独立野砲兵第11連隊

編成地 編成時期 終戦時の所在地
大阪 昭和10年 レイテ島

慰霊碑


慰霊碑
獨立野砲兵第十一聯隊
獨立野砲兵第二聯隊

(愛知県名古屋市・愛知県護国神社



(平成15年11月28日)

獨立野砲兵第11連隊行動の概要(碑文)

昭和10年大阪に於いて編成完結後満洲事変に参加 満州国錦県に駐留す
昭和12年支那事変勃発するや逸早く北京・天津地区に進出
ついで南口居庸関の戦闘に参加 八達岑の嶮を突破して蒙彊に進入 爾来大同周辺の警備に任ずる傍 しばしば出動して各地の戦闘に参加す
この間昭和14年以降 愛知県を主として岐阜県・静岡県出身の壮丁三千五百余名入隊す
昭和19年7月 大同を出発して比島戦線に向かい 8月マニラに上陸 直ちに附近の警備に任ず
同年10月 戦雲急なるレイテ救援のためオルモックに上陸せんとして空襲を受け火砲及馬匹弾薬を失う
残存火砲を以て臂力搬送 克くアルベラ地区に陣地を占領し敵大部隊と激戦の後 或は火砲と共に自爆し 或は斬込隊として敵中に突入 遂に連隊長以下全員玉砕す

英霊に捧ぐ(銘板)

祖國の必勝とその繁榮を信じて散華されし一千二百有餘柱の英靈に對し茲にささやかな碑を建て以て感謝の誠を捧ぐると共にその偉勲を永く後世に傅えんとす

昭和48年5月27日
獨立野砲兵第十一聯隊
 同 第二聯隊
生存者一同

題字
第三代聯隊長 平川清治書


独立混成第11旅団

昭和10年2月、近衛師団、第1師団の差出人員を基幹に東京で臨時編成。
直ちに満洲に派遣され、2月末に熱河省承徳に到着した。
支那事変の勃発と共に応急派兵により、独立混成第1旅団と時を同じくして北支に派遣され、7月19日、一部は順義県に、主力は高麗宮に終結した。

北支派遣時の独立混成第11旅団
旅団長  陸軍中将  鈴木重康(陸士17期) 
旅団司令部     
参謀  砲兵中佐  船引正之(陸士25期) 
参謀  歩兵少佐  宮永義文(陸士29期) 
参謀  騎兵大尉  小林公雄(陸士34期) 
独立歩兵第11連隊  歩兵大佐  麦倉俊三郎(陸士24期) 
独立歩兵第12連隊  歩兵大佐  奈良 晃(陸士23期) 
独立騎兵第11中隊  騎兵少佐  森沢虎亀(陸士30期) 
独立野砲兵第11連隊  砲兵中佐  入江莞爾(陸士23期) 
独立山砲兵第12連隊  砲兵中佐  塚本善太郎(陸士23期) 
独立工兵第11中隊     
独立輜重兵第11中隊     
  総人員4,095名(10月、第26師団に改編)

(参考:『騎兵第百十大隊史』 大隊史刊行委員会 昭和60年3月発行 非売品)

(令和2年5月9日 追記)



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