伏見宮博恭王 ふしみのみや・ひろやすおう

明治8年(1875年)10月16日~昭和21年(1946年)8月16日


伏見宮23代。
伏見宮貞愛親王さだなるしんのうの第一王子で、幼名は愛賢なるかた
明治16年(1883年)華頂宮を継承し、名を博恭と改めた。
ドイツの海軍兵学校・海軍大学校に留学し、明治28年(1895年)に帰朝。
明治37年(1904年)、伏見宮の継嗣邦芳くにか王が病弱だったため、伏見宮に戻る。
日露戦争に出征し、黄海海戦で負傷。
大正3年(1914年)海軍大学校校長、その間に累進して大正11年(1922年)に海軍大将となる。
大正12年(1923年)伏見宮を相続。
昭和7年(1932年)海軍軍令部長となり元帥に列する。
昭和8年(1933年)から昭和16年(1941年)まで軍令部総長。






軍令部総長伏見宮博恭王殿下飛行御上陸記念碑
(山口県下関市・国立病院機構関門医療センター)




(平成23年9月14日)




軍令部総長伏見宮博恭王殿下飛行御上陸記念碑
(山口県下関市長府外浦町1-1・国立病院機構関門医療センター)




(平成23年9月14日)

碑文

維時昭和九年三月十四日畏クモ軍令部總長元帥海軍大将大勲位功四級 伏見宮博恭王殿下本縣海軍志願兵徴募状況御視察ノ御途次呉ヨリ荒天烈風ヲ冒シ呉鎮第一號飛行機ニテ長府町外浦海面ニ御着水直ニ陸路下關市ニ成ラセラレ翌十五日下關市廰ニ於テ執行ノ徴募検査ヲ悉ニ御視察遊ハサレタリ是レ前代未聞ノ盛事ニシテ青年ノ士氣御啓發ノ深キ御思召ハ更ナリ國民精神御涵養ノ尊慮ニ出ラサセラレシモノト拜察シ感恩欽仰ノ至ニ堪ヘス因テ縣民胥謀リ御上陸地點ニ本碑ヲ建設シ以テ長ニ 殿下ノ御鴻徳ヲ記念シ且ツ帝國海軍ノ精兵主義ニ則リ質實剛健ナル青少年ノ輩出センコトヲ庶幾スルノ誠意ヲ表ス

昭和九年十一月
山口縣知事正五位勲四等菊山嘉男謹撰




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