五代友厚像 平成20年6月17日

五代友厚 ごだい・ともあつ

天保6年12月26日(1836年2月12日)〜明治18年(1885年)9月25日

大阪証券取引所前でお会いしました。


薩摩国生まれ。
安政元年(1854年)、鹿児島藩郡方書役かきやくとなり、長崎に遊学。
上海、欧州にも渡航した。
明治維新後、外国事務局判事・大阪府権判事・会計官権判事などを歴任。
明治2年(1869年)、官を辞して金銀分析所を創設する。
その後、弘成こうせい館を創設して、半田銀山・蓬谷よもぎだに銀山・栃尾銅山などを経営。
明治9年(1876年)、政府から融資を受けて朝陽館を創立して製藍業を開始する。
堂島米商会所・大阪株式取引所の設立に尽力し、明治11年(1878年)、大阪商法会議所の初代会頭に就任した。
明治14年(1881年)、関西貿易社を設立したが、開拓使官有物払下げ事件を起こして同年解散。
東京馬車鉄道・神戸桟橋の設立にも尽力した。


五代友厚像



五代友厚像
(大阪市中央区・大阪証券取引所前)

制作 中村晋也



(平成20年6月17日)

碑文

この地は 江戸期の金相場会所以来 金融取引の活発な地であり 今日まで大阪経済の発展を担ってきた
薩摩出身の五代友厚は 明治11年 当地で大阪株式取引所の設立に尽力 大阪の発展に多大なる功績を残す
ここに 大阪証券取引所発祥の地として 顕彰する

平成16年12月
大阪市
寄贈 大阪証券取引所

五代友厚像 平成20年6月18日

大阪市・大阪商工会議所前でお会いしました。

五代友厚君像



五代友厚君像
(大阪商工会議所前)





(平成20年6月18日)

碑文

君諱友厚通稱才助五代氏鹿児島藩士夙察宇内形■安政年間抵長崎学航海術受藩密命潜航上海購汽艦還為其船将後興寺島宗則等率留学生巡遊欧州各國講究商工事業大有所規畫既帰管一藩商事始設船渠■長■明治初任参與歴任外國官會計判事大阪府判事叙従五位遂辞官■居大阪設金銀分析所開採各地鑛坑創商業會議所君身在朝野間奨励商工諸業設會社定方法以資公益貽範後人者不可勝数十八年九月二十五日罹疾歿春秋五十病■ 特旨叙勲四等授旭日小綬章頃者商業會議所議員及其知■相謀製君肖像建諸商業會議所前庭以表追慕之意
明治三十三年■在庚子九月
勅選議員文科大学教授正四位勲三等文学博士重野安■撰并書

(碑文大意)
君の諱いみな(本名)は友厚、通称は才助、鹿児島藩士。
幕末日本の前途を察し、安政年間に長崎へ行って航海術を学んだ。
そして藩の密命をおびて上海に潜航、軍艦を購入し、帰国後はその艦長となった。
のちに寺島宗則等留学生をひきいてヨーロッパを巡遊、各国の商工事業を研究し大いにうる所あり、帰って藩の商事を運営するとともに、初めて長崎にドックを設けた。
明治になって政府の参与に任ぜられ、外国官会計官判事、大阪府判事を歴任、従五位に叙せられた。
その後、官を辞して大阪に居を移し、金銀分析所を設け各地の鉱山を開いた。
また商業会議所を創立、政界と財界の間をとりもって諸企業を奨励し会社を作り後の人の範となり公益をはかったことはまことに大であった。
明治18年9月25日、50才にして病のため没した。
勲四等旭日小綬章を受く。
知人や商業会議所議員が相談して、商業会議所の前庭に肖像を建て追慕の意を表わすことにした。

※ 銅像の「碑文大意」の資料は商工会議所職員様のご厚意によりご提供頂きました。ありがとうございました。

銘板・碑文

五代友厚君の銅像は明治33年9月大阪商業会議所議員其他有志相計りて建立せらる。
然るに昭和18年8月金属類回収令によりて供納す。
今秋大阪商業会議所創立75周年を迎ふるに当り茲に君の銅像を再建して追慕の記念とす。

昭和28年10月
大阪商工会議所




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