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鳥海 藤波 慰霊碑 (長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地) (平成20年11月23日) |
銘碑
大東亜戦争において巡洋艦「鳥海」は昭和19年10月25日比島レイテ沖海戦において戦没しました
その生存者を駆逐艦「藤波」が収容して 反転中その藤波も昭和19年10月27日比島シブヤン海において戦没しました
それで「鳥海」「藤波」の生存者は一人もなしという最後でした
それから50数年の歳月が流れておりますが このままでは 尊い生命を犠牲にされた殉国の英霊に対し申し訳ないと遺族数名が立ちあがり ここに慰霊碑建立がなされましたことを誠に感激します
平成10年12月吉日建立 鳥海 藤波 遺族有志
発起人 内田美津代
(碑文より)
軍艦鳥海・藤波慰霊碑
重巡洋艦 鳥海
「高雄」型の4番艦
三菱重工長崎造船所において竣工
第4戦隊を編成し、第2艦隊に所属
駆逐艦 藤波
「夕雲」型
重巡洋艦「鳥海」・駆逐艦「藤波」は、レイテ沖海戦において共に第1遊撃部隊(栗田中将直卒)として参戦。
「鳥海」は昭和19年10月25日、敵艦隊と交戦中、敵艦の砲弾が命中し、速力が落ちたところに更に敵航空機の集中攻撃により被弾、火災を誘発し航行不能となる。
警戒にあたっていた「藤波」が「鳥海」の乗員を収容後、魚雷を発射し、「鳥海」は沈没した。
「藤波」は「鳥海」乗員を収容し、主隊と別れて別行動中の10月27日、敵航空機の大編隊と遭遇。
駆逐艦「不知火」と共に善戦健闘したが、被弾により火災を誘発しついに戦没。
僚艦「早霜」が捜索救助に当ったが1名の乗員も発見されなかった。
戦没者は「鳥海」830名、「藤波」130名。
碑は遺族により平成10年12月建立された。
(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)
【夕雲型】
「夕雲」型は基本的には「陽炎」型と同型だが、艦尾を延長することで、要求される35ノットの最高速度を発揮。
「陽炎」型とのもう一つの変更点が、主砲を再び仰角75度に引き上げた砲架を採用したことだが、あくまでも対空射撃が可能というレベルに留まっている。
「夕雲」を除いてすべての艦が太平洋戦争中の竣工。
後期建造艦になるに従って戦時急造のために工作の簡易化が実施されているが、船体の直線化などは行われていない。
【要目】
公試排水量:2520トン
機関出力:5万2000馬力
速力:35ノット
航続力:18ノットで5000海里
乗員数:225名
兵装:12.7cm連装砲×3
25mm連装機銃×2
61cm4連装魚雷発射管×2
【同型艦】
夕雲(昭和16年12月5日竣工〜昭和18年10月6日戦没)
巻雲(昭和17年3月14日竣工〜昭和18年2月1日戦没)
風雲(昭和17年3月28日竣工〜昭和19年6月8日戦没)
長波(昭和17年6月30日竣工〜昭和19年11月11日戦没)
巻波(昭和17年8月18日竣工〜昭和18年11月25日戦没)
高波(昭和17年8月31日竣工〜昭和17年11月30日戦没)
大波(昭和17年12月29日竣工〜昭和18年11月25日戦没)
清波(昭和18年1月25日竣工〜昭和18年7月20日戦没)
玉波(昭和18年4月20日竣工〜昭和19年7月7日戦没)
涼波(昭和18年7月31日竣工〜昭和18年11月11日戦没)
藤波(昭和18年7月31日竣工〜昭和19年10月27日戦没)
早波(昭和18年7月31日竣工〜昭和19年6月7日戦没)
浜波(昭和18年10月15日竣工〜昭和19年11月11日戦没)
沖波(昭和18年12月10日竣工〜昭和19年11月13日戦没)
岸波(昭和18年12月3日竣工〜昭和19年12月4日戦没)
朝霜(昭和18年11月27日竣工〜昭和20年4月7日戦没)
早霜(昭和19年2月20日竣工〜昭和19年10月27日戦没)
秋霜(昭和19年3月11日竣工〜昭和19年11月13日戦没)
清霜(昭和19年5月15日竣工〜昭和19年12月26日戦没)
(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)
藤波 |
昭和18年11月5日、米機動部隊の第一次ラバウル空襲の際、爆撃により中破。
昭和19年6月19日、マリアナ沖海戦に参加。
レイテ湾海戦には、栗田部隊の一艦として、昭和19年10月25日のサマール沖海戦に参加。
昭和19年10月27日、ミンドロ南方において米空母艦載機の攻撃を受け沈没する。
(参考:『日本兵器総集』 月刊雑誌「丸」別冊 昭和52年発行)
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