江見水蔭 えみ・すいいん

明治2年8月12日(1869年9月17日)〜昭和9年(1934年)11月3日


本名は忠功ただかつ
岡山県出身。
軍人を志望して杉浦重剛の称好塾に入る。
同塾で巌谷小波と知り合い、硯友社に参加。
『旅画師』で世に出る。
明治28年(1895年)の『女房殺し』は観念小説として好評。
のちに博文社の雑誌『少年世界』主筆を務め、冒険小説・探検記の領域で活躍した。


文学碑



文学碑

(広島県尾道市・千光寺公園文学のこみち)





(平成18年3月21日)

江見水蔭

覚えきれぬ
島々の名や夏がすみ


名は忠功、明治2年岡山に生まれた。
巌谷小波、大町桂月らと交わり硯友社同人となったが、明治25年には自ら江水社をおこして雑誌「小桜緘」を刊行、田山花袋、太田玉茗らを育てた。
明治27年頃が活躍期で「文芸倶楽部」には眉山、鏡花、柳浪らと名を連ね、その深刻小説風の取材と清新な叙情味とを期待されたが、別に探検小説、冒険小説にも筆をとった。

(説明板より)


冒険小説  探検小説



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