独立輜重兵第51大隊


慰霊塔



「やすらぎ」の碑
(愛知県名古屋市・愛知県護国神社




(平成15年11月28日)

やすらぎ碑の由来(碑文)

やすらぎとは撰文者の新造語であって、古代における尊貴無比の和の精神と、近代に於ける積極進取の意欲とを調整・統合したところに人間文化究極の理想を求め、これを「やすらぎ」と言う平易な日常語で表し以って本碑建立の指標を揚げようと試みたものである
撰文者 文学博士 高木市之助

丸き輪を積みたるは輜重隊の車輪の輪と、ビルマの象徴パゴダを表し、10個の石の重ねは各種の職業年齢地位階級等を超越した多くの人々の平和を念う祈りの姿である
碑設計者 日本美術家連盟会員二紀会同人 川口正治

碑建立の趣旨

大東亜戦争最大の悲劇の地、灼熱と瘴癘蛮雨の国ビルマに進軍祖国の平和とアジア民族の繁栄を祈りつつ陣没された英霊の慰霊祭を御遺族御参列の上、昭和42年4月23日愛知県護国神社に於いて「たづな会」主催により行なった、其の折故栗本主計少佐夫人栗本八重子殿より慰霊碑建設基金として多額なる御寄進の申出を受け、関係者協議の結果僅少ながら生存者も協力し此の聖域に建設の御承認を得、鎮魂碑を建立することと成った
眞の平和を念い、金■無■を信じ、南十字星の下、ジャスミンの花香る辺に或は人再び訪う事なき密林の奥に、将又濁流渦巻く川渕深く淋しく眠る戦友の切なる念いを永遠に生かす可く、やすらぎ碑と命名
碑中に通称3751部隊の全戦没者名と彼の地に於いて我軍に協力苦楽を共に転戦し亡くなったビルマの同志(■ビルマ文字■バーマ・メイスイルー)及び陣没愛馬の霊を祀り、ビルマ最後の激戦地メークテーラの霊石と、転進中二万余の戦友を呑んだ長恨の濁流シツタン河のに近きペグー釈迦殿の霊砂を納め以って永久へに御魂安からん事を祈念するものである
尚この碑建立に当りては予期せざる敗戦により当時各種資料は焼却され更に二十有余年の歳月を過ぎ残存資料も散逸し戦歿者の大半が詳らかならず困惑するも幸い関係官庁の御助力を得全英霊壱千九百四十七柱が合祀することが出来た
亡き戦友に誓う(■崩し字で書かれた詩■) 山田元八記

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独立輜重兵第51大隊戦歴の概要(碑文)

昭和16年11月30日中部第13部隊において編成完結
大隊長三神少佐始2440名 馬匹1816頭 車輌1440輌
12月8日大東亜戦勃発12月21日大阪港を出港昭和17年1月13日泰国「バンコック」に集結第33師団に配属せられ道無き峻険ベツク山を踏破しビルマ作戦に参加
3月10日「ラングーン」攻略に配属部隊として初の感状を授与さる
爾後大隊は第33師団に第2中隊(福田隊)は第55師団に配属「マンダレー」攻略を初め各方面の作戦に参加
同年7月15日三神部隊長メークテーラにて戦死せられ関根部隊長となる
昭和18年1月第1中隊(幸村隊)第2中隊(福田隊)は「インパール」作戦の陽動作戦隊として南西ビルマの要衝「アキャブ」攻略戦に参加配属部隊として感状を受く
引き続きインパール作戦には陽動部隊たる第55師団に配属
印緬国境の敵中深く侵入し激戦に激戦を重ね特に第2中隊は戦闘隊となり歩兵に代って陣地を死守
師団の転進には陽動隊として欺瞞行動により敵を弄し以って師団の転進を容易ならしむ
部隊本部竝に第3中隊(所隊)第5中隊(稲垣隊)ギヤグーに進出し兵站線の確保に第4中隊(関谷隊)は「プローム」において渡河作業に任じ第6中隊(川瀬隊)は「バセイン」方面の警備に任ず
関根部隊長は転属せられ井上部隊長となり第14野戦輸送司令官清少将の指揮下に入り熾烈なる敵の砲爆撃下において緊急輸送に任じ武功抜群により第28軍司令官より部隊感状を授与せられる
昭和20年3月1日第2中隊は陸上勤務第131中隊第3中隊は陸上勤務第132中隊と編成替になり鉄道隊に配属
「インパール」作戦後の戦況は我軍に有利ならず軍命令により「モールメン」方面に転進す
時恰も雨期にして敵の急追並に「ビルマ」防衛軍の叛乱に遭遇し栗本少佐始め幸村隊長稲垣隊長村井副官等多数戦死戦病死者を出し転進中昭和20年8月14日遂に終戦となる

福田豊一 山田鑑三 記

建立に協力を得た官庁並人々(敬称略)
厚生省援護局調査課
愛知県 岐阜県 静岡県 各関係課
1、ビルマ文字揮毫 日本駐在ビルマ国大使 ウー・バー・スエ
1、碑名揮毫 元第28軍司令官元陸軍中将 櫻井省三
         日本駐在ビルマ国大使館書記官 ウー・オン・チヤノ・タア
         日本駐在ビルマ国大使館連絡官 高橋八郎
1、霊砂寄贈 徳島県ビルマ会並に同会副会長 守住徳太郎
1、霊石寄贈 元防衛庁陸将補 川島威伸
1、碑寄進 故陸軍主計少佐栗本輝尚夫人 栗本八重子
1、資料調査 たづな会事務局 平松義治 小菅信一
1、建設委員 平松義治 小菅信一 山内敞詞 川村栄一 日比野実

昭和43年戊申4月21日
たづな会建立

元ビルマ派遣独立輜重兵第51大隊3751部隊戦没者(碑文より抜粋)

大隊本部 大隊長 陸軍中佐 三神冨雄 始  250柱
第1中隊 中隊長 陸軍少佐 幸村三八吉 始  294柱
第2中隊 陸軍主計少佐 栗本輝尚 始  249柱
第3中隊 小隊長 陸軍少尉 小田唯一 始  213柱
第4中隊 小隊長 陸軍大尉 酒井道雄 始  361柱
第5中隊 中隊長 陸軍少佐 稲垣茂吉 始  230柱
第6中隊 陸軍主計少佐 丹羽茂 始  350柱
軍馬 大神号 始 1816頭


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