行基像 平成19年4月11日

行基 ぎょうき

天智天皇7年(668年)〜天平21年2月2日(749年2月27日)

奈良県奈良市・近鉄奈良駅前でお会いしました。


天武11年(682年)出家し、道昭どうしょう、義淵ぎえんに師事して法相教学を学ぶ。
民衆教化・社会事業に従事し、知識集団を組織して四九院の創設、布施屋の設置、池溝橋の開発などを活発に行い、行基菩薩と崇められた。

その活動は、僧尼令違反として養老元年(717年)以降、政府から度々弾圧されたが、天平3年(731年)以降禁圧が緩和される。
盧舎那仏るしゃなぶつ造立には弟子や衆庶を率いて協力し、天平17年(745年)大僧正に任じられた。
天平21年(749年)、平城京右京の菅原寺で没した。


行基菩薩像



行基菩薩

(近鉄奈良駅前)





(平成19年4月11日)

行基菩薩

行基菩薩は天智天皇の7年(668年)に大阪府堺市に生れ15才にして■■■薬師寺に入り仏道修行とその研究に励み24才で受戒得度をされた
仏教の学問をよく究め天皇の尊敬を受け現在の平城の聖域に遷都することを奏し元明天皇の和銅3年(710年)に平城遷都した
その造営にあたり先ず南都諸大寺の移建と建立例えば薬師寺大安寺の移建を初め興福寺元興時及び総国分寺東大寺の建立等48ヶ大寺院を建立された
その他全国にわたり開基した寺院道場は約700におよぶといわれている
一方民生社会事業としても実践主義に徹し庶民を教化し人のために橋をかけ堤を築き池を掘り日本最初の独孤院や日本地図を作った
又飢えと厄病に苦しんでいる庶民の救済として布施屋(宿泊所)施薬院などの社会の為の事業を次々に行い庶民の信仰を深め奈良朝に於ける国民思想の確立を計画され唐朝の文明文化を輸入し奈良朝文化に貢献された恩人である
今日の庶民仏教と社会福祉の基を開いたのは実に行基菩薩であると仰がれている
聖武天皇天平21年(749年)82才のとき奈良西郊の菅原寺で数千の弟子に囲まれ遷化し生駒の往生院に葬られたがその生涯かけての業績の偉大さは1200有余年の今日もなほ多数の人々の心の中に行基菩薩は生きているのである

昭和45年3月
奈良市長 鍵田忠三郎

(碑文より)


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