうちに急迫してきた米軍と激しく戦い、隊長以下多数の戦死者を出して壊滅したそうである。

(参考:井口光雄著 『激闘ルソン戦記』 光人社 2008年発行)

(平成23年9月26日追記)


【独立自動車第63大隊】

昭和16年12月25日 リンガエン上陸、マニラ攻略戦に参加
昭和17年1月9日 第一次バターン戦に参加
昭和17年2月25日 第二次バターン戦に参加
昭和17年4月12日 コレヒドール戦に参加
昭和17年5月8日 ルソン島全域戡定作戦に参加
昭和17年8月1日 第二次ルソン島全域戡定作戦に参加
昭和18年1月1日 第三次ルソン島全域戡定作戦に参加
昭和19年1月〜10月 粛正討伐作戦に参加
昭和20年6月中旬 北部キラン、キラン峠戦に参加
             キラン失陥後は滝上大隊に編入
             サリナスを経て南アンチポロで終戦

バギオ残留部隊は歩兵第71連隊及び兵站に転属(昭和20年7月15日)
ネグロス、レイテ派遣小隊は該地で全滅

(参考:村田三郎平著 『最前線爆雷製造部隊』 風媒社 1977年第1刷)

(平成23年10月22日追記)



 トップページに戻る   陸海軍部隊リストに戻る

SEO [PR] カード比較  冷え対策 温泉宿 動画無料レンタルサーバー SEO