塙保己一 はなわ・ほきいち

延享3年5月5日(1746年6月23日)〜文政4年9月12日(1821年10月7日)


父親は武蔵国児玉郡保木野ほきの村の豪農・荻野宇兵衛。
通称は寅之助などを経て保己一。
号は温故堂など。
7歳で失明し、雨富須賀一すがいちに音曲・鍼医術を、荻原宗固そうこ・川島貴林たかしげ・山岡浚明まつあけに歌文・神道・律令を学んだ。
賀茂真淵にも短期間師事。
安永8年(1779年)に『群書類従』の編さんに着手し、41年後に全670冊の刊行を完了する。
この間、『大日本史』の校正にも参加。
寛政5年(1793年)には和学講談所を設立。
六国史以後の史料を集めた『史料』の編さんにより、のちの『大日本史料』の先駆的業績も残した。
その堅実な考証は近代史学につながるものと評される。


和学講談所跡



塙保己一和学講談所跡
(東京都千代田区三番町24)





(平成18年7月14日)

東京都指定旧跡
塙検校はなわけんぎょう和学講談所跡

所在 千代田区三番町24
指定 大正7年4月

塙検校はなわけんぎょう(1746〜1821)は江戸時代の国学者。
幼名寅之助のち保己一ほきいちと改名。
武蔵国児玉郡保木野村に生まれ、幼くして失明したが、江戸に出て賀茂真淵らに国学を学ぶ。
和漢の学に通暁し、天明3年(1783)検校、文政4年(1821)に総検校となる。
この間、寛政5年(1793)江戸麹町に和学講談所を設立し、講義・会読のほか京都・名古屋などにも史料を採訪して「群書類従」「武家名目抄稿」「史料」などの編纂事業を行なった。
これらの編纂は明治以後の国史・国文学研究に大きな影響を及ぼした。

昭和52年3月31日 建設
東京都教育委員会

(説明板より)


国学者



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