羽生郷右衛門 はぶ・ごううえもん

?〜延宝8年11月15日(1681年1月4日)


羽生郷右衛門の墓



羽生郷右衛門の墓
(鳥取県鳥取市・景福寺)




(平成16年11月18日

鳥取藩の偉大なる政治家
剣豪羽生郷右衛門挽臼の墓

禄高300石で鳥取藩主池田光仲公に召し抱えられる。
延宝8年11月15日歿遺言により戒名を一外石心居士と名づく。
辞世の歌に「世の中をめぐりて因幡路をめぐりたらいて挽臼とする」がある。

(説明板より)

景福寺



景福寺
(鳥取市新品治しんほんじ町)




(平成16年11月18日)

瑞松山景福寺(曹洞宗)

鳥取藩池田家家老「荒尾」家の菩提寺「景福寺」は、南北朝時代摂津国六ノ瀬村(兵庫県川辺郡)に通幻寂霊つうげんじゃくれい禅師を開山として創建されたのが始まりである。
慶長年間、姫路城主池田輝政の家老荒尾志摩守隆重は、景福寺11世大桂宗奕そうえき禅師に帰依し、同寺を姫路城下に移して再興し中興開基となり、以後、荒尾家代々の菩提寺として護持されてきたものである。
池田輝政の没後、備前岡山藩主となった忠雄に従い荒尾家と共に同寺も岡山へ移った。(元和2年)
寛永10年、景福寺14世角山宗虎禅師となり、忠雄の嫡男光仲の鳥取転封に伴って同寺も荒尾家と共に鳥取城下に移り、荒尾嵩就を開基とする鳥取景福寺が建立され今日に至っている。
このような経緯から摂津・姫路・岡山・鳥取と4箇所に景福寺がある。
鳥取景福寺には、鳥取藩関連の書画、墓跡等が残されている。

(※寺宝・境内墓に関する記述は略します=重兵衛)

平成6年2月
鳥取市教育委員会
景福寺

(説明板より)


剣豪



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