5.冷ややかな慰霊祭

(硫黄島)

(再会記念碑)


平成21年(2009年)3月18日

集合時間より早めに式典会場に戻る。
ここに後から日本本土から来る日本側の遺族と合流するのだという。
はぁ〜????・・・・日本本土から直接日本人がやってくるのか?
ならば我々は一体何だったんだろう・・・・・????
わざわざグアム島を経由して・・・・(笑)
「日米合同慰霊祭」って・・・我々と海兵隊との慰霊祭というわけではなかったようである。
なんだかよくわからぬ企画である・・・・

米軍による式典のリハーサル

左の紅白のテントがアメリカ側の席。
右の白いテントが日本側の席。
米軍による式典のリハーサル

11時から「日米合同慰霊祭」。
少し遅れて日本側から国会議員や戦没者遺族などが到着。
記念碑を間にはさんで日米が向い合せに座る。
なんとも落ち着かない。
我々はアメリカ側に座っているのだ・・・・
米軍関係者と一緒のツアーなので、否応なしに米軍側の席に着かされる。

結構気温も高く暑い。
自衛隊の散水車が会場周辺に水をまいてくれた。
散水車
再会記念碑
碑文
REUION OF HONOR
ON THE 40TH ANNIVERSARY OF THE BATTLE OF IOW JIMA, AMERICAN AND JAPANESE VETERANES
MET AGAIN ON THESE SAME SANDS, THIS TIME IN PEACE AND FRIENDSHIP.

WE COMMEMORATE OUR COMARADES, LIVING AND DEAD, WHO FOUGHT HERE WITH BRAVERY AND
WE RRY TOGETHER THAT OUR SACRIFICES ON IWO JIMA WILL ALWAYS BE REMEMBERED AND
NEVER BE REPEATED.
FEBRUARY 19, 1985

3RD, 4TH, 5TH DIVISION
ASSOCIATIONS USMC
AND
THE ASSOCIATION OF IWO JIMA
碑文
再会の祈り
硫黄島戦斗40周年に当り 曾ての日米軍人は本日茲に 平和と友好の裡に同じ砂浜の上に再会す
我々同志は死生を越えて 勇気と名誉とを以って戦ったことを我々は銘記すると共に 我々の硫黄島での犠牲を常に心に留め 且つ決して之れを繰り返すことのないように祈る次第である。

昭和60年2月19日

米国海兵隊
第3第4第5師団協会
硫黄島協会
碑文
表白
昭和20年2月19日朝より 米國海兵隊は連日の砲爆撃に膚接して上陸を開始し 午前10時頃には第4、5師団はその大半の上陸を完了 南海岸砂浜上に展開した。
隠忍自重、満を持して待機していた我が砲兵団は一斉に火門を開き 各種砲弾を彼らの頭上に浴せこの砂浜一帯は一瞬にして阿鼻叫喚の修羅場と化した。
尓来40年の歳月を閲したる機会に海兵師団協会はこの戦いに参加した将兵並に戦没者遺族約2百名の米國人が同月同日を期し来島するに当り我が協会に協力を申し入れて来たが、協会綱領第3條事業目的に合致することでもあり之れに応することになった。
本日の建碑は日米再会行事の中心となりその趣旨を銘記するもので、之を『再会記念碑』と命名し、且茲に天台密教の開眼作法を厳修し以って日米戦没各霊位頓證菩提と太平洋の平和維持促進とを冀う次第である。

昭和59年10月23日
硫黄島協会々長天台宗空也派沙門
寿松庵恒阿弥 敬白
碑文
“かつての戦地、  昨日の敵は、
今や友好の地となり、  今日の友である”

硫黄島戦闘50周年式典において、
我等生存者は共にこの地に集い、
現在我々両国が共有する友好の絆を
今一度確認し合うものである。

今日我々が享受する平和を、
確実に保証せんと欲した故の犠牲であり
願わくは硫黄島生存者たる我等が、
それを世界に知らしめる一助にならんことを祈る。

硫黄島生存者一同
1995年3月14日

「表白」の碑文を読んでみると、「天台密教」という言葉が出てくる。
ということは・・・硫黄島協会っていうのは宗教がらみの組織なのだろうか?
・・・・という素朴な疑問が湧く。
どうなのかなぁ〜これ・・・
戦死した方々はそれぞれ色々な宗教に入っていた可能性もあると思うのだが・・・
ここは「硫黄島協会会長」だけに留めて、宗教色は出さない碑文の方がいいんじゃないのかなぁ〜と思った。

「日米合同」と銘打ってはいるが、お互いに紹介しあうわけでもなければ握手しあうわけでもない。
何の交流もない・・・・・
シラッ〜と冷めた雰囲気・・・・
日本側が基本的にメインの司会を務めることになっていたようであるが、それを英語に通訳するわけでもない。
合間に米軍側の司会者である“大佐殿”が司会をするが日本語に通訳するわけでもない。
合同のようで合同でないような・・・・
なんとも奇妙な風景。
交互に日本語、英語が飛び交うが、それぞれが勝手にやっているという感じなのである。
日本側遺族席の方々はジッとこちらを“睨んでいる”という感じに見える。
あらら・・・なんとも雰囲気が悪い・・・・・
無理もないかもしれない・・・・
我々は女性を除き全員が日本海軍の士官略帽を被って米軍側の席に座っているんだから・・・

我が戦友会の献花

献花式では日本側、米軍側双方から献花が行われたが、我が戦友会からも献花をおこなった。
が・・・・戦友会名は英語で紹介されたので、多分、日本側は何のことやらわからなかっただろう。
こういう式典では「格好つけ」が大事である。
事前に綿密な打ち合わせが必要なのだが、リーダーは舞い上がっているのか、自分のことしか考えていない。
我々参加者には何の指示も出さぬまま行ってしまった!
我々はただただポカンとして椅子に座っているだけ・・・・
本来なら、我が戦友会からの献花の時は我々は全員起立して一礼するか敬礼すべきだろうと思ったが・・・・
私がそこまで出しゃばって指示を出しても仕方があるまい。
過去に各種式典を企画運営したことがある私としては何とも満足できない内容なのだが・・・
まぁ〜仕方がないか・・・・

式典が終わったら・・・・なんと!
日本側参加者はそそくさとマイクロバスに乗って去っていった!
唖然〜
何・・・あれ・・・・・
日米の交流もなにもない・・・・
はぁ〜???・・・・形ばかりの「日米合同」には呆れた。

【後日談】

事情通の方に後日お話しを伺う機会があった。
日本側の出発前のミーティングの席上で米側参加者との交流に関しての質問があったそうである。
この時、役員(?)から「アメリカ人とは口をく聞く必要なし!」との指示があったという。
これが事実なら、この時の日本側の冷ややかな態度にも納得がいく。
ちなみに、翌年(平成22年)の式典では、この時の態度を反省(?)したのか、米国側参加者と大いに交流を持ち、一緒に記念写真に収まったりと、和気あいあいの交流をしたそうである。
我々は一番悪いタイミングで参加したようである。
また、外務省または防衛省もしくは硫黄島協会のいずれかからの指摘なのかわからないが、「米国側参加者の一員として日本人が硫黄島に来るというような、そういう汚い手は二度と使うな!」との注意があったらしい。
我々参加者は事情は全く知らないで参加していたのである。
責任は企画した戦友会の役員にある。
が・・・確かに、我々日本人が米国側に座っていたのでは遺族としても不愉快だっただろう。
正直言って米国側に座らされた私も不愉快だったのである。
硫黄島の訪問は、旧島民か生還者もしくは戦没者の遺族ということに原則として制限されている。
誰もが行ける場所ではない。
こういう偏狭な制限を加えているから米国側の一員として参加しようという考えが出たのかもしれない。
戦没者は日本のために亡くなったのであるから、日本人の誰もが現地を訪れて慰霊が出来るようにすべきではないかという気がする。
硫黄島協会は「慰霊参加者の選定に対し偏狭で私物化している観がある」との話を聞いたことがあるが、これも制限が厳しいことに由来した話だろう。
硫黄島に限らず、現場を訪れ戦没者を偲び、慰霊をすることを通して“平和”“戦争”というものを考えるということは大事なことだと私は思う。

我々は、その後、テントの中でお弁当を食べて休憩。
食後、暇なので周辺をブラブラしていたら、自衛隊の方から声をかけられた。
「どちらからいらっしゃったんですか?」
「グアム経由で日本からですけど・・・」
「あ・・・日本人なんですか?」
「そうですけど・・・なにか?」
「いやぁ〜遺族席では、あなた方はいったいどこの人なんだろうと・・・日本人のように見えるけど、多分、グアム在住の日系人のグループではないかと噂していたんですよ」
「え〜やっぱり!どうも視線が冷たいなと思ったんですけどね〜(笑)、我々は予科練の戦友会ですよ」
「え〜!予科練なんですか?」

あ〜あ〜やっぱりねぇ〜
とんでもない勘違いをされていた・・・・・
お粗末である!
私としてはこういうお粗末な結末は納得できぬ!(怒)
誰が参加しているのかもわからない「烏合の衆」の慰霊祭って何よ・・・・

ここ硫黄島で携帯電話が使えるか・・・・
電源を入れてみたら・・・・「圏外」
自衛隊の方に尋ねたらアンテナが立っていないから携帯は使えませんとのこと。
「東京都で携帯が使えないのはここだけかもね」とお互いに大笑いする。

この道を『米軍将兵の碑』に向かって徒歩で移動する。
『米軍将兵の碑』

この場所は、硫黄島の戦闘で戦死した兵士たちが一時埋葬(?)されていた場所らしい。

ここで迎えのマイクロバスを待ち、ここから空港へ向かうという。
ということは・・・これで硫黄島の訪問は終わり?
なんと・・・我々は米軍側と一緒に来島したので、米軍関係の戦跡しか見学できないのだそうだ。
島の北東部にある「日本戦没将兵慰霊碑(通称:天山慰霊碑)」や「西大佐戦死の碑」などへは行くことはできないという。
そこは日本本土から参加した遺族会らのグループが行くコースだとのこと。
あ〜あ〜何たることぞ!
折角、硫黄島に来たのに栗林閣下、西連隊長の慰霊が出来ぬ。
お二人とも私の祖父と同じ騎兵出身の方である。
祖父と直接の交流はなかったが、栗林閣下は騎兵旅団長を務めたことがある方で、当時、直接声をかけて頂いたことがあるという方が騎兵第14連隊の戦友会の中におられる。
戦友会の会合で栗林閣下の話題が出たこともあり、今回、この方の代理としてお参りをして、その土産話を持ち帰れると思っていたのだが・・・・
なんとも残念・・・・


 


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