9・博物館でパーティー

(グアム島)

(横井記念館・パシフィックウォーミュージアム))


平成21年(2009年)3月19日

バスは島の内陸部を越えて島の反対側へ・・・・
イパン・ビーチにある「ジェフズ・パイレーツ・コーブ」というレストランで昼食。

ジェフズ・パイレーツ・コーブ

話によると、昼食はここのオーナーの御招待なのだとか。
オーナーからの英語の挨拶を頂いて、バイキング形式の昼食をいただく。

どこへ行ってもそうだが・・・・
私はまず最初にタバコが吸える場所を探すのである。
もうこれは「本能」としか言いようがない行動である。(笑)
で・・・このレストランの外に灰皿があるのを目ざとく発見!
食後、タバコを吸う他の参加者に灰皿の場所を教えてあげて・・・私は先に行って一服。
まもなく喫煙者が集まりだし、ようやく参加者同士でおしゃべりが始まる。
こういうコミュニケーションは初日から欲しかったものだが・・・・
さて、皆さんの話を聞いていてわかった・・・・
参加者はみんな私と同じで、このツアーの趣旨が全くわかっていなかったという。
通常ではなかなか行けない硫黄島へ行けると聞いて応募したという。
あらら・・・私と同じだぁ〜(笑)
「まさか、海兵隊と一緒とはねぇ〜・・・これ・・・アメリカのツアーに組み込まれていたわけですか?」
「そのようですね〜」と私。
この会では6月にハワイとミッドウェイへの旅行企画がある。
皆さんも、それに参加する予定だった人が多い。
ところが、急遽、このグアム・硫黄島ツアーが企画されたため、先にこちらに参加されたという方が多い。
私もその一人である。
「いやぁ〜今回参加してみたら、あまりにも面倒見が悪いのでどうしようか迷っているんですよ。あなたのような人が一緒に参加してくれるならいいんだけど・・・・」
「え?私ですか?大丈夫ですよ。6月のハワイでしょ?私も参加を予定してますよ」
「そうなの?じゃぁ、どうしようかな?参加しようかな?でも、迷惑をかけそうだしな・・・」
「全然迷惑じゃないですよ。また一緒に行きましょうよ。折角知り合ったわけだし・・・ハワイ!いいですよ〜私は行ったことはありませんけど・・・(笑)」
やっぱり皆さん同じような感想を持たれていたようである。
ポロポロと愚痴が飛び出す・・・・
リーダーがリーダーとしての役を果たしていない・・・と。
殆どの方が一人で参加されている高齢者である。
にもかかわらず・・・・面倒見が悪いんだから不安になるし文句も言いたくなるのも無理はない。
「6月には私も参加して皆さんの面倒を見ますから安心して下さい」と宣言!(笑)
しかし・・・これじゃまるで私は添乗員じゃないか?
まぁ〜いいかぁ〜(笑)

この敷地に「横井記念館」という小さな小屋があったので見学する。
戦後この島で発見された元日本兵の横井さんの記念館ということだが・・・・
内部には写真パネルがあるのみ・・・
内容は全く薄い・・・・
期待はずれ・・・・(笑)
横井さんが隠れていた「ヨコイ・ケーブ」は、今は個人の所有地の中にあり、立ち入りが出来ないとのこと。

横井記念館

ちょうど塗装をしていたので、改装中だったのかな?
記念館内部の様子
1972年月25日、ここから数キロの所で日本陸軍横井軍曹が現地の人に保護されました。
グアムのジャングルの中で28年間隠れ住んでいた横井軍曹の発見は、世界的なニュースとなりました。
隠れること及び生き延びる事の約30年間の彼の話は「文明的生活」と相反するもので、世界中の注目を引きました。
横井氏が静かなタロフォフォ川の丘地区から去った時には、既にジェット機の時代へ移り変わっていました。

在住のスース・デュエナス氏とマニュエル・デグラシア氏がタロフォフォ川の支流へハンティングへ行った時、葦で作った海老の捕獲かごを持った横井氏が現れました。

二人は日本の残留兵が近辺にいると常に疑わしく思っていました。
1950年に残留兵により、デュエナス氏の親戚だった2人の若い少年が殺されました。
1945年には、5人の水兵とチャモロ語のガイドがこのエリアの近くで待ち伏せされ殺害されました。
日本の残留兵達は、現地の人によって無慈悲に探され殺されました。
旧日本帝国軍隊がグアムを占領中、傾倒した残虐行為の結果日本人が軽蔑したからである。
デグラシア氏はデュエナス氏が横井氏を撃つのを止め、短い間つかみ合いとなりました。
軽い傷を負った彼をデグラシア氏とデュエナス氏はジャングルから連れ出しました。

(展示パネル・日本語解説文)
横井氏が発見された時、とても健康な状態でした。
彼は頻繁に徹底的に入浴することにより重大な健康問題および他の伝染病疾病を回避することができました。
彼は、罠を掛けて小エビ、魚、ネズミおよびジャングル内の植物を食べて生活してました。
彼は主に夜間に活動をしていました。
横井氏が隠れて続けられ助かったのは深いジャングルのおかげです。
横井氏は、ジャングルにいる間過ごした時を正確に計算しました。
また、彼は、彼が捕えられた時その年が1972年であることを知っていました。

横井氏はそれらの年、グアムすべてのジャングルにおいて孤独ではありませんでした。
彼の保護の8年前に、2人の他の日本の兵士が栄養失調と疾病で死にました。
同じエリアの中に隠れる兵士2人が、横井氏が色んな接触を持っていた唯一の人間でした。
3人の日本の兵士は、発見を回避するために彼らが互いとの接触を制限しておりました。
それらの死に際して、横井氏は洞穴に彼らを埋めて、彼が保護された後、職員に場所をすぐに教えました。

2つの手投げ弾と155mm砲の薬莢が洞窟で見つけられたただ一つの武器でした。
二人の日本兵が横井氏の洞穴と同様に埋められた洞穴は、巧妙に隠され、どこをあるか知らなかったならば、見つけることが不可能でした。

彼が発見された後に、横井氏は数回グアムを訪れています。
ここジェフズパイレーツコーブにて彼はジェフ・ブレアドゥエル氏に談話として詳しく述べていました。
横井氏はここで催されていた色々な寄り合いでのジャングルの中から笑い声や音楽などが聞こえてきたのを覚えていました。

隠れること、剥奪することの横井氏の28年間は、彼の生存への勇気、強い忍耐力を証明しました。
横井軍曹は日本で1997年に亡くなりました。

(展示パネル・日本語解説文)

今日の夕食は海兵隊のパーティーでとるらしい。
で・・・向かったのは・・・・「パシフィック・ウォー・ミュージアム」
ん?戦争博物館??(笑)

パシフィック・ウォー・ミュージアム

本当にここがパーティー会場らしい。
パーティーが始まるまでの間、博物館内の展示物を見学する。
スペースは非常に狭いが・・・結構、内容は充実している。

ここで珍しいものを見つけた!
日本軍の九七式20ミリ対戦車ライフルである。
いやぁ〜こりゃすごい!
日本軍に対戦車ライフルというのがあったということは知ってはいたが、実物を見るのは初めてである。
さて・・・このライフルの性能はどうだったのだろうか?
実際にアメリカ軍の戦車を撃破できたのだろうか?

九七式20ミリ対戦車ライフル

ここの展示物で最大の間違いを犯している物も発見した!(笑)
それは・・・写真。
蒋介石の写真に「東條英機」とプレートが付けられている。
あのね・・・・顔が全然違うんですけど・・・(笑)
どっから持ってきちゃったんだろうなぁ〜
蒋介石の写真・・・・・
近くにいたアメリカ人に、「これ、間違っているからね。この人・・・トウジョウじゃないからね」と説明する。
「ミステイク?」
「オ〜イェ〜ス!ビッグミステイク!」・・・・大笑いする。

で・・・蒋介石(しょうかいせき)って・・・英語で何ていうの?
え〜ん・・・わからない!
とにかく・・・東條じゃない・・・この人は・・・中国人!チャイニーズ!
あ〜情けねぇ・・・
肝心な単語がわからないとは・・・・

グアムの日本軍
A Group of Japanese Imperial Army troops on Guam,c.1943-44.
These men came to Guam from Manchuria, and were well trained seasoned fighters.
They Knew jungle warfare better than the U.S. troops who would fight them.
However, their lives were thrown away in waves of "banzai" Charges, and their strict belief
in the "Code of Bushido"
日本軍の対戦車壕
Japanese anti-tank ditch south of Adelup point.
The ditch was six feet and ten feet wide running perpendicular to the beach road.
第29師団長 高品彪 中将
Japanese General Takashi Takashina, Imperial Japanese Army, commander of all Japanese ground forces
on Guam.
Takashina died July 28, 1944, during the battle at Fonte Plateau.
捕虜収容所
Large group of japanese prisoners of war in a detention camp.
This camp was most likely located in the northern part of Guam.
Several POW camps existed on the island of Guam.
Historical records indicate that at least two existed on North Field, now known as Andersen AFB.

博物館の中庭には日本軍の一式機動速射砲がほぼ完全な形で2門展示されていた。
説明板は何もないので、誰もわからないかもしれないが・・・
日本軍の対戦車砲である。

一式機動速射砲

その周囲には米軍の軍用車両が並んでいる。
“キングさん”が「乗ってもいいよ」というので、米軍のハーフトラックに乗ってみたが・・・
運転席の狭いことに驚いた。
スマートな(笑)拙者でさえ乗り降りに苦労するくらいなのに、これにどうやって体の大きなアメリカ兵は乗り降りしていたのであろうか?
「荷台にある機関銃の所に立ってポーズを取ってみて」・・・と言われたので米軍のヘルメットを被ってポーズを取ったら・・・・
ドッドッとアメリカ人たちがカメラを構えて集まってきた!(驚)
ゲゲッ!何事???
で・・・パチパチと拙者を撮影するのである!
ん???何で????
そのうち・・・「こっちを向いて!」とか「動かないで!」と注文までされる。
なんだ・・・こりゃ・・・俺なんかを撮って何が面白いんだ????(笑)
こうなったらヤケクソだ・・・・
機関銃を振り回して「ダダダダ・・・ドドドド・・・」と口で乱射!
アメリカ人たちに大いにウケル・・・・(笑)
馬鹿だねぇ〜

アメリカ国歌斉唱!
パーティーの始まり!
海兵隊のマーク
アメリカ国旗と・・・・部隊旗・・・かな?

パーティーでは“大佐殿”がスピーチ。
話の内容は断片的にしか理解できなかったが・・・
このパーティーの会場探しに散々苦労していたところ、博物館長のご厚意により、博物館内で開催出来たことへの感謝の言葉があった。
また、料理を作ってくれた人、テーブルにアレンジした花を飾ってくれた人にも感謝の言葉・・・
いやはや、さすがはパーティーに慣れているアメリカ人のスピーチである。
“裏方さん”にも感謝の言葉を忘れない。
こういう姿勢・・・日本人も参考にせねばなるまい。

バイキング形式のパーティー
今晩の私の夕食・・・(笑)

パーティーは飲み放題、食べ放題・・・・
しかし・・・パーティー慣れしていない日本人としては間が持たない・・・・
英語はうまく話せないし・・・
我が日本人ツアー客は日本人だけで集まってテーブルに座って・・・動かない!(笑)
私は庭の片隅に行って時々タバコを吸う・・・・
が・・・一人でいるとアメリカ人からいろいろと話しかけられる。
あらら・・・
そういろいろと話しかけられては・・・困るんですけど・・・(笑)
英語が苦手なんで・・・
「英会話」に疲れたら・・・日本人ばかりのテーブルに戻り・・・ホッとする。
あ〜なんと情けないことか・・・・(涙)

アマチュアバンドによる演奏・・・・
どうもボーカルは館長さんのようである。

パーティーにはバンドが入っていた。
アトラクションである。
どうも説明を聞いてみると、アマチュアバンドのようである。
で・・・ボーカルは・・・博物館の館長さん。(だと思う)
何曲か歌った後に、最後に英語でこうスピーチされた。
「日本人の方々が来るというので日本語の歌を覚えました。急いで覚えた歌なので発音が間違っているかもしれませんがご容赦ください」
そう言って1曲、日本語で歌を歌ってくれたのには感激である。
しかも発音は完璧に近いから驚いた。
すごい!
また、我々日本人に対してのその気配りようにも感激・・・・
で・・・感激のうちにパーティーは「お開き」となる。

バスに乗って我々日本人グループはホテルに向かう・・・・
で・・・いつもの調子・・・・
人数も確認せず・・・リーダーは・・・・
「OK!OK!出発!」と言う。
あっさりとバスは走り出した。
嘘だろ・・・人数確認もしないでか?
慌てて後ろに座っていた私が人数を確認し始めようとしたところ・・・
一番後ろに乗っていた“ジョン上級曹長”が何か大声で叫んだ!
ん?なに?
「人数を確認したのか?ちゃんと人数を確認しろ!」と言っているのである。(笑)
「だよねぇ〜」と“ジョン上級曹長”と目と目で合図・・・
「信じられねぇ〜」と呆れたポーズの“ジョン上級曹長”・・・・
ごもっともでございます・・・・お恥ずかしゅうございます。(笑)
幸いにも全員乗っていたから良かったが・・・・
誰か置き去りにしていたらどうするつもりだったのだろうか・・・・リーダーは・・・・

ホテルに戻ってから、私はまたもや夜の街へ・・・・(大笑)
毎晩、夜の街をブラブラ歩き、ポン引き連中と顔なじみになった・・・・
で・・・一つの計画を立てたのである。
明日は帰国する日だが、飛行機は午後・・・
午前中は自由行動である。
で・・・ポン引きのお兄ちゃんをアルバイトで半日雇おうかな・・・と・・・(大笑)
交渉成立!
ホテルに戻り、同室の“ハシモトさん”に報告したら大いに呆れられた。(笑)
「ポン引きを運転手に雇ったんですか!」(呆)
「そう・・・彼の車で明日は観光をしましょう!」
「信じられない・・・ポン引きを運転手に使うなんて・・・・すごいことを考えますねぇ〜(笑)」
そうか?
そんなにすごいことかなぁ〜?


 


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