3.アウステン山方面巡拝慰霊

(平和祈念碑・岡部隊奮戦の地)


平成22年(2010年)11月18日 【3日目】

午前7時、ホテルのレストランが開くと同時に朝食!
よくぞ早起き出来たものぞ・・・日本時間では午前5時である。(笑)

朝食

まずは、今日は昨日訪れた「川口支隊慰霊碑」の前で慰霊祭を執り行う。
日本大使館からも大使が参列してくれるとか・・・・
テントやら椅子やらの準備はホテルの日本人責任者の“ヤマガタさん”が手配して現地の人が準備してくれた。
我々は、少し早目に行って大使が来られる前に慰霊碑の廻りの準備をする。
「誰か何人か早目に行って手伝って下さい」とのことだが、「何人か」ではなく「全員」で行こうということになる。(当然である)(笑)

御遺族の方々が、遺影やお供え物を並べ、日の丸の旗や鯉のぼりなどで慰霊碑を飾る。
私は以前、三笠宮殿下からいただいた菊の御紋入りの“恩賜のタバコ”をお供えした。

日本の慰霊碑の横にはアメリカの記念碑(慰霊碑)もある。
これを無視するわけにはいくまい・・・・
日本人は日本の慰霊碑だけをお参りして米軍の慰霊碑には敬意を表しなかったなどと現地人に言われたのでは日本の恥である。
私はいつもそうしているので・・・
ここもお参りすべきだろうと、みんなに並んでもらったが・・・
副団長で僧侶である“フジさん”がいくら呼んでもこちらに来ない。
一応、アメリカの記念碑には一礼をするだけにしようということにしたが・・・
で・・誰が号令をかけるのか・・・
誰も号令をかけようとしないので、僭越ながら私が号令をかけることになった。
「気をつけ!礼っ!」・・・・
どうしても私は軍隊式になってしまうのだ。(笑)
で・・・一礼して、米軍の慰霊碑にも敬意を表して解散しようとしたら・・・
“フジさん”がやって来て「それでは、お経をあげましょう」と言って読経がはじまった。
あらら・・・
やり直し?
さっきの“一礼”は何?
だいたい、アメリカ兵の霊にお経をあげてもねぇ〜
どうなんだろう・・・これ・・・
“一礼”するだけでいいと思うんだけどなぁ〜

慰霊祭には研究の為ガダルカナル島に来ていた筑波大学の学生も飛び入り参加してくれた。
さらに、現地のオーストラリア人戦史研究家お二人・・・
どちらも“ジョンさん”というのだが・・・・
この方々を含めた現地の方々も参列して下さった。

川口支隊 慰霊碑
川口支隊
歩兵第百二十四聯隊
鎮魂碑
昭和十七年八月末以来六箇月にわたり
祖国日本を遠く離れたこの南溟の地で
優勢な連合国軍の猛攻の下 撃つに弾
無く食うに糧無く 極限状態の惨状は
まさに言語に絶するものであった
その犠牲となった
川口支隊三千百七十九柱の御霊の安ら
けきを祈りここに鎮魂の碑を捧ぐ

平成五年九月吉日建之
福岡ホニアラ会
慰霊祭

慰霊祭が終わって、ホテルに戻る。
昼食はホテルのレストランでとり、その後慰霊巡拝に出かけるとのこと。
昼食までにかなり時間があったので、慰霊祭の時にトランペットを吹いてくれた地元の警察官と、毎回この慰霊団のお世話をし続けているという“ダニエルさん”にコーラを御馳走しすることにして、3人でロビーでおしゃべりする。
折角、協力してくれたのだから、そのくらいのことをしてあげねばバチが当たろう?
ツアーでは誰も彼らを誘わないので、私が個人的に誘うことにした。
慰霊祭が終ったら、「ハイ、サヨウナラ」ではねぇ〜(汗)

正直言って、私はあまり英語は話したくないのだが・・・
海外へ行っても出来るだけ“外人”との会話は避けている。(笑)
どうしてもやむを得ない時以外は会話をしないことにしているのである。
そういうことでは、いつまでたっても英語が話せるようにはならないよなぁ〜
ということで・・・彼等に話しかけて、私の「英会話のお勉強」に付き合ってもらうことにした。(大笑)
しかし・・・なかなか、うまくしゃべれないし、相手の話も聞きとれない・・・(涙)
トランペットを吹いてくれた警察官は、警察の吹奏楽を担当している警官らしい。
いわば、”軍楽隊”みたいなものか?
メンバーは30人ぐらいいるそうだが、今回は、彼が一人で参加してくれたそうである。
で・・・普通の警官としての仕事は・・・
忙しいようだったら、交通警察の仕事をやることもあるとか・・・
驚いたことに、毎日仕事があるわけではないそうで、週に何日かしか仕事は無いらしい。
(・・・と言っているように聞こえた)(笑)
“ダニエルさん”からは「毎日話していれば、そのうち話せるようになるよ。2週間くらいここにいたら?」とからかわれる。

12時、ホテルのレストランで昼食。

昼食

午後からアウステン山方面の慰霊にマイクロバスに乗って出発する。
最初に向かったのは、日本の平和祈念碑・・・・
これは日本政府が作ったものではないらしい。
結構ここは地元の若者の“溜まり場”になっているそうで、落書きしたり悪さをされるらしい。
で・・・記念碑の銘板は取り外され無くなっており、荒らされていた。
何て書いてあったのやら気になるところである。

平和祈念碑

周囲の景色・・・・

ここもアウステン山の一部らしいのだが・・・・山という気がしない・・・(笑)
次に向かったのが亡き“ウエムラ事務局長さん”が好きだった場所・・・とのこと。

途中、車が散々揺れたが・・・
車から降りてみたら道は最悪の状態になっていた。
とてもじゃないが、これ以上は車は走れない。
結局、途中から徒歩で、その丘に向かう。

 丘から見た景色

日本軍名:ルンガ飛行場
米軍名:ヘンダーソン飛行場

現:ホニアラ空港

この丘から遠くにルンガ飛行場(米軍名:ヘンダーソン飛行場)が良く見える。
ここがアウステン山だという。
山という気がしないが・・・
この丘(山?)のすぐ左隣りの丘に日本軍の洞窟があるという。
どうも監視哨の洞窟だったらしい。
“アベさん”が一人でその場所へ向かって行ってしまった。

こちらの丘のどこかに監視哨の洞窟(横穴陣地?)があるらしい・・・・

この方は以前も来ているとのことで、とにかく勝手に単独行動を取ってしまうのである。
私もその洞窟を見に行ってみたいのだが、まさか一緒に勝手な行動をするわけにもいかず、泣く泣く皆さんと一緒の場所に残る。
こういうところが団体行動の不便な所である。
公式に二手に分かれてもいいという指示が出れば助かるのだが・・・・

どういうわけか、私の知っている限り、遺族会とか慰霊団という団体はリーダーがいるようでいない。
リーダーを高齢の方にお願いしてしまうせいなのか、御自身が“名誉職”のリーダーと思っておられるのか・・・
うまく取り仕切る人がいないというのが、こういう慰霊団の欠点のような気がする。
団長が指示を出すのか、副団長なのか、それとも旅行社の添乗員なのか・・・・
結局、誰の指示で動けば良いのか・・・誰に尋ねれば良いのか、わからない。
「勝手な行動はするな」と注意する者はなく、さりとて「一緒に行きましょう」でもない・・・

この丘は“ウエムラさん”が好きだった場所だと過去に参加した参加者が言い出したせいなのか、ここで娘さんが散骨をする事になった。
合掌・・・・

次に向かったのが、「バラナ部落」・・・・
ここの酋長さんと“ウエムラさん”は仲が良かったらしく、慰霊や遺骨収集では大変お世話になったらしい。
しかし、その酋長さんもお亡くなりになられ、今は息子の“ウィリーさん”が酋長をしているとか。
この部落を表敬訪問するらしい。

どうも集会所のような大きな建物の中で、持参して来たお土産の贈呈式をするらしい。
この遺族会の昔からの長いお付き合いがあってのことだと思うので、部外者の私は同席をせず建物の外で待つことにした。
この巡拝慰霊には、午前中に会ったオーストラリア人の2人の戦史研究家と1人の女性も同行してくれた。

2人とも“ジョンさん”なので、私は内心、勝手に“年取っているジョンさん”と“若いジョンさん”と名付ける。(笑)
“年取ってるジョンさん”はコンピューター会社の社長さんで、趣味でガダルカナルの戦史を研究している研究家。
“若いジョンさん”は元オーストラリア空軍の軍情報部に勤務していたという戦史研究家である。
外で待っている間、この“若いジョンさん”とおしゃべりする。
彼の話によれば、ここは「ギフ高地」だという。
残念ながら戦跡は何も残っていないらしい。
この「ギフ」の名前の由来は、ここで戦った日本兵の出身地が岐阜県だったからだとか、日本軍の技術者の部隊が戦った場所なので「技夫(ぎふ)」から「ギフ高地」と名付けられたとか、何かそういうことを言っているのだが・・・
情ないことに、早口の彼の英語が聞き取れず、そう断言しているのか、それとも、そういう噂だけどそうなのかと私に尋ねているのか・・・わからない。(涙)

一緒にいた女性は、なんと日本語で挨拶して来た。
何をしている方なのかをお尋ねしたら、「唯の主婦です」と答えられてしまい参った・・・(笑)
どうやら御主人が大使館に務めているとのこと。
私の尋ね方がまずかったか・・・・どういう関係で同行してくれているのかが知りたかったのだが・・・
「主婦です」と言われてしまっては、それ以上返す言葉がない。(笑)
この方は、以前、日本に住んでいたことがあるので日本語が片言話せるという。
が・・・通訳をしてくれるわけではない。(涙)
なので・・・彼女とは日本語で話し、“若いジョンさん”とは英語で話す羽目になる。
あ〜頭の中がゴチャゴチャだ!(大涙)

続いて、この部落の裏にある丘に行くらしい。
どうもそこに日本軍の慰霊碑があるらしい。
というわけで・・・村人と一緒に丘に向かう。

この丘の頂上に「慰霊 岡部隊奮戦之地」の慰霊碑が建っている。
ここが、いわゆる「ギフ高地」なのだろう。
ここは歩兵第124連隊(岡・部隊)の第2大隊(西畑・部隊)が玉砕した場所らしい。
ここで慰霊祭を挙行する。

『慰霊 岡部隊奮戦之地』碑
慰霊 岡部隊奮戦之地
岡明之助大佐指揮の歩兵第一二四聯隊 並びに歩兵第二二八聯隊第二大隊は
一九四二年十一月より翌年一月末にかけて此のアウステン山籠城奮戦した
撃つに弾無く 食うに糧無く極限の状況のなか連日の連合軍の猛攻に耐えた
まさに地獄の戦場であった

特に 第一二四聯隊第二大隊(西畑少佐指揮)
    第二二八聯隊第二大隊(稲垣少佐指揮)の両大隊
一九四三年一月二十三日夜包囲した米軍に突撃を敢行し玉砕した

                                 一九九四年九月吉日

慰霊祭を終え・・・もう、一服してもいいかなぁ〜と思い、タバコを吸い始めたら・・・・
“年取ったジョンさん”が「ノ―スモーキング!ノースモーキング!」と言う。
ん?
タバコを吸っちゃ駄目?
すると、なぜか彼はニヤニヤしているのである。
彼が言うのを直訳すると・・・・
「タバコは体に悪いから吸うな。だから俺はタバコは吸わない。でも本当は昔付き合っていた彼女がタバコを吸うので吸っていたが、次に付き合った彼女はタバコが嫌いだというのでタバコをやめただけ。付き合う女性に合わせてタバコをやめただけなんだけどね」という話らしい。(多分・・・・)
つまり・・・彼の「ノ―スモーキング!」はジョークだったらしい。
ジョークかと聞いたら笑って「タバコを吸ってもいいよ」とのこと。
あのね・・・英語が良くわからない私にジョークを言うのはやめてよぉ〜
あ〜怒られたのかと思ってビックリしたぞ。(大汗)

しかし、ここでタバコを吸ったのは私の不覚であった。
同行して来た現地人が私のタバコを虎視眈々と狙っていたのである!
「1本、タバコをくれ」としつこく要求するのだ。
仕方がないので1本あげたら、こいつめ、他の奴らに「こいつはタバコを持っているぞ」と現地語で(多分・・・)教えたらしい。
次々とタバコを欲しがる連中がやってくる。

私が日本から持ってきたのは1カートン(10箱)だけ。
これをヘビースモーカーの私はチビチビと吸っているわけで・・・(笑)
そんなにみんなに配ったら帰国前にタバコが無くなってしまうではないか!
失敗したぁ〜
彼らの前でタバコを吸うんじゃなかったと後悔しても後の祭・・・・
命の次に貴重なタバコを数本失う。(大笑)

当初の予定では、この後、この高地に隣接している「ケオ高地」「ベラバウル高地」というところへ行く予定になっていたが、急遽キャンセルとなる。
理由は知らない。
多分”セキ会長さん”が「行かなくてもいいだろう」と言ったのだろう。

今日の慰霊はこれで終了。
ホテルに戻ることとなる。

この岡部隊の慰霊碑のところに“ウエムラさん”の散骨した残りの骨を埋める予定だったらしいが、酋長さんから自分の父親の墓に一緒に埋めたいという申し出があったとか。
仲の良かった2人が隣同士に眠ることが出来るならそれもいいかもしれない。
ふと・・・以前、内モンゴルの砂漠に散骨してきた亡き伯父のことを思い出した。
メールと電話だけのお付き合いで、毎回同行を求められていながら、とうとう実現せず、お会いすることのなかった“ウエムラ事務局長さん”とも、ここでお別れである。

夕食

レストランには他に日本人のグループが来ていた。
どうも「某会」の会長さんの“御一行様”らしい。
たまたま我がツアー客の中で、この会長さんをご存知の方がおられ、その方の紹介で会長さんに御挨拶したのだが・・・
一緒の方々はどういう方々なのかは知らないが、シラァ〜ッとした冷ややかな印象を受けた。
この方々にも会釈をしたが、無反応・・・・
シラァ〜・・・である。
日本人はどうもこういうところがある。
海外で日本人に出会うと、ことさら“敵愾心”を燃やすという人種がいるのである。
これがフィリピンで女性連れの日本人に会ったというなら、私も冷ややかな視線で相手を見るが・・・(笑)
同じ慰霊で来た同士ではないか?
そう冷ややかな目で見なくてもいいんじゃないのかねぇ〜
いかにも「うちのほうが本家本元だ」と言わんばかりに見えるんですけど・・・
我がツアーの参加者からこっそりと「あんな連中に挨拶なんてしなくていいのに」と言われた。
その方の話によると、我々がホテルの前にある慰霊碑のところで慰霊祭をするので、ご一緒にどうですかと誘ったらしい。
すると彼らから「誰に断ってガダルカナルに来たんだ?一言、我々の会に挨拶してから来るべきではないか?あんたたちの慰霊祭には参加はしない」ということを言われたそうである。
それを言われた我がツアー参加者の一部が完全に頭にきたらしい。
やっぱり「本家本元は俺達だ!」ということか・・・
「挨拶なしに勝手に俺達の縄張りに入るな」とは、まるでヤクザの世界である。
どうりで敵愾心むき出しなわけだ・・・
こういう連中は、どこにでもいる。
ここガダルカナルだけではなく、私がよく行くフィリピンでも出遭うことがある。
戦没者の慰霊を“売り”にしている連中は、自分の“手柄”“善行”を横取りされたくないという思いなのか、縄張り根性むき出しで威嚇してくるのである。
純粋じゃないんだよねぇ〜
戦没者への慰霊は、一部の人たちだけのものではなく、全ての日本人が行なうべきことではなかろうか?
正直言って、私はこの冷ややかな視線には気分が悪かった。


   


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