護国寺

東京都文京区大塚5丁目


護国寺 平成15年12月22日

護国寺は、5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院けいしょういんが天和てんな元年(1681年)に建立しました。
のちに将軍家の祈願寺となり、供揃ともぞろへ1,000人以上で度々参詣したので、将軍御成道おなりみちとして音羽通りが整備されました。

仁王門




護国寺仁王門
(区指定有形文化財)




(平成15年12月22日)

護国寺仁王門

八脚門やつあしもん、切妻造きりづまづくりで丹塗にぬり
元禄期造営の本堂、薬師堂や大師堂などから成る徳川将軍の祈願寺としての伽藍がらんの中で、重要な表門である。
建立こんりゅうの年代については、元禄10年(1697)造営の観音堂(現本堂)などよりやや時代が下がると考えられる。
正面(南側)の両脇に金剛力士こんごうりきし像(右側阿形あぎょう像・左側吽形うんぎょう像)、背面(北側)の両脇には、二天像(右側増長ぞうちょう天・左側広目こうもく天)の仏法を守る仏像が安置されている。

護国寺の山門さんもんの朱あかの丸柱まるばしら
強きものこそ美しくあれ
(窪田空穂くぼたうつぼ

東京都文京区教育委員会 平成2年3月

(説明板より)

本堂




護国寺本堂





(平成15年12月22日)

庚申塔




庚申塔





(平成15年12月22日)

音羽講中おとわこうちゅう庚申塔こうしんとう  一基
大塚5−40−1 区指定有形民族文化財

この庚申塔は、全国にもその例を見ない形式で、当時の民族や習俗を知る貴重な資料である。
塔は規模も大きく(総高210cm)基壇部分、台座、塔部から形作られている。
塔部は台座上の三猿によって空中で支えられ、天明5年(1785)の銘がある。
台座は須弥壇しゅみだん形式(仏像をのせる台)で、その四面に肉彫り装飾、返花かえりばな文様が施され、その彫りは精巧かつ華麗である。
基壇部分には、門前の音羽通りの人々76人の名が刻まれている。
当時お互いに力を合わせ、金銭を出し合う共同社会の成立や信仰心の深さなどを知る上で、貴重な資料である。
庚申信仰は、庚申かのえさるの夜(60日毎)講の当番の家で、般若心経はんにゃしんきょうを唱え、なごやかに夜を過ごす風習があった。
寝ると体内の三尸さんしの虫が抜け出て、天帝にその人の罪を告げ、早死にさせるといわれていた。

文京区教育委員会

(説明板より)


忠魂塚紀念碑



忠魂塚紀念碑






(平成15年12月22日)

碑文

日清戦役皇軍大捷セリ是レ固ヨリ我ガ皇ノ聖徳神威ニ因ルト雖モ亦忠實勇武ナル軍人ガ君國ノ為ニ血ヲ流シ屍ヲ曝シシ力タラズンバアラズ當時朝野國殤吊祭ノ法ヲ溝ゼシト雖モ遼東半島ノ還附アルヤ空シク戦病死者ノ遺骨ヲ異域ニ留ムルノ憾アラムトセリ従軍布教師某等守備隊長ト謀リ苦心惨憺之ヲ収容シ還リテ護国寺境内ニ■メ一小墳ヲ築キ標ヲ樹テテ表トセシモ爾来三十有餘年世人之ヲ知ル者甚ダ希レナルニ至レリ況ヤ為ニ香花ヲ供フル者ヲヤ今茲吾ガ同志胥議シ各金ヲ出ダシテ此ノ碑ヲ建テ併セテ是レガ由来ヲ記ス亦豈世道人心ニ稗補スル所ナシトセムヤ

大正十五年十月
通俗地理歴史協會副會頭 平沼淑郎撰并書


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