(グアム島)
(アサン・ビーチ)
平成21年(2009年)3月20日 |
朝食はホテルに隣接しているコンビニで昨晩買ったサンドイッチ・・・・
このツアーには朝食は付いていないので、ホテルのレストランで食事をするとかなりお金がかかる。
初日だけレストランでバイキングの朝食を食べたが・・・イマイチ・・・・
で・・・それからは毎日、朝食はコンビニのサンドイッチにすることにした。
とりあえず腹が満たされればそれでいい。(笑)
それにしても、コンビニって便利だよなぁ〜
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今日の朝食! |
食後、“ポン引き君”をロビーで待つ。
約束の時間ちょうどにやってきた。
なかなかまじめな男である。(笑)
半日ドライブの費用だが・・・・
彼の要求金額を半額近くまで値切る・・・・
さすがに彼はいい顔をしなかったが・・・
「お昼をおごってあげるから・・・」と言ったら、それならOKだとあっさり交渉成立。(笑)
さあ、今日の午前中を有効に使って同室の“ハシモトさん”と2人で、“ポン引き君”の運転する車に乗って市内観光である!(笑)
他の方々はどうするのかわからないが・・・・
拙者は“ハシモトさん”が一緒なので良かった。
これが一人ぼっちとなると、ここまでして外には出ないだろう。
多分ホテルの中でゴロゴロして無駄な時間を過ごしたかもしれない。
同室者の“ハシモトさん”に感謝である。
まずは・・・・ハガニア方面へ向い、「スペイン広場」へ行く。
昨日バスの中から、この公園の一角に銅像があるのを見かけたのである。
話によるとマッカーサーの銅像らしい。
ん?マッカーサー?
マッカーサーの銅像なら私のホームページに載せるためにも是非とも撮影せねば!
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スペイン広場 |
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マッカーサー像 何でマッカーサーの銅像がここに建っているのかはわからない。 |
次に向かったのは「アサン・ビーチ」
昨日、団体でここに来たが、このビーチの脇の丘・・・・
気になる・・・・
何やら説明板らしきものもふもとに立っていたし・・・・
洞窟もあるとかという話だし・・・・
地形的に見ても、この丘には日本軍の陣地があったはずだ。
幸いなことに“ハシモトさん”も戦跡には興味があるとの事。
「それじゃ・・・行きますか!」・・・ということでここを再訪問することに決めたのだが・・・
なんと!“ポン引き君”はアサン・ビーチがどこなのかわからないという。
そんな・・・・
拙者は方向音痴ではあるが・・・海岸通りを海を右に見ながら走って行けば、そのうち昨日見た景色に出合うだろうと・・・拙者が案内・・・・
運よくアサン・ビーチを発見!
と・・・・“ポン引き君”・・・・「あ〜ここですかぁ〜!ここなら知っていました!」
オイオイ・・・・(笑)
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アサン・ビーチの丘 |
アサンの洞穴 |
予期された米軍の上陸に備え、日本軍はチャモロの人々や朝鮮人の強制労働者を使い数百の穴を採掘した。 この洞穴はアサン・リッジの要塞の一部。 同様にしてグアム島のいたるところの丘や尾根には蜂の巣状の穴やトンネルが掘られた。 戦闘員や爆撃の数の上は圧倒的に優勢な米軍に対抗して日本軍ができる最善の防衛は地下に要塞を築くことであった。 米軍が海岸の橋頭ほを確保した後、日本軍の闘いは主に潜伏することであり、米軍の闘いは日本軍を捜すことであった。 |
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「日本軍は食糧・軍需品の保管や敵の上陸に備えて、私達にトンネルを掘ることを強要した。だが私達に渡されたものはただツルハシとシャベルだけだった・・・・・」 ジャクイン・アコスタ・ブラス証言 日本軍の掩蔽壕に接近する米海兵隊員(写真右)。 挿入写真は米軍上陸4日後のアサン・ケイブ。 アサンに作られた洞穴やトンネルは地盤が不安定で危険なため、施設管理者の判断で一般の立ち入りは禁止されている。 (現地説明板) |
アサンの尾根伝い |
道沿いに行くと、石灰岩の尾根に出て日本軍のトーチカ、2台の大きな砲床、そしてトンネル状の洞穴がある。 本来アサンの尾根全体は自然の要塞として潜伏に適したが、死闘には変わりない。 この尾根をハイキングする時、防衛する側に立ち、小さな銃穴から上陸して前進してくる敵を覗いていることを想定するとよい。 アサン・リッジは典型的なグアム全体の防衛地であるといえる。 日本軍は援護部隊の望みもなく、ただ擬装と防備のためこの尾根を掘り、利用した。 (現地説明板) |
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丘の麓に設置されている説明板を見てみたら、確かに洞穴があると書いてある。
略図は英文・・・・
丘の上の方に「アサン・リッジ・トレイル」と書いてある。
で・・・・そこに「ジャパニーズ・ピルボックス」と印が付けられている。
ん?何だ?
pillって・・・「薬」っていう意味だよな?
boxって・・・「箱」っていう意味だよな?
ということは・・・ピルボックスは「薬箱」ではなかろうか?
「日本の薬箱」って・・・・何よ?
う〜ん・・・軍事用語か・・・
多分・・・トーチカか何かだろう。
とにかく行ってみる価値はありそうだ。
まずは、目の前の洞穴に入ってみる。
特に「立ち入り禁止」の表示は見当たらないから・・・・大丈夫だろう。
この間行ったニューギニアでも散々洞穴陣地に入ったが・・・またもやグアムでも・・・・(笑)
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アサン・リッジの洞穴 |
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洞穴の内部 |
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洞穴内部から外を見る |
洞穴を出て、さて・・・丘の上に行こうかと思ったが・・・・道が見当たらない!
ん?無理なんじゃない?
しかし・・・“ハシモトさん”は「なんとか行けるでしょう!」と丘の急斜面をよじ登って行く。
草木が生い茂り足場も悪いのだが、どんどんよじ登って行く。
私より一回りほど年上の方なのだが・・・・私よりお元気。(笑)
私も後を追いかけ丘をよじ登った。
“ハシモトさん”がいなかったら絶対この斜面は登らなかっただろうな〜
同行者のおかげで勇気百倍!
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この草木が生い茂った丘の斜面をよじ登った。 |
頂上から見たアサン・ビーチ(米軍上陸地点)
海に突き出た部分が「見晴岬(アデラップ)」
後方の丘は「パラソル台」(日本側呼称)、その後方の「マンガン山」(日本側呼称)へと連なる。
我々がいるこの丘は「浅間岬(アサン)」だと思う。
【朝井(アサン)地区】
米軍(米第3海兵師団)が上陸した正面の丘陵地帯は独立混成第48旅団の守備地区。
独立歩兵第319大隊・第320大隊・第321大隊・第322大隊の4個大隊が守備につく。
「パラソル台」が守備陣地の第一線。
「パラソル台」も、後方の「マンガン山」も米軍の艦砲射撃で全滅する部隊が続出し、敵上陸地点の真正面が完全に無抵抗地帯となってしまった。
この防衛線に歩兵第18連隊第2大隊を投入し、旅団の指揮下に入れたが、「マンガン山」の攻防戦で壊滅した。
(参考:佐藤和正著 『グアム島玉砕戦記』 光人社)
この丘はハイキングコースになっているらしい。
頂上に出てみたら遊歩道があった。(笑)
で・・・思ったとおり、丘の一番上にはコンクリート製の日本軍のトーチカが残っていた。
絶好のポジションにそれはある。
ここからならば海岸一帯が見渡せる。
ここで上陸してくる米軍を迎え撃った日本兵はどんな人だったのだろうか?
どんなことを思いながら戦っていたのだろうか?
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破壊されたトーチカ | トーチカの内部 |
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頂上からテクテクと遊歩道を歩いて丘を降りる。 |
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途中、いくつか平坦な場所があった。 砲台跡だろうか・・・・ 何かしらの「説明板」が欲しいところである。 |
丘を降りたら海岸に出た!
な〜んだ・・・丘に登る遊歩道の入り口は海の方にあったのかぁ。
ちゃんと詳しい案内板があれば、あんな崖をよじ登らなくて済んだのに・・・・“ハシモトさん”と大笑い。
遊歩道の出口(入口)の目の前にアメリカ軍の記念碑があった。
う〜ん・・・そういうことなら、丘の上には日本軍の慰霊碑が欲しいものである!
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米軍の記念碑 |
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アサンの丘(浅間岬だと思う)と米軍記念碑 |
(アサン・ビーチ)
向こうの丘に日本軍が防衛線を築いていた。
写真の中央から少し左の辺りの丘が、米軍の言う「バンドシュ・リッジ」ではないかと思う。
(アサン・ビーチ)
写真中央の家が立ち並んでいる辺りが米軍の言う「チョリット・クリフ」ではないかと思う。
写真左端は「アデルップ、又はアデラップ岬(日本軍呼称:見晴岬)」。
米軍、上陸を敢行 |
1944年7月21日朝、数千人の米海兵隊員が水陸両用トラックでアサン海岸上陸を敢行した時、アサン岬の日本軍はほら穴や掩蔽壕に潜伏し、機関銃射撃や迫撃砲で猛然と応戦した。 迫撃砲が水面上を蔽い、さく裂した。 米軍は頻繁に死傷者を本艦に輸送する作業に追われた。 激戦の末確保した海岸橋頭ほであったが、これは米軍にとり最終的目標ではない。 周囲の尾根からの猛撃が続く中、米軍はアサンに陣地を構えアデルップ岬、チョリット・クリフ、バンドシュ・リッジ、フォーテ・プラテューからの日本軍の攻撃に応戦した。 バンドシュ・リッジの地名は米軍が上陸を敢行し初日にここで戦死した米第3海兵師団A中隊のゲーリー・バンデシュ大尉に因んで命名された。 チョリット・クリフの戦闘では険しい山峡、トゲのある草やつるなどが障害となって困難を極めた。 今日でも旧戦場に接近することは難しい。 第1回の米軍上陸の1時間後の撮影されたアサン海岸(写真下)。 最前面では米軍が軍備を配置している。 (現地説明板) |
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危険なさく裂 |
不発弾は身体に致命傷を負わすこともあり、非常に危険だ。 グアムでは現在でも島内部や沖合で不発弾が発見されている。 1944年7月の米軍の事前砲爆撃で、数万トンの爆弾がグアムに投下された。 戦闘の後、米軍はキャメル・ロックなどの地域に兵器や軍需品を配置した。 50年後の現在、丘の壁面の穴や海底から腐食した爆弾が発見されている。 不発弾を発見した際は絶対に手を触れたり、移動させたりせずに、すぐレンジャーにその位置を通告することが大切である。 水中にある爆弾には白い燐が含有しており、空気に触れると同時に爆裂することもある。 (現地説明板) |
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約1時間ちょっと・・・・この丘を探検したが・・・・
ドライバーの“ポン引き君”は、真面目に駐車場で待っていてくれた。
さて・・・これからどうしようか・・・・
昨日行った特殊潜航艇が展示してあった「ビジターセンター」を見学したい気もしたが・・・
時刻は11時を過ぎた。
ビジターセンターの見学にうっかり時間を取られ過ぎたら昼食抜きで空港に行かねばならなくなりそうだ。
ここは我慢して・・・・ちょっと早めに昼食を取ることにする。
で・・・食事する場所は・・・・“ポン引き君”に任せることにした。(笑)
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タイ料理のレストラン |
案内されたのはタイ料理の店・・・・・
彼の話では結構人気のある店なのだそうだ。
グアム島でタイ料理というのも・・・・変な気分だが・・・・まぁ、よかろう。(笑)
ランチはバイキングで食べ放題。
「この店、人気があるんですよ。美味しいでしょ?美味しいですよね?大丈夫ですよね?値段も安いですから!本当に安いですから!」と“ポン引き君”はやたらと気を使う。(笑)
たしかに・・・食べてみたら結構おいしかった。
“ポン引き君”・・・・大したもんじゃないか〜(笑)
時間にも余裕があったので、ゆっくりと食事を楽しむことができた。
やっぱりビジターセンターの見学はやめて正解だった。
予定よりちょっと早めだがホテルに送ってもらい、「最後の観光」は終了!
打ち合わせた料金とチップ・・・・更に特別にガソリン代として少々の金を“ポン引き君”に支払う。
彼も思ったより多くもらえたので嬉しかったようである。
「またいつか会おう!」
何年後になるかわからないけど・・・・(笑)
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