岐阜市御手洗393番地
平成19年4月3日
当神社は、昭和14年内務省令により、明治維新以来の郷土、岐阜出身の戦没者の英霊をお祭りするために創建されました。
天に金華山を仰ぎ、前に長良川の清流を臨む山紫水明の地にあり、この建設にあたっては、県市町村・各職域団体よりの浄財及び勤労奉仕が寄せられ、文字通り岐阜県民全体の護国神社として今日に至っております。
(リーフレットより)
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本殿 (平成19年4月3日) |
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神苑銘碑「大八洲」 (平成19年4月3日) |
神苑銘碑「大八洲」
大八洲(おおやしま)と読む
日本の古称
八の字の中に蛙の隠し彫りあり英魂の児孫に生きてよみがえるの意
八方戸庭天下のことはここにあり
(説明板より)
神苑大八洲
金華山を蓬莱山に、長良川を曲水に見たて、戦国武将が夢かけた歴史の興亡の地に創られた当園は、祖国平安を祈念し、我が日本の国生み創生の姿を造形した現代の名園として、有名であり、ドキュメント映画 大八洲(主演/片岡仁左右衛門、語り/岸田今日子)も制作され好評を博しております。
(リーフレットより)
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陸海軍軍人ニ下シ給ヘル勅諭之碑 奉納 元陸軍第68連隊 六八の集いぼたんの会 昭和55年5月4日建之 (平成19年4月3日) |
碑文(表)
一 軍人ハ忠節を盡すを本分とすへし
一 軍人ハ禮儀を正くすへし
一 軍人ハ武勇を尚ふへし
一 軍人ハ信義を重んすへし
一 軍人ハ質素を旨とすへし
留守第3師団長陸軍中将曽田孝一郎 謹書
碑文(裏)
此軍人勅諭碑は昭和4年の済南事変後稲葉郡鏡島村の小学校正門附近に建立されて昭和20年8月終戦により占領軍の達示で撤去された。
当時の銘板は不詳以後30年余は各務原市芋ヶ瀬の左正市氏の石材置場にあり通心会小谷康夫氏等が発見 六八の集いぼたんの会が再建を議りて当社創建40年記念に奉納す。
此五ヶ条は天地の公道人倫の常経と勅を奉持し戦に殪れ病に死したる戦友に由縁を誌しての志なり
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平和之碑 (平成19年4月3日) |
碑文
『平和之碑』
岐阜県フィリピン慰霊碑建立奉賛会により、昭和54年5月7日、比島ルソン島リサール州モンタルバン町に建立除幕された。
「岐阜県出身戦没者慰霊碑」「主碑」を周辺環境の変化、遺族、戦友の高齢化等による慰霊巡拝の激減により、将来の慰霊碑の管理等を考慮し、慰霊碑「主碑」を撤去し、ご英霊を郷土岐阜県へお帰り願うこととし、平成16年4月、ご英霊お迎えの慰霊巡拝を行い、4月20日現地で還霊祭を斎行し、碑の撤去を行ったものである。
この「平和之碑」は、撤去された「主碑」の銘板であり、岐阜県へ持ち返り、平成16年7月18日還幸祭を行い、ここに安置するものである。
なお、レイテ島に建立してある「副碑」は、現地オルモック市により日比親善の碑として永久管理されます。
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鎮霊社 (平成19年4月3日) |
碑文
この御社には先の大戦の戦没将兵の他にも空襲や海外移住民などの多くの犠牲者が祀られています
人は誰しもが その所を得て祀られねばなりません
友敵恩仇を問わず 不祀怨念もいまは解脱供養し万霊を浄斎して大平を祈ります
正殿の御英霊も靖国なす神と転生され安心されますよう鎮魂の御社です
霊社は伊勢の神宮古殿賜材・霊像に大秡詞と般若心経・床下には戦跡地よりの収骨・遺品を納めた家郷の墳墓です。
昭和53年終戦33年忌建立
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慰霊塔 (平成19年4月3日) |
碑文
この慰霊塔は日清戦役以後太平洋戦争に至る間に日本の繁栄と平和を念じ戦陣に散華されあるいは戦禍にたおれた人々の霊を慰め後世永くその遺芳を伝えるため岐阜県民の総意によって建設されたものである。
碑文(世界の平和を願って)
この慰霊塔は昭和31年11月に建設されたものであるが長い年月の経過とともに老朽化したためここに世界の平和を願い全面改修したものである
平成5年6月
岐阜県戦没者慰霊塔改修委員会
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平和祈念の碑 (平成19年4月3日) |
碑文
本年は 先の大戦の終結より50年になります
苛烈を極めた戦争を身をもって体験し 二度と戦争を繰り返さないよう 傷痍軍人は心より願っております
戦後の荒廃と苦難の道から立上がり 祖国日本の復興に心血を注ぎ筆舌につくせぬ苦労の上 今日の繁栄を迎えたことを誇りとし 平和の大切さを後世にわたり訴えるため ここに日本国及び世界の恒久平和と繁栄を希求する証として 平和祈念の碑を建立します
平成7年11月
財団法人 岐阜県傷痍軍人会
平和祈念の碑建設委員会
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国旗掲揚台 (銘板) 宣揚皇道 陸軍大将松井石根書 (平成19年4月3日) |
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